大倉草紙

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【和歌山】 南方熊楠記念館と南方熊楠顕彰館

2009年07月06日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
2月8日(日)
本日の行程:(車) → 【熊野本宮大社】 → 【大斎原】【有間皇子の碑】 → 【白良湯】【南方熊楠記念館】【闘鶏神社】【南方熊楠顕彰館】【奇絶峡】【紀州備長炭発見館】【道成寺】【和歌山県立箕島高等学校】

【南方熊楠記念館】

密林に入り込んでしまったのではないかと思うほどの植物。


少し急な坂と階段を登り切ったところに、昭和天皇の御製碑が建っている。
「雨にふける神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
昭和天皇は、昭和4年に神島にて南方熊楠の出迎えを受けて生物の研究をなさったときのことを、後に白浜町へ行幸の際に回想して詠んだものだという。
熊楠は、キャラメルやタバコの箱を標本箱にしていたが、昭和天皇に御進講の際も、キャラメルの箱に粘菌標本を入れて進献したそうだ。


館内で、南方熊楠に関してまとめたDVDを観る。
19ヶ国語を操り、驚異的な記憶力を持ち、世界各国を飛び回り、多岐に渡る分野の研究を深めた熊楠の生涯は、10分余りDVDでは紹介しきれない。
DVDの構成が良くないというのではなくて、熊楠自身が捉えきれないほどのスケールの人間なのだ。
展示されているのは、少年時代に他家で読んだ本を記憶から書写したもの、南方マンダラ、デスマスク、孫文から贈られた帽子、粘菌の標本、等々。


屋上からの眺めは素晴らしい。
これは、田辺湾、かな?


遠くに神島も見える。


【南方熊楠顕彰館】

南方熊楠顕彰館は、2006年に開館されたばかり。
旧南方熊楠邸にあった文献、書簡、標本などが保管されている。


南方熊楠顕彰館と南方熊楠邸は隣接している。


楠の木
大正5年(1916)、熊楠が入居したときには既にこの楠の木は生えていたという。
熊楠は、自分の名前と同じ文字を持つこの木をいつくしんでいたそうだ。


母屋


土蔵


書斎


安藤みかん
「田辺・上屋敷の旧藩士安藤治兵衛の邸内に大きなみかんの木があったところから安藤みかんと呼ばれた。安藤邸のみかんが枯れると次に大きかった熊楠邸の木が天然記念物に指定された。熊楠は毎年このみかんの汁を飲み、友人にも贈り、付近の農家には栽培を呼びかけていた。」(案内板より)


センダン
「古くはオウチといわれ楝、樗の漢字があてられる。神島にも自生し、遠目に見るとフジの花のように美しいと熊楠は讃え、昭和4年、ご進講のあと『有難き御世に樗の花盛り』とその心境を詠った。また、臨終の床で『天井に紫の花が咲いている』と詩のような言葉を遺したが、それは夢うつつに顕れたセンダンの花だろうといわれている。」(案内板より)
初夏に花咲くようだ。
どんな花なのか帰宅後調べたら、「遠目に見るとフジの花のよう」だろうと思える可憐な薄紫色の花だった。