土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

よく効く薬ですよね。「体罰」は

2008年05月25日 22時54分47秒 | Weblog
児童の体に「うそつき」張り紙


頭痛がする。
発熱がある。
しかし、
仕事に何か、どうしても
寝れない。
休めない。

薬を飲む。
それも、できるだけ即効性の高い薬を。

こんな経験は多くの人にあるだろう。

学校では、
本来、気の長い
のんびりとした部分もあるはずの教育という
取り組みの中で、
即効性を求めてきた。

それは、学テってのもそれだし。
目先の受験への追い込みもそうだろう。

子供が生まれて、
この国では20年をかけて成人になるという。
そういうシステムでありきまりでもある。

しかし、
真剣に、誰もが20年で一人前にしようと
考えているんだろうか。

そういう長期のビジョンを持った
教育や、子育て、、を実践しているだろうか。

学校では、
教科の学習でも、
掃除やその他の活動でも、
そして、
何よりも、中高の部活で

勝利、すぐ、、急げ、、
というように、

即効性を求めてはいないだろうか。

保育園で、学級崩壊があるという。
小でも中でも、、

生徒に対して、
教師が自分の言うことを聞かない場合、
暴力や、恫喝、脅迫、、という、
あらゆる威圧をかける。

今の学校で、
久しぶりに公の場での体罰に遭遇した。

採用以来ずっと長年そこで強力な部活指導をし、
全国でも有数という部活指導の教員が、
ローカで多くの生徒が居る前で、
本か教務手帳か何かで生徒の頭をバシバシたたき、
そして目をひん剥いて怒っていた。

同じ日には、
職員室で、生徒を正座させ、
その正面に仁王立ちし、
「私は、****という悪いことをしました。ごめんなさい」
と、
声を大にして言わせていた。

もちろん、管理職がいる職員室でである。

この学校では、
すべてが、20年前をそのまま残した遺物のような状態だ。

数人の教師が学校を牛耳っている現状で、
はたしてどういうアプローチがいいのだろうか、
と、大きな悩みになっている。

たしかに、
即効性はあろう。
そして、
教師と生徒の信頼??????
という、美しい関係の中で、
そういう行為があるのでもあろう。
ただ、

その二人だけの世界ではないのが、
学校である。
それを知り、見、聞き、
こころを持った多くの人間が
教育という国家の強制の中で
生活をしているのが、
学校なのである。

本当は、
すべての生徒が権利者であり、
教師は、義務を持った立場であるのに、

教師が、偉く、言うことは聞くべき存在であり
生徒は支配されるべきものだという意識のなかにある。


ゆとり教育が批判される。
しかし、
人を育てるということは、
実は、ゆとりなくしては、、
なにをも、できないという真理を、
やっぱり、、考える必要がある。

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「死」を考える

2008年05月25日 22時53分46秒 | Weblog
中1が飛び込み自殺 成績苦か

死ぬほど好き
死んでしまいたい
死んでも悔いがない
死にそう・・・

など、
「死」を、
ほんとうに、子供も大人も、
そういう区別をしなくても、
よく使う。

でも、
死んだら、、、
どうしようもない。

学校では、
毎日誰かが、

「死ね」
「殺すぞ」

を連発する。

マンガや、その他の書籍でも、
そういう言葉があちこちで見れる。

先日、
昼食中に、
「死ね、死ね」と、2回聞こえた。
食事中だったから、
終わるまで待ち、
楽しいはずの食事が、
どうしようもなく、つらく悲しい、、
そんなものになった。
それが、なぜか、
帰りの会で、、と。

そう、、

誰一人として、死んでいい人間は存在せず
誰一人として、殺されていいはずはなく
誰一人として、殺す権利も権威もないはず。
地球に68億の個性が存在する。
そのかけがえのない個性が、
完全に消滅する。
無になる。
それが、死であろう。
記憶が、思い出が、、残るという。
しかし、それは万策尽きて死を迎えた後で言うことだ。

学校が、
命を大切にできなくなって久しい。

エラい人たちは、命の尊さを声を大にして説く。
しかし、
同時に、競争原理の中で追い込んでもいる。
受験への勝利。
試合への勝利。

成績ごときに、命をかける、、
そんな、
おぞましい事を強要させている。

教育が狂育になったと、もう20年以上も前から言われている。
しかし、
なんの反省も総括もなく、、
加速度的に学校はおかしくなっている。

自分で死を選ぶしかなかった、
彼を思う。
どんな人かも知らない。
しかし、
あなたに、生きていてほしかったと、
叫びたい。
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安心ですか?

