さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

家紋 ≪番外編2≫ 扶桑

2010年02月17日 13時32分32秒 | 家紋


【 扶 桑 】

 

その語源は中国の伝説で、

東海の日の出づる所にある同根から

雄木と雌木が生えた神木を「扶桑」または「扶木」という

事に由来する。これに基づいて、東海の日出づる国である

日本を扶桑国と美称するようになったらしいです。

 

 『大和』=『扶桑』=日本の美称化

 

戦後生まれの私は「大和」は知っていても、

日本を「扶桑」と呼ぶというのは全く知りませんでした。

共に帝国海軍が保有した超ド級戦艦だといいます。

しかも、その時代は扶桑の方が良く知られていたようです。

 (「日出る国の哀姉妹~戦艦扶桑・山城~」様HPを参照)

 

『戦艦扶桑』 

って「何、これ~?」というほど、凄い形でした!!

 まるで建て増し住宅のように、後から後から上へ上へと

付け足していったものだから、まるで積み木のような

不安定な外見になってしまったそうです。

 

(1/700戦艦扶桑のギャラリー)↓↓をリンクしてます。
http://nabeck.web.fc2.com/katosama.htm

2008年2月にご覧になった、

この戦艦と縁ある方のお話が載っています。

戦争の残痕は、今なお続いています。

 

 

 

また、『山海経』にある扶桑(扶木)の記録

「下に湯谷がある。湯谷の上に扶桑がある」

という部分から、

エジプトの『死者の書』と同じものではないか?

という話が書かれているのが、下のリンクのページ。

(↓↓)

扶桑とエジプトの『死者の書』

http://www.chinjuh.mydns.jp/sengai/mito/m004.htm

古代エジプトにおいて、人は死後も魂になり霊界で生き続ける

と信じられていた。人が死ぬとどこへ行き、どんな暮らしをする

のかを描いたのが『死者の書』と呼ばれるもので、

墓石やミイラをおさめる棺に刻まれた。

霊界で途方にくれないよう、死者の心得として記したのだろう。

その『死者の書』に、『山海経』にも描かれた風景が存在する。

 ~「中略」~

中国では、仙術を学ぶことで、生きたまま神仙の世界に

行けるという考えがあるから、天界への入り口もあえて

異世界のこととはせず

「西へむかっていくつ山を越えるとたどり着ける」

と説くわけだが、魂を迷わず楽土へ導くための

指南書としては、どちらも同じである。

遠い昔

『山海経』とエジプトの『死者の書』は、

同じ本だったのではないだろうか?

 (引用、部分引用有)

 

 

山海経動物記・表紙
(少し興味があるのでリンクしました)

 

はるか昔、日本は中国から見れば、

世界の東の果てにぽつんと浮かぶ島に見え、

扶桑と太陽の物語が伝説と残った。

それに似た話がエジプトの伝説にもあり、

人類皆兄弟というのは、

こういうところからも言えそうだ。

 

 

そして、この「扶桑と太陽の話」から、

なんと!!

家紋≪日月紋≫と関わってくるのである。 

 

 

 おお~♪ 

やっと、家紋に戻ったー!

ということで、

【 家紋≪番外編2≫扶桑 】

おしまい。。。


 

 

→ 家紋 18 ≪日月紋≫へ

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