本日、金刀比羅神社の境内で板に墨で書かれた略歴板を発見。
昭和39年4月に製作されたものなので、興ちゃんと同級生という事だ。
水洗いしたあと、角度を変えながら太陽の光をあてて解読に成功。1時間を要した。
内容はこのブログに書いてきた事と変わらないが、丸亀藩陣屋の事を丸亀藩出張郭内と表現しているところがおもしろい。
昭和39年当時の総代さん、大切に保管します。
粗末にしていた事は村の住人を代表してお詫び申し上げます。
この写真ならどうにか文字が書いてある事がおわかりでしょうか。
調べてみると、墨は製造方法によって松煙墨 (しょうえんぼく)と油煙墨(ゆえんぼく)の2種類に分かれるようだ。
木の看板に墨で書く場合は必ず油煙墨を使うと良いとの事。油煙墨は木に浸透して長い年月風雨にさらされ木自体が痩せてきても、文字は浮き上がって残るが、松煙墨で書くと、風雨などにさらされ急激に青墨化し、最後には文字が剥離してしまうようだ。
この墨の盛り上がりのみで解読はできた。これでいいのだ。
明治22年製作の初代檀尻は、平成2年春に縁あって宍粟市一宮町福知村に嫁入りし、福知村の村起こしに大きく貢献した。
それ以降興浜と福知村はお互いに親交を深め、興浜興伸会の有志が家族連れで福知渓谷にバーべキューや川遊びに行ったりと楽しい思い出をつくってくれた。
その福知村は、去年の平成20年8月9日の台風9号豪雨において、福知川に架かる橋3本が流され、川沿いの同市一宮町の県道一宮生野線で土砂崩れが起きるなど、自衛隊が出動するほどの大惨事となった。
流出した渓谷にあった名水「文殊の水」の水くみ場や、福知渓谷のバーべキューをする川床等が少しづつ復旧されているというニュースを耳にするたびに安堵するが、今年のこの暑い夏での復旧はさぞ大変であろう。
タイトル写真であるが、写真の裏には、「平成11年10月3日 福知早玉神社にて 檀尻嫁入り10周年」と書かれてある。
明日は金刀比羅神社の夏祭りだ。
明日7日は宵宮で夕方より境内で盆踊りがあり、興浜各種団体が模擬店を出す。興ちゃんは所属する興壮会でたこ焼きを焼きながらの盆踊りとなる。
明後日の本宮は夕方に子供会の奉納相撲大会が行われる。
御鎮座150年、いつの頃から始まったのか長老達に聞いてもわからない、夏の金刀比羅神社の風物詩は例年より暑い中行われる。
さて、タイトル写真についてである。
興浜興伸会の会長をさせて頂いた一年目に、興浜の村起こしと言えば大げさであるが、皆が『おきのはま』と染め抜かれたゆかたで盆踊りを踊るのもいいではないかと考え、下記の案内を出したところ、興浜協議員17名・興浜興壮会15名・興浜興伸会16名・興浜青年団5名の方の賛同を得て、無事にタイトル写真のゆかたを製作するに到った。
案内文の65名には到らなかったが、それ以降の注文の可能性も視野に入れて100着を満寿屋さんに注文した。現在は残り少ないと聞いている。
哀しいかな少しお安いものなので洗うと縮む為、最初につくった方は8年目の夏祭りを迎える今年、そろそろ着る方も減るように思い、記録として残すべく急いで記事にして次第である。
『興ゆかた』のご案内 平成15年6月18日 興興伸会 会長 興ちゃん
平素は興伸会活動にご協力、ご理解賜り心から御礼申し上げます。
さてこの度、金刀比羅神社夏祭りを盛り上げる一助として『興ゆかた』を作ればという意見があり、満寿屋様に問い合わせたところ、帯付きでゆかた全体に『興』の文字が入った物が壱万円で製作可能との回答がありました。しかしながら別注になるため65着以上との条件があり、ご案内を兼ね有志を募る次第です。
高価な買い物になり、また本年度の大覚寺のゆかた祭りには間に合いませんが、村興しを思慮した企画でもあり、申し込みにご協力願たくご案内申し上げます。
急な事ですが、締め切りは6月30日とさせて頂きます。
代金はゆかたと引き換えとさせて頂きます。尚、締め切り日までに65名の有志が集まらない場合この企画は残念ながら中止となりますので、よろしくご協力お願いいたします。