2008年05月25日 22時52分45秒 | Weblog
小中生の携帯所持禁止 提言へ

政府の最大の責任は、
すべての人が安心して日々のくらしを営める。
という事だろう。

人の営みには、
ニホンの場合、
生活するに足りる経済活動が行える。
要は、衣食住がまずは充足している。
が第一になろう。

当然、相応の警察力なども不可欠だろうが、
しかし、
警察や軍事のみ突出し、主権者たる国民が飢えている。
ってのは、まさにミヤンマーでしかない。

ワーキングプアなどという、
経済大国ではありえそうにない言葉が
巷を跋扈している。

拝金主義の中で、
強者となり、勝者となろうとする。

そのためには、
ナニをターゲットにし、
金を儲けるかのみに、、ひた走り、
そのために、悪知恵を駆使する。

このニホンの政府は、
規制をどんどん強化すれば、
世の中が安定し、
人々が安心するとでも言うのだろうか。

ちょっと前まで、
あちこちの中高校で、
校則を細分化し、
あらゆるものに規制をかけ、
そして、ルール違反を処断しようとした。
結果、
どうなったか、、。

学校だけではない。
おおよそ、社会で、なんでも決まりとするのは、
危険きわまりない。

人は、決まりやルールの為に存在するのではなく、
ルールや決まり法律は、
人を幸福にし、豊かな人生の為に存在するものだ。

法律で決まったから、
ルールだから、

という、
その辺の論理も理念も理想も持てない
教師が校則を大上段に振りかざすような、
愚かな事はしないほうがいい。

我々の社会は、
チームスポーツではないのだから、、
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仕組まれた格差

2008年05月25日 22時52分00秒 | Weblog
”子ども格差”の時代が到来!?


もう、、かなり前から東大には苦学生は居ない、
というのが当たり前になっているはず。
あの大学に行けばわかる。ブランド物で身を飾り、
ごみの分別さえ原色で色分けしなければ
捨てれない。
さらには、
画像にあるように、トイレには、
不埒なものの出現。

大便器にトイレットペーパーを大量に流し込み、
次に使う人が流せばあふれるのを狂喜するという、、
まさに、、
その辺の荒れた中学校のレベル。

莫大な費用を投じて、
最高学府という場所で、この体たらくだ。

あの小泉という宰相が、
大学を格差付けし、
特定の大学にだけ莫大な予算を投じ、
地方の大学には研究費さえまで、、大幅に減額した。

ちなみに、
高知大学の教授の年間研究費は、
わずか、15万円だという。
文系の史学の教授であるが、、
しかし、、
医学部の教授では、
消耗品の限度額は49万円。
とすれば、毎年最高速度のパソコンを購入し、
そのまま誰にでも渡せる、、という
恐ろしい状況も考えられる。。

あの小泉なにがしが、、
格差を当たり前とし、
当然とした頃から、
自死している人間の数が
30000人を越えている。
どうも、少なくなる状況にはない。

強弱、
勝敗、

人生そのものを、、
そういう価値判断で、、
決め付けるという、、

それが、、
学校という場で浸透させ、
あらゆる方法で、、、
結果、こうなった。

格差社会は、
もう、、当たり前だし、
いまさら、、となったとき、、

それが、結局は
差別を基本とした身分制度に発達するのは、
歴史をみるよりも明らかであろう。

人権という言葉が、
どんどん、、嫌われだしている。

人権を出すだけで、、
毛嫌いされる公立学校職員室もある。

まだ、
なにか、、おかしい、、と、
思う、感じる時から、
行動に移さなければ、、

またきた道に戻るのは、
あっという間だ。

もっと、敏感になりませんか。
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資金はどこに入る、、、米政府か???

2008年05月25日 22時48分57秒 | Weblog
ウソだろ!?ガソリン1リットル=300円時代が追っている


原油の産出量が大幅に減少し、需給のバランスがそれほど崩れているわけでもない。
小麦、大豆、ある低度の天変地異があっても、
今までほとんど、大幅な価格変動が無かった。

この、原油にしても、穀物にしても、
2001年のあの事件をきっかけにして、
市場が混乱し、
原油と穀物の先物取引におけるバブルがどんどん肥大化している。

ドルでも、円でも、、
市場に出回る通過の総額はそうそう増大するものじゃあない。
中央銀行が相応に操作しているはずだから、。

じゃあ、、バブルで儲け過ぎている、
その「金」は、どこにあるのか、、

ニューズウイークでも、
日本総研でも、、
アメリカあたりの個人投資家、
ほとんど、アメリカ政府の関係者、、
ではないかと、、
その辺りに、
莫大な資金が流れ込んでいる、、んじゃあないか。

