買い物に行ったら小銭入れのチャックが開いていて、レジで豪勢に小銭をブチまけて騒動を起こしてしまった。
心の修養が出来ておらんではないかorz
今日はエフレムの祝文について少し。
シリアの聖エフレムについてはnikoyuri姉のブログに詳しい説明があるのでそちらをご覧いただくとして(手抜き!)大斎と言えば「エフレムの祝文」。
★ ★ ★
主、我が生命(いのち)の主宰よ、
怠惰(おこたり)と煩悶(もだえ)と
しのぎと空言(むだごと)の心を
我に与うるなかれ。(伏拝一次)
貞淑(みさお)と謙遜(へりくだり)と
忍耐(こらえ)と愛の心を
我、なんじの僕に与えたまえ。(伏拝一次)
ああ、主、王よ、
我にわが罪を見、我が兄弟(けいてい)を議せざるを賜え、
けだしなんじは世々にあがめほめらる。(伏拝一次)
神よ我罪人を浄めたまえ。(六次、弓拝)
主、我が生命(いのち)の主宰よ、
怠惰(おこたり)と煩悶(もだえ)と
しのぎと空言(むだごと)の心を
我に与うるなかれ。
貞淑(みさお)と謙遜(へりくだり)と
忍耐(こらえ)と愛の心を
我、なんじの僕に与えたまえ。
ああ、主、王よ、
我にわが罪を見、我が兄弟(けいてい)を議せざるを賜え、
けだしなんじは世々にあがめほめらる。(伏拝一次)
★ ★ ★
弓拝は右手を地面につけるようにして腰をかがめる。
上半身を90度に折ったお辞儀を想像していただければよい。
神への屈服、謙遜を表す。
伏拝は全身を折り曲げてひれ伏す。
つまり土下座。
へりくだり、痛悔、礼拝、服従の心、「我」を折ることを表す。
それぞれ十字を描いてから行うのだけど、必ず課のしめくくりにある(例えば昨日今日あたりの午前中のお祈りを全部やるとすると、早課・一時課・三時課・六時課・九時課・晩課で大体2時間半~3時間かかる。で、各時課ごとに一回はエフレムの祝文がある)から、何というか祈祷の句読点て感じで、ちょうど体を動かしたくなるのよねというか(マテ
ちなみにこれは土日祝日は行わない。大斎の平日のみ。
伏拝もそうだし、十字を描いたりロウソクあげたり祭日によって祭服や覆いの色が変わったりと、正教会ってカタチや所作から入るところがある。
あてくしはそういう形式や伝統のマッタクない(というかバカにしてた)バイブルカルトあがりなので、それがとっても新鮮だった。
田原町の仏具屋さん(爆)のポスターじゃないけど「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」ってなかなか言えてるじゃんと。
先日NHKで、茶道をやってる外国人が「所作を習得することで、精神が開放されるのです」って言ってた。アーメン。
心が伴わなければ単なる形式主義だけど、伴えばこれはすごく深い。
まあねえ、小銭バラまいて大焦りしているヤシが言うようなことじゃないけどw
心の修養が出来ておらんではないかorz
今日はエフレムの祝文について少し。
シリアの聖エフレムについてはnikoyuri姉のブログに詳しい説明があるのでそちらをご覧いただくとして(手抜き!)大斎と言えば「エフレムの祝文」。
★ ★ ★
主、我が生命(いのち)の主宰よ、
怠惰(おこたり)と煩悶(もだえ)と
しのぎと空言(むだごと)の心を
我に与うるなかれ。(伏拝一次)
貞淑(みさお)と謙遜(へりくだり)と
忍耐(こらえ)と愛の心を
我、なんじの僕に与えたまえ。(伏拝一次)
ああ、主、王よ、
我にわが罪を見、我が兄弟(けいてい)を議せざるを賜え、
けだしなんじは世々にあがめほめらる。(伏拝一次)
神よ我罪人を浄めたまえ。(六次、弓拝)
主、我が生命(いのち)の主宰よ、
怠惰(おこたり)と煩悶(もだえ)と
しのぎと空言(むだごと)の心を
我に与うるなかれ。
