On The Earth

いろいろ興味があることを、とりあえず書き連ねてみる。

そういえば5周年だった

2010-10-31 23:59:59 | いろいろ
ばたばたしすぎてすっかり忘れてたけど、ブログ、5周年です。開設丸5年。過去2年かそれ以上、毎日書くのは不可能になったし、そんなに素敵なエントリーも書けてないけど、一応まだ読んでくれる人はいるみたいで、ちょっとうれしい。何回かシャットダウンしようとも思ったけれど、断続的にせよ過去5年分の思考が詰まってて、ぱっと閉じちゃうのももとたいないなぁと思っているうちに、6年目に突入してた。

最近出かけてたとこの食事が脂っぽ過ぎて、まだちゃんとごはんが食べられなくて。胃をいたわってたら、頭がくらくらしてきて。薬を飲むのは好きじゃないけけど、ちょっとなんとかしないといけないかも。放置するとほんとに体調崩しそう。いくつかの不思議なデジャブがあった。どのくらい前かわからないけど、ここたぶん1年か1年半くらい前に、その場所を夢の中で訪れていたはず。1週間前まで、すっかり忘れてたけど。

気が付いたら終わっちゃう10月。一気に寒くなって青空が見えないのがdepressing.11月は好きじゃないから、もっと10月が長引いてくれればいいのにと思う。i hear rain on my window. 雨は嫌い。どうせならもっと寒くなって雪が降ればいいのに。i hope november, the worst month for me most of the time in some reason, won't kill me. the most depressing season in a year.

i still feel china in my stomach.
does it sound poetic?
not at all. it means something is wrong with my stomach.

i hear people shouting. i hear people seeking change. i hear people.
understanding the others is far easier than understanding myself.

完璧主義国家の悲劇

2010-10-29 02:26:18 | いろいろ
お出かけから帰ってきて早3日。基本的に食べ物がoilyだったから、未だに胃が止まってる。今日はおいしい野菜をたくさん食べたから、少しは胃腸が復活してくれるといいのだけれど。

結論として、どのような国においても、国家と国民は分けて考えることができると思う。もっとも、国民に対するイメージから国家の選択を予想できるかというと、必ずしもそうとは言えない。特に民主主義国家でない場合は。それでもなお、国家というひとつの枠組みのの中で生きている人達は、それぞれ自分の意見や考え方を持っている。それを、どれだけ表に出せるかは、状況によってかなり異なるけれど。

民主主義国家の最大の強みは、国家の失敗を国民の責任にできること。だから、それができない全体主義国家は、完璧主義国家でなければならなくて、対内的にも対外的にもとても苦しいのだろうなぁと思う。それに対して、私は何もしてあげることができないし、自分にとって幸せな価値観を盲目的に押し付けるべきでもないと思う。ただ、全体主義という衣に覆われた一見未知の国家に、普通に話したらかなりの程度わかりあえそうな人たち、国家が表向き掲げている思想に洗脳されているわけではない人たちが、おそらくかなりの程度いるだろうことを知った以上、国家という枠組みを精神的に飛び越えて、そこに暮らす人たちの幸せを願わずにはいられないんだよね。


out

2010-10-19 01:10:27 | いろいろ
i'll be out for a week. may won't be able to have phone and internet access. i'll write down something if its possible sometime. see you soon.

今夜は眠る時間がないみたい。さっき2時間おひるねしたから何とかsurviveできるかなぁ。

waste

2010-10-18 02:22:28 | いろいろ
がんばらなきゃと思って大学ばっかり行ってたら、大学行くことが常態化しちゃって、大学行っても緊張感がなくなってきた。。んー、がんばらないと。色んな雲行きがよくなくて、とても嫌な感じ。お出かけの予定も急遽中止になりそう。なんか、週末ごとに、3,4時間体内時計が狂っちゃう。バランスが整わないのはこのところずーっとのことで今更おどろくことでもないのだけれど。

神経が高ぶってて眠れないし。いらっとするし。眠るとどこかへ遅刻する夢ばかり見るし。混乱している。
遠くに行きたいのに。ずっと、遠くに。ずっとずっと遠いところに。

久々に友達から電話がかかってきて、なぜか2時間くらい話しちゃう。どちらかというと中身の薄い話なんだけど、今日は本ばかり読んでいたから人と話してちょっと軽くなった感じだからそれはそれでいいや。


feel like wasting my life.

