Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

映画「沈黙 -サイレンス-」(1月21日)

2017-01-23 23:55:37 | 映画


マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」をさっそく見てきました。原作は遠藤周作。江戸時代初期のキリシタン弾圧を描いた有名な小説で、以前からスコセッシが映画化されると話題になっていましたが、いつまでたっても完成しないのでほぼ諦めていました。なので無事公開されてよかったです。


17世紀初めの日本、長崎。幕府による激しいキリシタン弾圧の中、宣教師のフェレイラが棄教したと聞き、弟子のロドリゴとガルペは真実を知るべく、日本人漁師のキチジローの手引きでマカオから長崎へ潜入する。彼らを待っていたのは「隠れキリシタン」と呼ばれる信者たちだった。山奥の炭焼き小屋に隠れ住みながら、ロドリゴとガルペは信者たちの信仰を助ける日々を送る。しかし、キチジローの裏切りでロドリゴたちも囚われの身となり、長崎奉行の井上筑後守から棄教を迫られる。ロドリゴの前で、見せしめのように犠牲になる信者たち。苦悩の末に、彼が取った決断とは-


原作は何十年も前に出版されたベストセラー小説なので、何を書いてもネタバレにならない気もしますが、この映画もなるべくたくさんの人に見てほしいので、今回はネタバレなしで、ざっくりした感想にさせていただきます。また、書いてるうちに話が本題から少しそれるかもしれませんが、悪しからず。

遠藤周作の「沈黙」をスコセッシが映画化するとはじめに聞いたのは、いったいいつのことだったか。
最初はレオナルド・ディカプリオ主演って噂があったので、ディカプリオがロドリゴを演じても違和感ないくらいの頃ですから、多分10年は前ですね。その時、キチジロー役の候補で噂になっていたのは、香川照之とか上川隆也とか。正直、10年前でもキチジローにしてはとうが立ってる気がします。この映画では窪塚洋介が演じていて、演技する彼を見るのは超久しぶりでしたが、なんともすさまじいほどのはまり役でした。彼の持つ個性のすべてが、キチジローという役と見事に重なっていました。また、窪塚洋介以外の役者も皆はまり役に見えたので、この映画は出ている役者が全員おのれの演技力をフルスロットルで発揮したんだなぁと思います。特に片桐はいり。出演時間は短いけれど、彼女はこれで世界への扉がパッカーン!したと思いますよ、ええ。

ディカプリオのことは置いといて、日本に潜入した若い神父2人の代表的な役が、アメイジングの方のスパイダーマンとじいちゃん大好きカイロ・レン(アダム・ドライバー)なので、彼らの若さと未熟さ、傲慢さが見る側にわかりやすくて親切設計でした。もちろん、わかりやすいのは過去に演じた役のおかげではなく、彼らの演技のたまものなのですが。しかしアダム・ドライバーはしばらくの間なんの役をやっても「まったくこれだからカイロ・レンは…!」って言われそうだなぁ。この映画でも絶対言われてるだろうし。私も思ったし。

日本人俳優は、本来の個性を殺して映画に溶け込む人もいれば独特の存在感を発揮しまくる人もいて、なかなか多種多彩でした。ロケは台湾で行われたので、移動が大変だったろうなと最初は思っていたのですが、中盤に“移動くらいで大変だなんて文句言ってられないわなぁ”とあきれるほどにロケが大変だったであろう場面があったので、とりあえずまあロケ地がどこだろうと完成してよかったな、と思うにとどまりました。塚本晋也と笈田ヨシ、死なずに済んでよかったね…。それはともかく、中盤のヤマ場の、塚本監督演じるモキチの最大の見せ場は、胸が締め付けられて涙腺が絞られる名場面でした。感動、というのとはまたちょっと違うんだけど。

幕府側の人間、長崎奉行役のイッセー尾形と通辞役の浅野忠信は、当時の日本を支配する側の、主人公と対立する側の価値観を持っているわけですが、単なる物語上の悪役には見えませんでした。井上筑後守にとって、キリストを信じること自体はそんなに問題ではなくて、彼が懸念しているのは布教を足掛かりにしてヨーロッパの列強が日本を侵略し支配しようとすることで。いわば宗教の名を借りた暴力を恐れているわけです。だからこそ、暴力には暴力を、キリシタンを力でねじ伏せようとするのでしょう。だからこそ、信者の信仰心には無関心で、心の中でどう思っていてもかまわないから、とりあえず踏み絵をさせて、「神を信じません」と言わせる。真相はどうあれ「日本にキリシタンはいない」と押し通すために。浅野忠信の通辞(役名がないことを後で知って驚いた)のほうは、そこまで深い考えがあるわけではないけれども、その分、ロドリゴたちを異教徒と蔑んだりせず、むしろ気さくに接するくらいの余裕があるように見えました。つまり上から目線ですが。飄々としていて横柄で、理解者のように見えてその実ロドリゴとの間に暗くて深い川が流れている通辞の役は、浅野忠信以外考えられないなーと思うくらいにハマってました。

で、少し戻ってイッセー尾形ですが。原作読んだ時、私の頭の中で井上筑後守は大滝秀治だったので、イメージよりも線が細いというか弛みが少ない筑後守でした。しかし、セリフを発するたびに口から言葉と一緒に黒い瘴気が出てるんじゃないかと思うほど、そのひと言ひと言が相手にまとわりついて縛りつけ、動きを封じてしまう恐ろしさがありました。さすが、あのリーアム・ニーソンを屈服させるだけはあります。こんな恐ろしい人の上に立つ、幕府を統べる立場にいる人ってどんな人だったんでしょうかねぇ…あ、去年の大河のあの人か。すげぇな恋ダンス!(いろいろと違う)

当たり前ですが恋愛要素皆無の映画なので、主人公と女性とのロマンスなんて全然なくて、女性の出番も少なくて、公式サイトのキャストで紹介されている女性出演者は小松菜奈だけでした。映画の中の彼女は普段テレビやスクリーンで見ているのとは全く違っていて衝撃的ではありましたが、いかんせん片桐はいりが凄すぎた…いやでも撮影は大変だったろうし、この映画は彼女のキャリアに燦然と輝くでしょう。個人的にはロドリゴたちが捕まってから、残った片桐はいりたちがどう過ごしていたのかが気になるんですが。

あと、印象に残ったのは、黒沢あすか演じるロドリゴの妻でした。妻と言っても、ロドリゴを日本人にするために、筑後守が死んだ日本人の男の名前と一緒にロドリゴに引き取らせた、形ばかりの妻だったのだろうと思っていたのですが…最後にあっと驚かされました。黒沢さんのブログによれば、彼女の登場シーンは急遽書き加えられたものだそうですが、とても重要な役でした。ロドリゴにとって彼女は、〇〇〇〇の〇〇〇にあたるわけですから。

余裕があれば映画館でもう1回見たいと思うのですが、なんせ上映時間が3時間近いので、ちょっと厳しいかな…でもロングランになりそうな予感がするので、そこに期待しています。


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