おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

愛ちゃん

2012-03-30 21:33:56 | Weblog

愛ちゃんおめでとう。
 第12回60歳のラブレター よみうり大賞5、651通もの中から一位になるなんて。

  「家族の絆」部門 大賞作品     鈴木愛子
 
 お姉ちゃん、覚えてますか?
真新しい高校の制服が届いた日、私は嬉しくて、それを着て部屋の中をくるくる飛び回っていましたね。
 あなたは、ただ黙って母のそばに座って見ていました。
その時の光景とあなたの気持ちに思いを馳せるたびに、私は涙がこぼれてしまうのです。
 当時、父は交通事故による後遺症で半身不随、生活はとても苦しかった。下に私や弟のいるあなたは、行きたかった高校をあきらめて働いていたのでした。
 中学に入学した年、制服のオーバーコートが買ってもらえなくて母を困らせた時も、あなたは自分のコートを私にくれた。
そして、自分は冬の寒い日、ビニールの雨合羽を羽織って通学していましたね。
 高校を卒業して大手企業に就職することが決まった時、一番喜んでくれたのもあなたでした。私はいつもあなたに甘えていました。
 今の私があるのは「あの時のあなた」がいてくれたおかげと思っています。照れくさくて今まで言えなかったけど、お姉ちゃん、本当に本当にありがとう。
                                            終り
 日頃どちらも同級生夫婦で仲良くしてもらっている娘から聞いてコンビニで新聞買って来ました。すこしも要らぬことが書いてなくて文章の手本のような中味に、読んで涙が止まりませんでした。
 無くすといけないのでここに書き写しました。ご勘弁ください。
いつか私のブログに「子供も大きくなったから少しづつ自分のしたいことをやって行こうと思います。とコメントをくれましたね。
 それ以前から短歌が新聞に掲載されたり、岡田菜奈の歌う歌があなたの作詞だったりと文才のある方でしたが、こうした努力も怠り無くされていたのですね。でグリン車の切符が贈られてきて東京で表彰され、それ相当の賞金を受けるのですって・・・
今は資産家の愛ちゃんですが、これはこれであなたの勲章です。かえすがえすもおめでとうございます。

   俳句  「一年生になったら」の歌聞へ来る
   
        緋袴の下はブーツの卒業子

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    門 出

2012-03-22 06:15:15 | Weblog

 八事のマリエールで孫の結婚式があった。
お母さんより派手にならないよう留袖に地味目の帯を配して出席した。
 内孫三人外孫二人のうち男性はこの子一人だけなので、夫が生きていて見たかったろうと、懐に写真を偲ばせて行った。
 カトリックの教会はステンドグラスが明るい陽光を輝かせていた。
 挙式が始まると開いた扉から先にSが厳かに歩いてきて祭壇の前に立ちそこに嫁さんになるMちゃんが、純白のウェデングドレスで父に手を携えられて音楽に合わせ一歩一歩ゆっくり進んできて、その手をSに手渡された。司祭に従って神えの宣誓や署名や指輪の交換や、二人の変わらぬ愛を誓ってのベールを除けてのキスやら、二十代の若い夫婦だけに涙の目に手をやる初々しいMちゃんのしぐさに、それを見守る会場の列席者も目をしばたたいていた。
 私の隣では、Sの母方の祖父が、やがてかなでられたオルガンや鐘に合わせテナーの良い声で賛美歌を皆といっしょに唱和しておられた。
 私がもうこれでいつ死んでも良いわと思った至福の瞬間であった。
 披露宴会場に移り指定のテーブルでそれぞれが、好みの飲み物のグラスを手にしていると頭の上のスクリーンには二人の生い立ちからの写真が映し出されて、ははは、ほほほと見入った。
 金襴緞子の赤い内掛けにお色直しをした花嫁と紋付袴の二人が皆の拍手の中を縫い樽酒の蓋を割って中央の席に着いた。
 キャビアや、ほあぐらなどの料理に舌つづみをうち、かたや来賓の言葉などで盛り上がっていて、私はビーフステーキをロゼで結んだと言えば聞こえはいいが、うわばみであった夫の代理とばかりに升酒を二杯もきこしめした。
 
気がつくと窓越しのラウンジには、またもや衣装変えをした洋服の二人が居て紫系統のドレスの裾を引きずったMちゃんと頭に、もじゃもじゃのでっかい鬘をつけたSが今風のパホーマンスをして舞台よろしく皆を喜ばせている。
 向うのおじいちゃんと二人、中に居ましょうよと言っていたが司会者に急かされて外に出て何枚目かの集合写真を撮った。
 帰りにはもうこれがニュースペーパーになって全員に配られた。
 デザートも終わると和洋見慣れた儀式で、両方の両親が並び出席の皆様に挨拶の言葉があり、若夫婦から両親へ花束贈呈をして、散会となった。
 先方のご両親は一人娘さんを嫁がせて万感の思いであったのであろう涙が光っていた。先ずは目出たし目出たし!
 その後夕方からは、100人からの友達がその場所で二次会なのだそうな。一生に1回のガンツー消耗で疲れたことであろう。がんばれ。