そういう見方をする人達がいる。
ただ、、
実際の所、誰か、、ってのは、
不明らしい。

いや、知っていても、
公表出来ない、、そういう人達。
言えば、命が、、って、、。

資本主義を至上主義とする人達には、
それでもいいのかもしれないが、

しかし、
今ほど、セーフティーネットが、
崩壊しつつある時は無い。

格差が、世界的に拡大し、
そして、
強弱でなんでも語られる。

ガソリン価格は、
誰が決めるのか、、

消費者は、ひたすら
それを、、耐えるのか、、

資本主義を押さえ込むのは、
民主主義という、、パワーであろう。

ミヤンマーのように、分かりやすい暴力支配は、
誰でも批判できるが、
目に見えない、、経済支配は、
非常に狡猾であり、、
これ以上危ないものはない。

知恵が、、必要だ。
知恵が、、
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絶対的権力

2008年05月25日 22時47分55秒 | Weblog
「死ね」発言騒動後初…西村主審が名古屋-G大阪戦で笛


チームスポーツの意味とは、
公明正大な社会のひな型と言える。

みんなが同じ目的を持ち、
みんなが同じルールで動く。

そして、

ルール違反を侵せば、その場で処罰される。
それも、有無を言わせずに。

しかし、
社会には、多様な個性をもった
個人がいる。
68億いるという地球の
一人は、誰一人として同じ人はいない。

だからこそ、
民主主義と基本的人権の尊重が重要になる。

有無をいわさず、は、
歴史の中で、どれだけの過酷な状況だったか、

しかし、
学校を基本とした教育現場では、
その有無をいわさずの指導という強制が、
さらに、強力になりつつある。

学校はスポーツだけをする場ではないはずなのに、、
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小林多喜二の死因

2008年05月25日 22時47分12秒 | Weblog
「蟹工船」再脚光…格差嘆き若者共感、増刷で売り上げ5倍


(安田博士の指揮のもとに、いよいよ遺体の検診がはじまる。すごいほど青ざめた顔は、はげしい苦しみの跡をきざんで筋肉のでこぼこがひどい。頬がげっそりとこけて眼球がおちくぼみ、ふだんの小林よりも十歳ぐらいもふけて見える。左のコメカミにはこんにちの十円硬貨ほどの大きさの打撲傷を中心に五六ヵ所も傷がある。それがどれも赤黒く皮下出血をにじませている。おそらくはバットかなにかでなぐられた跡であろうか。
首にはひとまきぐるりと細引きの跡がある。よほどの力でしめたらしく、くっきりと深い溝になっている。そこにも皮下出血が赤黒く細い線を引いている。両方の手首にもやはり縄の跡がふかくくいこみ赤黒く血がにじんでいる。だが、こんなものはからだのほかの部分にくらべるとたいしたものではなかった。帯をとき着物をひろげてズボン下をぬがせたとき、小林多喜二にとってどの傷よりもいちばんものすごい死の「原因」を発見したわれわれは、思わずわっと声を出していっせいに顔をそむける、
「みなさん、これです。これです。岩田義道君とおなじです。」
安田博士がたちまち沈痛きわまる声でいう。前の年に警視庁の拷問室で鈴木警部に虐殺された党中央委員岩田義道の遺体を検診した安田博士は、そのときの残忍きわまる拷問の傷跡を思いだしたからである。
小林多喜二の遺体もなんというものすごい有様であろうか。毛糸の腹巻になかば隠されている下腹部から両脚の膝がしらにかけて、下っ腹といわず、ももといわず、尻といわずどこもかしこも、まるで墨とべにがらとをいっしょにまぜてねりつぶしたような、なんともいえないほどのものすごい色で一面染まっている。そのうえ、よほど大量の内出血があるとみえももの皮がぱっちりと、いまにも破れそうにふくれあがっている。そのふとさは普通の人間の二倍くらいもある。さらに赤黒い内出血は、陰茎から睾丸にまで流れこんだとみえて、このふたつの物がびっくりするほど異常に大きくふくれあがっている。
電燈の光でよく見ると、これはまたなんということだろう。赤黒くふくれあがったももの上には、左右両方とも釘か錐かを打ちこんだらしい穴の跡が十五、六ヵ所もあって、そこだけは皮がやぶれて下から肉がじかにむきだになっている。その円い肉の頭がこれまたアテナ・インキそのままの青黒さで、ほかの赤黒い皮膚の表面からきわ立って浮きだしている。
「こうまで徹底的にやられたんでは死ぬのはあたりまえだよ、これじゃキンタマだって何べん蹴られたかわかるもんか」
「だが、さすがに小林だよ。こんなむちゃくちゃにやられるまで、よくもがんばりとおしたものだ」みんなは深いため息といっしょにこんな言葉をかわすうちにも遺体の検診はさらに進む。
ももからさらに脛を調べる。両方の向こう脛にも四角な棒かなにかでやられたのか、削りとられたような傷跡がいくつもある。それよりはるかに痛烈な痛みをわれわれの胸に刻みつけたのは右の人さし指の骨折である。ひさし指を反対の方向へまげると、指の背中が自由に手の甲にくっつくのだ。人さし指を逆ににぎって力いっぱいへし折ったのだ。このことだけでもそのときの拷問がどんなにものすごいものであったかがわかるではないか。
さらにシャツもズボン下もぬがせた丸裸でうつ向けにすると、背中も一面の皮下出血だ。ももや下っ腹ほどにひどくはないが、やはりふんだり蹴ったりした傷跡でいっぱいだ。ここには死斑も出ている。死斑にはありありと蓆の跡が見える。殺したあと、そうとうの時間を丸裸のまま蓆の上に寝かしておいたものとみえる。上歯も左の門歯が一本ぐらぐらとなってやっとぶら下がっているという状態である。
「こうまでやられたんでは、むろん腸も破れているでしょうし、膀胱だってどうなっているかわかりませんよ。解剖したら腹のなかは出血でいっぱいでしょう。」
と安田博士が説明する。きのうの五時とかに死んだというのに、死臭がぷうんと鼻をうつ。内臓を破られたための大量の内出血がすでに腹のなかで腐敗しはじめたのだ。

