層雲が山の中腹にたなびき、川面には霧が立ちこめて飛騨に来た感慨を新たにする。
名駅で列車に乗る時から誰彼に出会って、下呂につくまでを、退屈せずに行けると思っていたのに、缶ビールを、一人ちびちび舐めているだけだった。
それもその筈、 シャトルバスの中の三十年来の再会の顔は、記憶のそれとはほど遠く、男性の殆どが道で出会っても気付かぬ程の変わりようであった。
自己紹介で始った宴会は、話に花が咲いて「僕はあんたがすぐ判ったよ」となじられたyさんはアイドルのミッキーマウスの顔が、下駄のように四角になっていらっしゃる。「軽井沢に二千坪の別荘持ってるから、来年はそこで開きましょう」と提案されたSさんの頭はぴかぴかの無毛地帯である。女性でも中学の教頭で頑張っているMさん、この出身高校の今の校長の奥さんだと言うTちゃん、時がたつ程に、風化していた昔の面影をそれぞれ彷彿とさせタイムカプセルが三十三年前にもどってしまった。
お湯からあがってラウンジでショーが始まった頃にはもう皆十代の心であった。肩の張らない心地良さに来て良かったと思った。日頃の気負いが不思議に思えてきた。
二人目にダンスを踊ったDさんが「お前、しっかり貫録だなあ。上手に踊るねー。下呂に遊びにこいよ。上から下まで面倒みるから」とのたもうた。気の若い私は、病院長の彼が老後の躰を検診してあげるよ。と言っているのだと気付くのに、笑ったままでちょっと間が合いた。
翌朝早く一行は高山見物に出発したが、Dさんは皆も知っている一学年上の兄さんの葬式で不参加だった。幹事だったのであろう。そんなところにも、男性は、無事進行を見届けてなどと日頃のちょっとしたプロフェッショナルを、のぞかせるのであった。 1984年
俳句 * 冷房もなきキャンパスに源氏聴く
* 水楼より遠き篝火夕涼み