 俳句  彼岸まで行き着く為の一歩踏む

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能 戸 先 生

2012-03-13 20:09:50 | Weblog

句友の石橋さんに紹介していただいて日進に「能戸清司」先生のエッセー教室があることを知りました。
 ご高名を朝日カルチャーで生徒だった文集仲間の岩本さんからお聞きしていたので、即主催者の後藤さんに申し込んで会員にして頂きました。
 最初は楽しいけれど恐い授業でございました。それは私の独りよがりな稚拙な文章にいつもクレームをつけられるからでした。その実、緻密なセンスを持ち合わせない私に「誰にでも判り易く」と噛んで含めるように優しく指導してくださいました。
 今改めて月に一回提出した文章に朱筆を入れてくだすったもののファイルを見ますと何と、二〇〇六年の一〇月から二〇一一年の一〇月迄五年分もあって、浅田の生涯教室へ入ってからもうそんなに月日が経っているのかと今更ながら吃驚しています。
 私の座右に置いてある「文章はどう書くか」能戸清司一九八〇年三月の初版本のブックカバーの丸抜きの写真のお顔は、私の全く知らない若かりし頃の精悍で近寄りがたいお顔です。「論文、作文の実戦技術」も持って居ます。
 戦争中のロング小説は最初に読み上げ、今では、私の徒然草、わが昭和史等、毎日パソコンのお気に入りをなでて、読んでいますが、徒然草の一六八段の「お迎えの車」には、どぎもをぬかされました。
 先生の今執筆中の自分史も、これから青年期になって太平洋戦争に突入してゆかれるのかと思っていましたのに「え、先生欝にでもなられたの?」と心配しております。
 思い返せば、東京へ居を移されてからもう三年位にもなるのですね。いつまでも現状のままだと思うのは楽天家のわたしくらいなもので、いや応なく月日は流れます。
 栄光の執筆者の先生、これから追々暖かくなって参りますから季節と共にお元気になってくださいませ。庭の春の木や花に生命力を貰いましょう。
 身近に居ないので、お慰めする言葉に窮しますが執念で自分史を完結させてください。筆を折らないと言う心意気で元気を取り戻されますようにと祈ります。
 文中に失礼な箇所がありましたらお許しくださいませ。

  俳句   啄みに来ぬ赤き実に春の雪

 

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  誕 生 日 を 過 ぎ て

2012-03-04 22:43:30 | Weblog

 不覚にも、七九歳の誕生日が来てしまった。年齢は向うからやってくる。
 三月一日電話に出ると後輩のAさんが「お誕生日おめでとう。良かったらお昼ご一緒しましょうよ」と言ってくれた。
 おめでとうカードがきていた店で蟹寿司やら鰻やら最後はアイスクリームでゆっくりした。
 今日の記念にタクシーのシルバーチケットを申し込みたいと言うと「瀬戸は私の生まれて育った街だから詳しいから乗せて行くよ」と名鉄タクシーの西部交通まで行ってくれた。
 通常の料金より一割安く乗るために七万円の保証金を積んで月に何回利用するのかと考えれば、あまり得策でもないけれど、これも保険みたいなものと足の確保に万全を期したような気になる。
 帰りに陶生病院近くの元町コーヒーえ寄ってくれて又話こんだ。
 ここんところ運勢が良いというかめぐり合わせが良いというか思っていること考えていることがすんなりと成就する。
 次の日、二五年程前に一緒だった元の同僚から連絡があって、高針支部時代の上司が定年退職をされたから有志でお祝いに木曽路でお昼をしないかと誘って来た。
 夢か現か二、三日前にあの頃の方達は如何しているのだろう一度会いたいなあと思った処なので、内心びっくりしながら承知して、カレンダーの八日に記入した。
 今日はNさんから「お茶でも如何が」と誘いの電話があり、三月三日なので岩崎城へお雛様を見に行きたいし図書館へ「炎立つ」を返しに行きたいと思っていたところなので渉りに船と同調したら九一歳の男性、ボルボで迎えにこられてご無理が言えた。
 最後に「咲蔵」でコーヒーを頂きながら名文のコピーの一枚ものを読ませてもらって一読して何気なく返したが、奥様の介護に纏わるほろりとする名文であった。 もらって差し上げるべきであったのに、私の軽率さはいただけない。
 これも私の性分で自分中心にことを運んでしまう。謙虚に、謙虚にもっと感謝をして日を送ろう。もう今日は三日、余りに日が早く流れる。

   俳句  掻き分けて萌黄色した蕗の薹

 

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