野田首相「大きな音だね」=官邸周辺の反原発デモに(時事通信) - goo ニュース
最重要なのは、この「声」が「投票行為」きちんとつながるかどうか。
そこだけが、最大の問題。
東電でも、他の電力会社でも、
株主総会で、脱原発の提案は出た。
しかし、丁寧、冷血、どういう反応でも、
すべての電力会社は、それを否決した。
テレビ、新聞、などなどでの世論調査では、
産経や読売の一部を除いて、反対が過半数になる。
しかし、
じゃあ、、その民意は、政府を動かすのか?
それは、
「大きな音」というつぶやきで終わる。
政府は、誰も為に存在するのか。
少なくとも、
民主主義社会において、
民主主義政治においては、
誰でも無い、国民の為であり、
この国では、世界に誇れる日本国憲法で、
すべての人が、命を脅かされる事無く、
幸福に暮らす権利を保障している。
それは、絶対に大切な最大、最低限の人権だろう。
原発、これで、その権利が、完全に尊重されない実態を
この1年以上で主権者は再確認したはずだ。
だから、
いろいろな立場、いろいろな状況がある個人が、
集まった。そして、主張をした。
彼らは、非常にきちんとした主張行動をおこなった。
それを、警視庁や地元警察、さらには公安も、
阻止することはできない。
なぜなら、彼らは、公務員であり、
日本国憲法第99条を遵守する義務を負うから。
この、思い、願い、
それを、
じゃあ、、この国にどう影響させるのか、
じゃあ、
「大きな音」としか言えない宰相にどう思い知らせるのか、
それは、
投票行為でしかない。
何度も言う、
投票に行かない。
なぜなら、政治家に社会に罰を与えるために。。。。
と、豪語した社会科の免許を持つ教頭が居た。
投票に行かない。
それで、困る政治家も官僚も存在しない。
そこに思いも想像もできない、愚か者が教頭としている。
その彼は、社会科の免許を有する。
民主主義を支え象徴するものが、
無記名による、投票行為だろう。
誰に投票したとしても、その投票行為そのものへの
責任は問われない。
ただ、選んだ人間に対しての責任はあろう。
選挙というシステムに、投票を行わない。
それは、
自分の人生を他人に任せたに等しいし、
何よりも、
その社会に存在していないという、ことにもなろう。
自ら、主権者としての権利と誇りを棄てたと言える。
この首相官邸でのデモ、
それに参加した人、
参加したくてもできなかった人、
こころの中で思う人、
いろいろな、あらゆる方法での個人としての主張を表現する。
それが、投票行為に反映されないと、
政府も、官僚も、かわりはしないし、
同時に、社会そのものが変ることもないだろう。
ただ、民主党のように、
完全にウソで塗り固め、
政権を握れば、徹底的に主権者を裏切る。
そういう、どうしようもない連中もいるのだが・・・・・・・
ただ、それにしても、
あらゆる方法での監視活動で、
彼らに圧力をかける事はできるだろう。
だからこそ、
投票行為は大切なのである。
最重要なのは、この「声」が「投票行為」きちんとつながるかどうか。
そこだけが、最大の問題。
東電でも、他の電力会社でも、
株主総会で、脱原発の提案は出た。
しかし、丁寧、冷血、どういう反応でも、
すべての電力会社は、それを否決した。
テレビ、新聞、などなどでの世論調査では、
産経や読売の一部を除いて、反対が過半数になる。
しかし、
じゃあ、、その民意は、政府を動かすのか?
それは、
「大きな音」というつぶやきで終わる。
政府は、誰も為に存在するのか。
少なくとも、
民主主義社会において、
民主主義政治においては、
誰でも無い、国民の為であり、
この国では、世界に誇れる日本国憲法で、
すべての人が、命を脅かされる事無く、
幸福に暮らす権利を保障している。
それは、絶対に大切な最大、最低限の人権だろう。
原発、これで、その権利が、完全に尊重されない実態を
この1年以上で主権者は再確認したはずだ。
だから、
いろいろな立場、いろいろな状況がある個人が、
集まった。そして、主張をした。
彼らは、非常にきちんとした主張行動をおこなった。
それを、警視庁や地元警察、さらには公安も、
阻止することはできない。
なぜなら、彼らは、公務員であり、
日本国憲法第99条を遵守する義務を負うから。
この、思い、願い、
それを、
じゃあ、、この国にどう影響させるのか、
じゃあ、
「大きな音」としか言えない宰相にどう思い知らせるのか、
それは、
投票行為でしかない。
何度も言う、
投票に行かない。
なぜなら、政治家に社会に罰を与えるために。。。。
と、豪語した社会科の免許を持つ教頭が居た。
投票に行かない。
それで、困る政治家も官僚も存在しない。
そこに思いも想像もできない、愚か者が教頭としている。
その彼は、社会科の免許を有する。
民主主義を支え象徴するものが、
無記名による、投票行為だろう。
誰に投票したとしても、その投票行為そのものへの
責任は問われない。
ただ、選んだ人間に対しての責任はあろう。
選挙というシステムに、投票を行わない。
それは、
自分の人生を他人に任せたに等しいし、
何よりも、
その社会に存在していないという、ことにもなろう。
自ら、主権者としての権利と誇りを棄てたと言える。
この首相官邸でのデモ、
それに参加した人、
参加したくてもできなかった人、
こころの中で思う人、
いろいろな、あらゆる方法での個人としての主張を表現する。
それが、投票行為に反映されないと、
政府も、官僚も、かわりはしないし、
同時に、社会そのものが変ることもないだろう。
ただ、民主党のように、
完全にウソで塗り固め、
政権を握れば、徹底的に主権者を裏切る。
そういう、どうしようもない連中もいるのだが・・・・・・・
ただ、それにしても、
あらゆる方法での監視活動で、
彼らに圧力をかける事はできるだろう。
だからこそ、
投票行為は大切なのである。