出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

劔神社(剣神社)

2012年07月19日 | 松江市(旧八雲村)

風土記:詔門社
延喜式:能利刀神社
雲陽誌:劔山明神
様  式:大社造変態
御祭神:伊弉冊命・大山祇命・中山祇命・麓山祇命・正勝山祇命・籬山祇命

   

旧松江市域大草町より旧八雲村へ至る神納峠より東に伸びる舌状の山は剣山と呼ばれ、同社はその東側の山頂に鎮座。八雲村を北進して大草平野へ入る意宇川は、剣山を突き抜けることが出来ず、一度東に蛇行、大きなS字を描いていた。戦後間もなくの空中写真にその流跡を見ることができます。度々の水害を避けるため地元の豪農周藤氏歴代、周辺住民の努力により世紀を跨いで、山一つを切り開く偉業を成し遂げ、今日に至っております。

東端の鳥居を潜り百数十段の石段を登ると、拝殿と本殿のある上の壇に至る。社殿の周囲には木々が茂るが屋根を超えるものは少なく、明るい陽の光を浴びていた。細い尾根上の境内だけに、本殿両側の敷地は狭く、後背の境内社も軒を連ねて建っていた。本殿はさほどに大きくはないものの、屋根上の千木は前後で切り方の異なる珍しい構造になっている。男神・女神をあわせ祀る当社の性格を示すともいわれる。

 

当社の由緒ならび創建年代は詳らかではないが、『旧八雲村誌』等は風土記意宇郡の詔門社に比定する。神話の中で、黄泉の国に伊弉冊尊を捜し求めた伊弉諾尊は、その醜き姿を見て恐れ逃げ、その姿をみられて辱められた女神は、黄泉の国の軍勢を差し向けて男神を追う。その際、伊弉諾尊は剣を抜き払って退け、やがてこの地に及んだともされる。揖屋神社、黄泉比良坂の伝承とあわせ一連の神話を形作る。一方、当地は意宇川上の熊野大社の遥拝する位置にあり、伊弉諾尊・伊弉冊尊両神の礼拝所、あるいは諸山神が祝詞を捧げる地であったともいわれ、風土記・延喜式の能利刀社に比定される由縁となっている。

〈境内社〉
  
本殿後背に木造社二宇あり、また前方に社日碑一基あり。藤森神社に舎人新王を祭り、学問の神として崇められる。また稲荷神社に稲倉魂命を祀る。

《境内 日吉社》
 
社名:日吉神社
祭神:大己貴命
剣社境内に下の壇に木造社一宇。日吉神社とされる。もとは字 日吉、字 大草の境山王山に鎮座しており、雲陽誌には山王社と記される。当地が日吉神社の荘園に含まれるにいたって、本宮より勧請されたものと考えられる。明治四十四年、旧社地より現在地に遷座される。

〈所在地〉
島根県 松江市 八雲町 日吉

参拝日:平成24年 4月28日

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