『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

こんな笑いが大好物

2020年12月06日 | 考える日々
否応なく降りかかってくる課題のアレコレの中で、
なんとかかんとかそれに対応しながら生きていく。
その中で見えてくるのが、自分らしさ。

人と何かしてるうちに、
「私ってこういう対応するんだ」
「こういうのは、人より得意(苦手)みたいだ」
「自分はこういうことされたら喜ぶのか~」
などなど、人を鏡にして自分の個性が見えてきます。

まぁ、みんな違ってみんないい、って言うけど、
組織の中ではみんな違ってみんな大変、な事の方が多くて、
真正面から根本的に向きあうパワーがない時は、
チラ見せしたりして反応を見ながら、
無理そうなら、無難にやりすごします。

性格的にも能力的にも「論破する」とかは無理だから、
やり過ごす能力を育ててしまったけど、
これはこれで必要だし、結構便利。

基礎エネルギーの多い人は、
その都度、目の前の課題に向き合って、
あちこち壊して、作りなおすから、
当惑される一方で、
もっとイイモノを再構築するスピードも速い。

基礎的なパワーの少ない私のようなタイプは、
「全面的な賛成じゃないけど、モノゴトは進めたい」という時に、
自分をいったん黙らせて、やり過ごしながら聞く。

その意味では、
そこにいるのは私じゃなくてもいい。
代わりの誰かでもいい。

組織を背負わない場所なら、
1人ひとりが素直に自分の感性を出せるか。
それぞれの違いによって、
1人じゃ届かない所まで行けるような、
深い話ができる場所と時間が持てるか。

だから、少人数が好きなのよ。
そして、ノリとオチの会話以上の楽しさを求めるのよ。
そーゆーのが好きすぎて、でも場を仕切るほど上手じゃなくて、
自分でめっちゃもどかしいのよ~~~。

自由や幸せや生きるや死ぬや…
みたいな話をしたい時は、
要領を得ないもどかしさは当然です。

持ちネタの披露やこっそり自慢やマウントや承認欲求じゃなくて、
相手と言葉の掛け算をしながら、
自分が普段届かないところまで光をあてて、
その時におぼろげに見えそうなものを、
そっと取り出してみる作業。

自分史上初のものが出て来るワクワクに比べたら、
ノリやテンポなんか、さっさと諦める。
そのワクワクする作業に、
相手も取り組んでいるとわかると、すごく嬉しい。

もちろん、これはいつでもできる事じゃなくて、
慣れない人だと気を使わせるから、
まぁ、困らせないのがマナーかな、と。

相手が開いてる時には、まっすぐ開くのがマナーだけど、
相手を無理にこじ開けようとは思わない。
ただ「無難にやりすごす癖」みたいなのは身に付けてしまったかも。
誠実じゃないね。

誰でもいいから聞く人が必要な時には、
黙って隣にいる方がいいし、
煮詰まっている時には、
軽い笑いが、心開くために役立つ事もある。

そうそう。
関西人だから言うわけじゃないけど、
安心して話せる場を作るために、
笑いは空気を和らげてくれる。

「スーツで付き合う場所じゃなくて、
素で楽しみたいから、失礼とかナシで、
お互いTシャツくらいで行きましょうか」
って、伝えられる。

笑いの中でも、
誰もバカにしない笑い、自虐でもない笑い、
「人ってこんなとこあるよね」
みたいな笑いは結構好き。

特に、
きれいなドレスを着こなしていたはずなのに、
脱いだらどっちも同じ下着だったよ!
何のために、ドレスを着てたんだか(^^)!
みたいなのに気づいた時の笑い。

お互いに、誠実に心開いて、
真剣に向き合っている時に突然訪れる
「私もアナタもアホやなぁ、
そこも含めて、どっかカワイイよね、
ニンゲンって、愛おしいなぁ~♪」
みたいなのがサイコー!


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