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『戦後の大磯』 吉田茂
「銅像建立の位置は松林の丘の上で、前に太平洋をはるか
越えてアメリカを望み、後ろには富士山を眺望できる場所で
ある。 氏はここがお気に入りでサンフランシスコで、戦後の
苦しかった日米交渉の思い出を誰にも語らず一人たたずんで
いたという。」 <「ふるさと大磯」より>
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『戦後の大磯』 兜門
旧吉田茂邸・内門(兜門)。 「兜門。 軒先に曲線状の
切り欠きがあり、兜の形に似ていることから<兜門>と呼ば
れます。 また、サンフランシスコ講和条約締結を記念して
建てられてことから、別名<講和条約門>とも言われます」
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『戦後の大磯』 澤田美喜
「太平洋戦争は世界の広い地域に亘って、罪なき子供達までに
多くの悲劇を与え、戦後の混乱の中に混血児や捨児の問題が
日毎に増加するばかりであった。 昭和23年2月に、乳児院を
設立。 28年には、エリザベス・サンダースホームとなった。
最初の寄付者、エリザベス・サンダース女史は、財閥三井家に
四十年間働き八十歳の高齢で一生を終わったその間貯蓄をした
170ドルの尊いお金を寄付したのである」
<「ふるさと大磯」より>
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『忠魂碑』 高来神社
高麗・高来神社境内。 「<忠魂碑>は、大正15年6月に
元帥・東郷平八郎の揮毫をいただき建立。 日清・日露・及び
第一次世界大戦の戦没者を祀っています。 <靖国之塔>は、
昭和29年11月に元陸軍大将・植田謙吉の揮毫により建立。
第二次世界大戦の勇士が祀られています」
<「ふるさと大磯」より>
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『宝積院』 鐘楼
国府新宿・宝積院。 「入口に寛永八年(1631)の銘の
ある梵鐘がある。 大磯町に現存する鐘としては、最古
のもので、国府の政庁である国衛に勤める役人の文字が
ある事は国府時代からの寺の関係がうなづける」
<「ふるさと大磯」より>