『別冊新評 作家の死』 1972年 新評社より


多喜二が、この「蟹工船」を命をかけて書いたのは、
どうか、こんなことが未来には無いように、、
との、壮絶な祈りから。

しかし、
まさか、戦後の、
世界に誇れる日本国憲法の、、
この時代にあって、
もしも、彼がこの事実を知ったなら、
やっぱり、命をかけて、
権力と戦うだろう。

基本的人権の尊重と、
国民主権を基調とした、、
日本国憲法の理想も、
何も、、、
まだまだ、、
なんだと、、

すべては教育の成果か、、、

しかし、、、
力不足を、、、だ。
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危機管理

2008年05月25日 22時46分09秒 | Weblog
アーチェリーの矢、額に刺さり高1重傷…神戸で手入れ中

学校の危機管理は、
大阪教育大附属池田の事件以来、
外部からの侵入者対策が主になってきた。
しかし、

本当は、外部も大事であるが、
内部、
そう、日々の教育活動の中にこそある、、
という自覚がほとんど無いというところに、
非常に危ない、、部分がある。

部活動は、
往々にして危険な面を持っている。
しかし、
勝利を至上としている以上、
かなり厳しい練習でも、
勝つという目標には、
ほとんど目をつむる、

という
そういう実態がある。

ある、
教員、もちろん、公立中学校の教員。
などは、

この部活の強い、、、**中学校に入学できたことを
誇りに思うように、
そして、
必ず新聞にのる活躍をするように、、
と、
叱咤激励する。
え??
学年集会の場でだ。

それを、あたりまえとする学校と教師集団。
さらには、盛大に熱烈に応援する保護者。

今年になって、
どれだけの部活を舞台とする事故がおこったか、、

些細なものも含めれば、
たぶん、すべての中高等学校で、
1つはあるだろう。

しかし、、
うやむやにしてきているだろう事は、
十分に想像できる。

だから、

学校という場所が、本末転倒になり、
何を大切にしなくてはいけないのか、
何を、、核にするのか、
その辺が、見事にあいまいになり、
そして、
目先だけの利益を追求している、、
となれば、

当然、危機管理も、、ほとんどないがしろにされていると
言えよう。

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リーベック訴訟

2008年05月25日 22時45分07秒 | Weblog
マクドナルド店で女性客が吐き気、コーヒーサーバーの洗浄不足

しかし、
これが、アメリカなら、、
もちろん、億の損害賠償を、、だろう。
1992年の高校の社会科資料にものるほどの、
あの有名なリーベック婦人の訴訟。
コーヒーを股にはさみ、砂糖とミルクを入れようとして、
こぼれて大やけど、、、
で、、賠償金が約3億円(当時のレートで)という
莫大な金額。

日本マクドのCEOの原田氏は、
テレビにも出演するぐらいの有名人でもありやり手らしい。

彼は、職場でも、
「思いやりのある討論」を心がけ、
何よりも、お客様第一の企業運営をしているという。

であれば、
さて、、この不祥事に対する対応は、
当然、そのお客様のもとに行きお見舞いし、
相応の対応をしたんだろう。

なにせ、
1992年で、火傷で3億なんだから、。

どうも、、
社員がほんとうに満足し喜んで仕事をする環境が、
できていないのじゃあないか。

彼は、社員を大切にするとも、、言い切っていた。
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