(写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます)
今日のフォトログは10PICSです
『大磯のサクラ』 慶覚院
高麗・慶覚院。 「慶覚院の鐘。 朝、昼、夕と里に
響く鐘。 以前の鐘は戦争で供出されてしまったので
あるが、昭和34年より三度鐘の音が聞かれる様になった。
鍬の手を休めて聞き入る人、遊びの子等は友達と明日を
約して家路につく、高麗山にそして人の心に響き入る鐘
の音」 <「俳句読本」より>
(写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます)
今日のフォトログは10PICSです
『大磯のサクラ』 慶覚院
高麗・慶覚院。 「慶覚院の鐘。 朝、昼、夕と里に
響く鐘。 以前の鐘は戦争で供出されてしまったので
あるが、昭和34年より三度鐘の音が聞かれる様になった。
鍬の手を休めて聞き入る人、遊びの子等は友達と明日を
約して家路につく、高麗山にそして人の心に響き入る鐘
の音」 <「俳句読本」より>
(写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます)
『大磯のサクラ』 善福寺
高麗・善福寺。 「明治ー大正の頃はこの付近に女子の
教育の場もなかったので、善福寺の学校に通う女子が
多かったが、大正10年平塚高等女学校が開校したので、
<女子敬業学舎>は門を閉じた」 <「ふるさと大磯」より>
(写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます)
『大磯のサクラ』 大運寺
北本町・大運寺。 「大運寺は浄土宗増上寺の末寺。
本堂の脇に中島信行と湘煙女史の大きい墓がある。
信行は坂本龍馬の海援隊の出身で、衆議院議員初代
議長となった」 <「阿波多羅」より>
(写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます)
『大磯のサクラ』 大内館
南本町・大内館。 明治31年創業、多くの文人たちが
宿泊。 三島由紀夫は<潮騒>を、舞台となった神島
と、ここ大内館で執筆したそうです
(写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます)
『大磯のサクラ』 小学校
「(大正のころの大磯小学校)。 ・・・道側は小便室になって
土間に大釜がかかっていた。 弁当の時には当番がやかん
をもって行くと小便さんが釜から湯をくんでくれた。」
<「阿波多羅」より>
(写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます)
『大磯のサクラ』 白岩神社
西小磯・白岩神社。 「白岩神社は代官山の麓にあって
起源も古く、古来山そのものを崇拝した山岳宗教時代から、
神代の神を御神体として人々は崇めて来たのである」
<「俳句読本」より>
(写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます)
『大磯のサクラ』 高天原
「高天原(馬場公園)。 馬場と書いて地元では<ばんば>と
読む。 この桜並木の東側にある広場が、国府祭(こうのまち)
の神事である国司祭を行う高天原(たかまのはら)である」
<「俳句読本」より>
(写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます)
『大磯のサクラ』 大磯宿
「昔の宿場で言うと、江戸から八番目、京都からは
四十六番目の宿場である。 箱根を下った旅人
は小田原に泊まり、どちらかと言うとさびれた宿場
たった」 <「俳句読本」より>