2パターンの話し方と会話の生産性

2010-10-16 23:59:59 | いろいろ
人の書いたものを読んだり、話を聞いたりすると、その人がだいたいどういう人かつかめるでしょ。何を考えてて、どんなものが好きで、どんなことが苦手か、とか。だけど、それなりに話を聞いても、そういう個人的な嗜好がほとんど表れない人というのもまた、ときどきいる。そういう人の話は、あんまりおもしろくないことが多いけど。

人が話をするとき、話す内容はおおざっぱに2パターンに分けられると思うんだよね。一つが、自分の考えていること、思うところを話す。もう一つは、自分の行動やどこかで仕入れた情報について。特に考察や感想はなく。大方の人というのは、この2つのパターンをミックスさせて話すと思う。そのバランスに程度の差こそあれ。情報や行動と、それについて思うところを掛け合わせて。

けれども世の中には、後者だけについて延々と話し続ける人がいたりする。その人がある世界の情報通の場合は、自分では手に入れられない(あるいは積極的にはほとんど興味を持たない)新しい話を聞けて、まれに楽しいこともあるけど。でも一般的には、そういう人の話というのは、おもしろさに限りがありすぎるんだよね。なんか、その話を聞いてちょっとは考えたり思うところがあっても、あんまり話が弾まないし。その人の行動とか好んで話題にすることからある程度どんな人か察しはつくのだけれど、決定的に理解しかねる感じで。だから、何回話したとしても話が発展することもなく、かなりの程度生産性に欠ける。そして相槌を打つことにすら苛立ちを覚えたりするわけで。そこまでいくのは相当レアケースだし、たいていはその前にどうにかその状況から脱出する方法を考えてるけど。だけど一つの問題は、ほぼ行動とか経験についてしか話さない人は、かなりおしゃべり率が高い。そしてそれが、こちら側がほぼ把握していない世界の話に終始することが多くて。コメントもほぼしようがなくて。あるいは、コメントしようと思うほど興味深い内容でもなくて。会話がコミュニケーションじゃなく、ただの一方的な報告みたいで。そして、話し始めると延々と話し続けて、かなり長い間話し続けた後でないと、話が終わらないっていう。内容がおもしろくておしゃべりなら特に構わないのだけど、話す中身が詰まらなくておしゃべりな人というのは、一瞬で話す気力を奪われるよね。そういう人というのは、本当に何も考えていないのか、それとも、自分の意見や考えを話の中に決してさしはさまないように細心の注意を払っているのか、どちらなんだろうね。もし後者だとしたら、マスメディアやしょうもないコメントをするニュース番組(というか情報番組という名で物事をソフトニュース化して流す番組)の出演者に、少し見習ってほしいなぁと思ったりもするけれど。


一点ご連絡。予定通りにいくと、火曜日から一週間携帯が音信不通になる可能性が高いので、何かある人はお早めにご連絡を。特に何もないと思うけど。そして予定通りにいくかもちょっと確証がないけど。

独裁者と権力と検閲

2010-10-15 02:12:03 | いろいろ
睡眠時間は足りてるはずなのに、眠りが浅くて。夢見が悪すぎる。とても。どうしようもないけど。起きた時からこめかみがぴりぴりしてて、頭が重めで。ふつう、10月は基本的に調子のいい季節のはずなのに。眠るのも起きるのもあんまり簡単じゃない。もともと朝はダメな方だけど。


劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞した。世の中は私が思っているよりも、ずっとずっと速いスピードで動いているみたい。日本を抜いて世界第2の経済大国になろうとしている中国に、西側が西側の価値観に中国か近づいて行くように、プレッシャーをかけ始めたから。ノーベル平和賞が自国の罪人に授与されると言うのは、どういう気分なんだろう。報道を鎮圧したとしても、平和賞以外のノーベル賞が発表されて、平和賞だけ黙殺されていたら、中国の中にいる人は、純粋に、ノーベル平和賞が誰になったのか興味をもつと思うのだけど。ね?

テロリズムとnation-stateと中国のノーベル平和賞への対応なんかについて、色々書きたいことがあるけど、今はちょっと元気がないので、最近お気に入りの言葉を引用して今日はおしまい。今年のノーベル文学賞を受賞したマリオ・バルガス・リョサ氏。

「優れた文学は、将来自由に生きるための礎(いしずえ)となる。権力に簡単に躍らされない市民を作り出すからだ。良い文学ほど社会における批判的精神を目覚めさせるものはない。だからこそ、独裁者は検閲をするのだ」

私は知らない人だったけれど、今度何か読んでみる。たぶん私は彼の作品を好きになると思う。

自然物

2010-10-05 00:37:36 | いろいろ
テンプレート改装。砂漠と空は飽きないけどちょっとあっさりしてさみしすぎる気もして。あと砂漠はあんなに開けた空間なのになんだか閉塞感があるようにも思えてきて。ちょっと派手に。vividに。タイルはアルハンブラ宮殿のどこかの。青空はバルト海の空で、夕焼けも多分バルト海の船の上からみた空だと思う。でも、違うかも。うろ覚え。だけど、アルハンブラのタイルはずっと置いておくかは不明。携帯の待受でもそうだけど、人工的なデザインって気に入ってもけっこうすぐ飽きちゃって。人工的だから。artificialだから。コーチとかアルマーニが凝ったデザインの待受をリリースして喜んで使ってたけど、1週間しないうちに目がちかちかしてきた。パソコンのデスクトップでもそう。自然物の方が好き。自然物じゃないもので飽きなかったのは、今までガウディ作品くらい。ガウディ作品は気が休まる。癒される。とてもおススメ。人生で一度は本物を観るべき。そのために時間とお金をかける価値があるし。私は一度見たけど、何度でもバルセロナに行きたいと思う。世界でいちばん住みたいアパートはカサ・バトリョ。毎日カサ・バトリョに帰ったら、それだけで幸せな人生になりそう。鉄をあんなに柔らかに暖かに使える建築家(というよりもむしろ芸術家)を、私は他に知らない。人工的に自然感を作りだす天才。ガウディ。


