おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

  二月の終わり

2014-02-27 09:21:41 | Weblog

 例に依って、今年も宅配とまとが「明治の特約店」サービスで日頃のご愛顧に感謝をこめてという理由で「梅園散策&カに料理満喫の旅」へ連れて行ってくれた。
 25日7時20分に名駅西の「ゆりの噴水」へ集合してバス2台で出発した。
 この2、3日新聞を賑わはせている、歩道にレンタカーを乗り上げ木に追突させて通行人13人に怪我をさせたと言う笹島の交差点を通って最初の休憩所の養老サービスエリアへ着く。
 バスの中ではひとしきり「親はどんな気がするかねー」と話題になった。
 今日は晴天の筈なのに北陸路は時雨さへ来て伊吹山が少しも見えない。
 福井県に入り三方五個を右に見て若狭へと走ってくれるのだけどあちこち残雪が山陰にあり仰山の梅街道に、梅がちらとも芽吹いてなくて硬いままで白かピンクかさへ定かではない。
 パンフレットの勧誘に偽りありである。2月23日から3月8日までの日程で名古屋発は2月23日からの3日間だけなので、運が悪かった。
 ちなみに去年は「春の京都においでやす」で3月13日に清水寺へ行った。  此の時も桜の開花には早かったが、見下ろす景色はほのぼのとピンクで浅春の眺めが堪能出来た。
 食事処の「千鳥苑」から見える日本海は茫漠と煙っていて写真にならないのが残念で店内のお福さんのペアと植木鉢の梅を撮った。
 福井県では「さかな街」会館でへしこや蒲鉾などを買い、岐阜県に戻ったところで「高木ミンク」というモード館で所用時間の90分を過ごした。
 カードを出して何十万もする毛布を買う
人等がありバス会社も採算が取れるというものか。
 何のかのと言いながら私も、肩から掛けるポーチを買った。
 買い物ツアーも気分転換になるのであろう、私の試算ではこのツアーだけでも車に乗らない層の人達が千人は参加するのである。

   俳句  若狭路はまだ固かりし蕗の薹

 

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二月(悲喜こもごも)

2014-02-18 19:58:48 | Weblog

 エッセーと言うより、この四、五日を書き立てヽみよう。
十四日「ござらっせ」の美し処が予約してあったので、昨夜来の雪の中をNバスで出かけた。
 一時間余をジャブジーや炭酸泉につかってゆっくりした。バレンタインデーなので外湯はチョコレート湯であった。
 明日は孫娘Uの結婚式なのでいつになくカットの髪をカラーで巻いてもらった。
 夕方家に帰ると、留守番電話が点滅していて義姉の死を知った。施設へ入って二ヵ月半、九十四歳動脈瘤破裂とのことであった。
 私にとって有難かったことは、喪主の都合で明後日がお通夜だったことである。
 十五日十一時半、息子一家と名駅前の「グアランクレール」と言う結婚式場へ出発した。
 広小路線を真直ぐ走った方が良かったのか高速は雪のせいなのか、すこぶる渋滞していて私の着付けの十二時半を十五分も遅刻をしてしまいはらはらした。
 十三時半からの親族の顔合わせが終わり人前結婚式が始まった。
 上司や友達やら百人ほどの大勢が、父親と腕を組んで歩み、婿殿にバトンタッチをするところを息を詰めて見守った。
 指輪の交換やベールをはねる処や誓いの言葉など粛々と式は進められ、花嫁の裾ながく引く純白のドレス姿はえも言われぬ美しさで、お相手も光ものの薄いグレーの色のスーツが良く似合う京大卆のイケ面様であった。
 最後紋付袴と振袖に衣装変えした二人はケーキを執刀した。
 永いフルコースの宴会では飲み物は選り取りみどりで、幼い頃からの写真が映し出されたり、何人かのはなむけの言葉があったりして、最後はUのナレーション入りの親に捧げる感謝の言葉があった。
 壇上に並んだ四人の親の目には涙が光っていた。私も娘の今までの労を讃えて、人知れず涙ぐんだ。
 さてその日は目出たい日なので娘には伏せてをいたが、翌日は昼間町内の期末の役員会に出席してをいて、夕方息子と義姉の通夜に出かけた。
 娘とは半月前に見舞いに行ってあったので欠礼ながら顔は立った。
 こちらも仏式ならぬ人前葬儀で二十人程が広すぎる会場でお花に囲まれた祭壇で、よくこんな良い写真が(娘の頃京都の大映からスカウトに来た人)と感心する在りし日の顔が、お花に埋もれて笑っていた。
 ティアの司会者に従ってつぎつぎと焼香を済ませ名古屋流、さぶし見舞いの助六を頂いて帰り翌日の葬儀に備えた。
 翌日は淡路からも親族が駆けつけたり、平日なので多少人の入れ替わりはあったものの総勢で八事の焼き場で一時間半待って喪主の携える写真とそんなになってしまった骨壷とで葬儀場へ帰り初七日の会食をして散会した。
 三月一日は私八十一歳の誕生日である。

 大聖人の御金言にあるように「冬は必ず春となる」    南無妙法蓮華
 

   俳句     春よ春婚の二人のシルクのロード 
           バレンタインデーチョコを入れたる外湯かな
           如月や二人とも逝きたたむ家

                 

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  冬 籠 り

2014-02-08 14:47:27 | Weblog

 梅見に行かぬせいか、最近面白いことが無いなあとなげきつつ耳鼻科へ行った。
 前から嗅覚を気にしていたが、今日は最近とみに耳が遠くなったような気がして耳を診て貰いに行ったのである。
 受付のノートに記名をするとき、すぐ上の欄をみて「ミズタ二」と言う人がこの辺にあるんだと一人合点をしていた。
 やがて診察室から出てきた人を見ると五人の孫の内の一番下の大学生の女の子であった。
 花粉症でかかって居るのだと言う。続いての私の診療を待ってもらって、近くの「おかげ庵」で昼食をした。
 若い彼女に合わせてスパゲテーをたべて、彼女がグリンティをわたしがコーヒーをのんだ。
 新年会で会った曾孫のことを聞くと「良く家にくるけどもう足が出来て走ってるよ」と言った。
 十日の句会の兼題の「鏡餅」に
  
  ○ 這ひ這ひの届かぬ高さ鏡餅

 を出そうと思っていたのに最近孫俳句が多くて駄目である。
 彼女も自転車で来ていてこれから車校に行くといっていた。
 じゃねと別れたが昨日も一昨日もそれぞれの友達とランチをしたのに、この日ばかりはなんだか、るんるん気分で薬のせいか耳まですかーとした気分である。
 そこへ今朝はこの冬今になっての初雪である。
 どんどん積もって行くのを診ていると楽しくて気分が高揚する。
 子供の頃と同じ情景である。違うとすれば、あの頃はこう言う置炬燵ではなくて、どぼんこという掘り炬燵であった。
 手持ち無沙汰な姉妹が二三人足を入れて布団をかけて、庭に積もる雪や雀を見ていた。
 母は大勢の食事の支度やら、薪で焚く風呂やらの用事で仲間になることは少なかった。
 今日の格言は  「孫の診療費の多いのに比べて一割負担の私は微々たるものでありがたいなあ」である。
 
   俳句  
はだれ雪鳥はばたきて落としける

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