沖縄のたたかいと連帯する東京南部の会

辺野古新基地・高江ヘリパット建設反対。東京南部の地で、尊厳をかけて島ぐるみでたたかっている沖縄の人々と連帯していきます。

164年前、ペリー艦隊の兵士「ウイリアム・ボード」の墓を見てきた

2017-07-27 08:39:24 | 日記

 7月23日、名護に向かう途中、ペリーの上陸の記念碑がある泊高校の近くの「外人墓地」(通称 オランダ墓)によった。ボード事件をおこした、ボードの墓を一度は見ておきたかった。

 外人墓地は以外にもこじんまりしていて、想像していたよりもせまかった。1718年の中国漂流民を含む381人(わかっているだけで)が埋葬されているそうだ。 
 1853年5月、ペリーは琉球に。ペリー艦隊は10隻で、うち2隻は当時最大級の2000トンクラスの軍艦、乗組員は1985人、大砲は大小128門の大艦隊だった。

 1853年6月12日、その乗組員のウイリアム・ボードが仲間二人と那覇の町に上陸し、酒をかっぱらい、酔っぱらって、二人は道端で眠り込んだが、ボードはナイフで女性を脅して強姦。駆けつけた村の人たちが石を投げつけ追っ払ったが、ボードは逃げる途中、海に落ちて死亡。琉球での米軍による最初の強姦事件の犯人だ。そのボードの墓が外人墓地のはずれにあった。

 以来、どれだけ多くの女性たちが、米軍の性暴力の被害にあっただろうか。昨年の島袋りなさんの米軍属の暴行殺害死体遺棄事件が重なり、怒りと悲しみが押し寄せてくる。名護への途中、恩納村安冨祖の104号線ぞいのりなさんの献花台によって手をあわせた。たくさんの花が添えられていた。
 本当に、基地はいらない!でていけ米軍基地!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