hates

2010-10-03 23:51:52 | いろいろ
had a slight headache all day. cannot gain appetite back though summer has already over. it's strange. i wanted to do lots of things this weekend but even one of them are completed. i'm soo irritated. i hate hot humid summer. i hate rain. i hate strange dreams. i usually change my schedule diary in nov or dec but i bought new one yesterday. needed to change something. i used to dislike june and november and now i may dislike september as well. sort of depressing seasons and i hate climate of these months. still, it's not bad to have some energy and some space to write down what i'm holding. the worst thing is lose the will of giving vent to my pent-up feelings.


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彼女はちょっとだけ首をかしげた。そして手のひらの上で、カシュー・ナッツを転がした。
「なかなかうまくいかないものね」
「なかなかうまくいかない」と僕は言った。
……
「小学校の頃まではなんとかうまくいってたと思うんだけど、上の学校にあがったらぜんぜん駄目だった。ずっと井戸の底で暮らしているみたいだった」
それは大学に入ってから、有紀子と結婚するまでの十年ばかりの間、僕がずっと感じ続けていたことでもあった。一度何かがうまくいかなくなる。するとそのうまくいかないことが別のうまくいかないことを生み出す。そして状況はどこまでも悪くなりつづける。どうあがいても、そこから抜け出すことができなくなってしまうのだ。誰かがやってきて、そこからひっぱりだしてくれるまで。
村上春樹『国境の南、太陽の西』pp.127-128.

近代国家の誕生で人々は国家から解放された

2010-10-03 03:14:46 | いろいろ
はじめに断わっておくけど、学問的にいろいろ調べて書いている文章ではありません。あくまでも自分の頭の中のごちゃごちゃなこと。


ウェストファリア体制以降の近代国家、すなわちnation-stateの建設は、nationにstateを自発的に支持すること、nationにstate(社会秩序のシステム装置)を積極的に構成させること、(自発的な)参加によりstateを保持させることをを条件に、その構成員を国家から自由にした。そのstateは往々にして法治国家であり、法治国家であることの正統性がnation-stateによって与えられている。そして構成員は、国家から自由な個人になったのと同時に、国家の外(つまり外国)では、個人としての責任を負うことになった。

一方で、全体主義国家や共産主義国家では、人々は国家から解放されない。というか、国家の構成員が国家から精神的にも物理的にも離脱しないことを、全体主義国家、共産主義国家は求めている。絶対条件としている。それは社会主義国家にもいえそう。では、nation-stateが全体主義国家あるいは共産主義国家の構成員に対峙する時、nation-stateの側は、その構成員を、自らの構成員と同じような個人として扱うべきなのか、それともあくまでも全対主義/共産主義国家の構成員、つまり、それらの国家stateの一部として扱うべきなのか。という難しい問題。

思想やイデオロギーに優劣をつけることはあんまり好きではないのだけれど、こと人権についていうなら、近代国家の方が全体/共産主義国家よりも、進歩的な考え方を持っている。というのは当然で、前述のように近代国家は個人の強い尊厳を制度的に認めているけれども、全体/共産主義国家にはそのようなことを認めていないから。あくまでも構成員は国家と一体、国家の一部。近代国家は、言い換えるなら、個人をstateから放出することと引き換えに、stateに対する権威づけを構成員によって行わせた(そしてその後も行わせ続けていく)装置を創り上げることに成功した、ということ。一方全体/共産主義国家は、構成員に対する外的脅威(国外における振る舞いで他国の法を犯しちゃった場合とか)からも、論理的整合性を越えて保護することを条件に、構成員をstateに縛り付けている、ということ、かも。もっとも、自由貿易とグローバリゼーションの進んだ21世紀の世界で、国家に縛り付けられることによって構成員が得る利益は、近代国家で国家から自由になった個人が獲得する利益よりも、甚だしく小さなものであるように思うけれど。

国家の振る舞いによって全体/共産主義国家の構成員が傷つく場合、かつ、近代国家がなんらかの介入によってそれらの国の構成員を救済することができる場合、近代国家は介入すべきなのか。つまり、構成員を「個人」とみなすべきなのか、それともあくまでも、「国家の一部」とみなすべきなのか。という本質的には一つ目の問題と同じ、難しい問題。

そして、春樹のエルサレム賞受賞スピーチが響く。

good night.