OPALな日々

”Old Person's Active Life”をモットーとするOld Womanのフォトを交えたエッセイです。

携帯、新調しました ^^

2009-09-30 22:57:56 | 日々のあれこれ
注文しておいた携帯電話が昨日届いた。


          


ピンクのボディーでイニシャルが光る。



          


もともと待ち受け画面が4種類入っていて、チドリがモチーフになっている。時間帯によりチドリとバックの色や配置が変わる。チドリは画面の中を飛び回り、時折サクランボのような木の実を咥えていたりする。



          


こちらは花とチドリ。やはり時間により花とバックの色が変わる。



          


開くと派手なイルミネーションが流れるように光る。これは本当はノーサンキューなのだが…。



使い勝手が違うので、意気込んでいた割にはまだまだ使いこなせていない。

しばらくは説明書片手に悪戦苦闘か。びっしり字が書いてあるとそれだけで

楽しみなんだか苦しみなんだか。野次馬は野次馬なりに苦労する

私なりのメモリアルの場として

2009-09-29 23:14:27 | 父&母
以前から亡くなった舅、姑、父の小さな写真を一つの額に入れて飾っていた。

ただそれだけで、線香をあげたり手を合わせたりはしていなかった。花を飾ったり、好きだった食べ物を供えたりはしていた。

今度、しばらくの間とはいえ位牌を置くことになりいろいろと考えた。

やはり線香も焚くし水とご飯くらいは供えるし、それなりの場所を作った方がいいのではないか。

かといって期間限定なので仏壇とまでは考えなかった。それに私たち夫婦はその時がきたらお寺のロッカーに納まるつもりだし。

私の希望はロッカーもいらない、粉にしてそこらに撒いて、である。今のところご亭主が「ロッカーの方が安い」と散骨に反対しているけど説得するつもり。ご亭主はやはり偲ぶシンボルが欲しいのだとは思うけど…。



そこで新たに自分なりにメモリアルの場として、こんな風にしてみた。


          



通販で見つけた、漆塗りにアワビ貝の螺鈿の飾りのついたボックス。正面が開くようになっていて位牌でも写真でも飾れる。

手前の仏具は、ブログで見つけた福井市の小林仏壇製作所からはるばる送っていただいたものだ。直径5㎝の小さなさび朱色のてまり型の5点セット。金色の仏具は如何にもそれらしくて嫌だったので、これはとても気に入っている。

見本として、小さくていろいろな色の灯芯のローソクとお香のようないい香りのお線香もいただいた。なんだかおままごとみたいだ。


私の場合は亡くなった兄のところに仏壇があり、来年には位牌はそちらにゆくので、まったくの自分用の思い出の場として考えたけど、最近は本当に仏壇を置かないで自分なりの飾り方をする方も多いと友人が言っていた。


住宅事情とか宗教観もあるのだろうけど時代の流れの一端の表れかもしれませんね。

簡単録画

2009-09-28 23:41:16 | 日々のあれこれ
近頃はテレビ番組も簡単に予約録画できるようになったので、これはと思う番組があると気軽に録画しておく。

見られないままに次々に録画する。結果、かなりの時間録画できるはずが残り時間が少なくなり、いざという時に困る

今日はハードディスクの整理をした。

なるべく消そうと思いながらも、これはきれいな風景だからとか、これは動物もので可愛いからとか、結構DVDディスクに移してしまった。

なんだか家中に要るような要らないような物が溢れるのと同じコースを辿っている。

DVDに移しながら「結局二度は見ないだろうな」という心の声が聴こえている。

それなのに未練がましいったらありゃしない


それでも今でも印象に残っていて、録画することができていたら良かったのにと思う作品もいつくかある。

「日本の面影」というラフカディオ・ハーンを取り上げたドラマとか、NHKの朝ドラの「青春家族」はもう一度みたい作品だ

まあ、私の整理の悪いのはさておいて、好きな映画やらドキュメントを簡単にDVDで再生して見られるのはとっても幸せ。

いい時代です

四十九日

2009-09-27 22:35:52 | 父&母
早いもので今日は母の四十九日。

この二日ばかり夏が戻ったように暑かったのが薄曇りのせいか涼しかったのは幸いだった。

例によってごくごく内輪の法事で、それほど気を使うこともなかったけどそれなりに疲れたかな。

納骨も済ませたので母の遺骨との同居は終わり。ちょっと淋しいけどお墓の中で父と一緒になったのだから良しとしましょう。

お寺はとても混み合っていて、「お彼岸繋がりの日曜だから混んでいるのかしら」と思ったら、「夏に亡くなった人が多いのよ」の声あり。そうなんだ、我が家もそうだし。でも暑くても寒くても同じような気がするけど。

仏さまのお花は大体似たようだけど、コスモスとハルジオンだけを組み合わせたすっきりとした花が飾られているのを見た。今の季節にあっている。


          

          野に咲くコスモス



          

          ハルジオン



新鮮で美しかったし、サッパリと爽やかだった。菊とりんどう、われもこうの花束もいいけど、この次はこのコスモスのように季節にあった、サッパリ系のお花を飾りたいな。囚われていないつもりでも、何処かで固定したイメージを持っていたようだ。



それにしても、少ない親せきなのに法事でもないとなかなか会えない。当分結婚式はなさそうだし。

いえいえ、来年2月には赤ちゃん誕生が待っている。これは嬉しいお話。こういう喜び事でまた集まりたいものです

わたしというひと

2009-09-26 23:51:34 | 日々のあれこれ
最近は読書ということと遠ざかっているという意識がある。

子供の頃には「本さえ読んでいなければいい子なのに」という、ちょっと聞くと変なことを言われていた。

本を読むことが悪いと言っているのではない。本を読むのに熱中していて呼ばれても分からなかったりすることである。


選んで読むのではなくあるものを順に読むのもいいかなと思い本屋でいろいろな作家が短編を書いている冊子を買ってみた。

ちょっと厚手で持ち歩くのには不自由だったけど電車の中などでぽつぽつと読んでいる。

やっぱり面白い。

自分の漠然とした考えが上手に表現されていると「そう、それを言いたかったのよ」とすっきりする。短編だからかストーリーよりも随筆風が多くて読みやすいこともあり、また活字と仲良しになれそうな気がする。

そんな中で「わたしというひと」という短編が面白かった。

全文をここに載せられるくらい短い文章だけどそんな事をしたら著作権侵害になる。

すでに無駄のない文章なので要約は難しいが、要するに自分を表現するのに「わたし」という一人称は「わたし」だけのものではないと感じて「自分の意見」を述べるときには「じぶんだけのわたし」として姓と名の下の名前を使う、という女性の話。

自分のことを「○○子はね」なんて言うのを聞くと「なんだこいつ」と思っていたが自分の意見を「自分だけの私」として表す「○○子はね」は悪くないなと、私「××子」は思いました。