貞淑(みさお)と謙遜(へりくだり)と
忍耐(こらえ)と愛の心を
我、なんじの僕に与えたまえ。
ああ、主、王よ、
我にわが罪を見、我が兄弟(けいてい)を議せざるを賜え、
けだしなんじは世々にあがめほめらる。(伏拝一次)
★ ★ ★
弓拝は右手を地面につけるようにして腰をかがめる。
上半身を90度に折ったお辞儀を想像していただければよい。
神への屈服、謙遜を表す。
伏拝は全身を折り曲げてひれ伏す。
つまり土下座。
へりくだり、痛悔、礼拝、服従の心、「我」を折ることを表す。
それぞれ十字を描いてから行うのだけど、必ず課のしめくくりにある(例えば昨日今日あたりの午前中のお祈りを全部やるとすると、早課・一時課・三時課・六時課・九時課・晩課で大体2時間半~3時間かかる。で、各時課ごとに一回はエフレムの祝文がある)から、何というか祈祷の句読点て感じで、ちょうど体を動かしたくなるのよねというか(マテ
ちなみにこれは土日祝日は行わない。大斎の平日のみ。
伏拝もそうだし、十字を描いたりロウソクあげたり祭日によって祭服や覆いの色が変わったりと、正教会ってカタチや所作から入るところがある。
あてくしはそういう形式や伝統のマッタクない(というかバカにしてた)バイブルカルトあがりなので、それがとっても新鮮だった。
田原町の仏具屋さん(爆)のポスターじゃないけど「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」ってなかなか言えてるじゃんと。
先日NHKで、茶道をやってる外国人が「所作を習得することで、精神が開放されるのです」って言ってた。アーメン。
心が伴わなければ単なる形式主義だけど、伴えばこれはすごく深い。
まあねえ、小銭バラまいて大焦りしているヤシが言うようなことじゃないけどw
立ち上がる際、譜面代につかまりたくなる私だったりします…。
「霊(たましい)よ、爾は昔モイセイの置かれたる筐(はこ)が宮に在る如く河の波に漾(ただよ)はされて、ファラオンの謀の哀しむべき迹を遁れしを聞けり。」
…っても、詳細なイミがわかっとらんのですがorz
弓拝(あ、漢字変換ででてこない~)って体が硬いときつそうですね。
一次とか六次というのは回数のことですか?
昔洗礼を受ける前、友人の曹洞宗のお坊さんの庵で
座禅会と精進料理会によく行ってました。
私なんぞがかじる禅は所作がほとんど。
でもその中に精神統一ができてないと所作は乱れて
すぐわかっちゃう。
短大時代、競技舞踏をやってましたが
気持ちが入ってないとホールドの形が崩れます。
形が整って無駄なく動けると
ダンスに気がのります。
日常から離れて神様に心と形で仕えるのはいいなあ。
あこがれますよ。
痛悔の時にスカート踏んづけるのは私もいつものことですが…
エフレムの祝文ですが、大阪のマートゥシカの伏拝スタイルwにあこがれて、立ったままの位置から伏拝するやり方を覚えましたぞ。
これだとスカート踏みませぬ。
>まる姉
おお、出エジプト記のあたまのほうですな。
ヘブライ人の子供は男の子ならすぐ殺せだとかナイル川に投げ込めってファラオのお触れが出てたんですよね。
>まめたろう様
そうなんです~、私は体が硬い上にギックリ腰にすぐなるので、こわくて90度折り曲げられません。
カタチからして既に謙遜じゃないという…(大汗
そうです、回数です。初めから一回とか書けばよかった、すみません。
>もときっちょむ姉
ご賛同いただきましてありがとうございます(^^)
ほんと、動揺するとすぐ出ますよね。
連動してるんだなあと思います。
>ニコライ兄
よかったですね。
初週と受難週は、出来れば参祷したいですもんね。
ところでステハリでドラッグ・クイーンちゅうのがイメージわかんのですが…w