九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

神倉神社(和歌山県新宮市)

2009-05-03 14:20:32 | 神社参拝ー近畿
 神倉神社(和歌山県新宮市)を掲載しました。

 神倉神社(かみくらじんじゃ)
【鎮座地】〒647-0081 和歌山県新宮市磐盾 旧紀伊国 牟婁郡
【御祭神】高倉下命 (配祀)天照大神
【例祭】 2月6日 お燈祭
【旧社格等】熊野速玉大社摂社
【御由緒】
 神倉神社
御祭神
 高倉下命(たかくらじのみこと)
 天照大神(あまてらすおおみかみ)

例祭 二月六日夜
 御灯祭りと言う古儀の特殊神事として名高い。
白装束に身を固めた祈願者が神火を松明にうけて急坂(源頼朝公御寄進の鎌倉式石段)を馳下る壮観な火祭りである。

御由緒
 熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。
熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地、熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。
 御祭神高倉下命は建国の功臣、熊野三党(宇井・鈴木・榎本)の祖として知られ、農業漁業の守護神として御神徳が高い。
 (社頭由緒掲示板より)

紀伊山地の霊場と参詣道 史跡熊野三山(権現山)
           KumanoSanzan(Gongenyama)            
 市内西方にそびえる権現山(神倉山)は、神が降臨する神体山として崇められてきました。        
 主峰は千穂ケ峰(253m)で「鎮護ヶ峰」とも記されたように神仏が鎮まり守護してくれる山です。
 古くから熊野速玉大社の神降臨の神域として重要でした。権現山の南、高さ100m近い断崖絶壁には神倉神社があり「天磐盾」(あまのいわたて)とみなされてきました。また、ここには神が鎮座する磐座(いわくら)があり「ゴトビキ岩」と呼ばれています。
 古来から霊域として、また修験者の行場として栄えてきたことがわかります。

毎年2月6日の夜に行われる御燈祭りは、白装束に身を包んで、538段の急な石段を駆け下る勇壮な火祭りで、新年の聖なる神火をいただくという、原始信仰を今に伝える儀式でもあります。
 (参道入口案内板より)

 熊野灘に注ぐ熊野川の河口近く、和歌山県新宮市にあります。市の西方、熊野三所大神が熊野において最初に降臨した聖地、神倉山に鎮座しています。
 
 熊野速玉大社の摂社で、熊野三所大神が最初に降臨した神倉山から現在の速玉大社に遷り、当社「旧宮」に対して速玉大社は「新宮」となりました。新宮市の名前の由来でもあります。

 神橋参道入口には本社(熊野速玉大社)と同様、朱の欄干の太鼓橋があります。
  
鳥居から参道 
 鳥居をくぐると急な(最大斜度45度)石段の参道が続きます。
建久4年(1193年)源頼朝が寄進したと伝えられている鎌倉造りと呼ばれる538段の石段です。

 毎年2月6日に行われる、御燈祭りは、白装束に身を包んだ上り子が、この急な石段を駆け下る勇壮な火祭りで、新年の聖なる神火をいただくという、原始信仰を今に伝える儀式です。

 中ノ地蔵堂と火神社参道途中にあります。
この場所は御燈祭りの時は大松明の中継基地?になるようです。

 境内入口の鳥居
石段を上りきり、しばらく平坦な道を行くと鳥居から朱の瑞垣に囲まれた巨大なな岩盤が見えます。

社殿と御神体の磐座 
 社殿右の巨石は「ゴトビキ岩」と呼ばれ、日本書紀の神武天皇が登った「天磐盾」とされています。
 御祭神高倉下命は饒速日命の御子で、熊野で大きな熊の毒気により倒れた神武天皇一行を霊剣布都御魂剣を献じ回復させた、神武東征の功神とされています。

 社前から新宮市内社前からの眺望です。
中央は熊野川河口から熊野灘、その左は三重県になります。

 社殿全景 
社殿は神門から朱と緑の鮮やかな瑞垣に囲まれています。
「ゴトビキ岩」は高さ約12m、幅10m、御神体の磐座とされています。「ゴトビキ」とはヒキガエルとのこと、下から見るとカエルにみえます。
 境内の桜が満開で絶好のタイミングの参拝でした。

  境内の参道
 入口の手水鉢は大きな花崗岩をまるごと加工したもので、第二代新宮城主「水野重良」が寛永8年(1631)寄進したものです。
 瑞垣の外、境内入口右上に境内社があります、社名、御祭神等未確認です。

 参道途中の木の根っこ道祖神でしょうか?
中は祠のようになっていて、水が供えてありました。

 参道から鳥居
鳥居をくぐってすぐの急な石段に、登るのをあきらめて引き返す人も見かけました。

 天磐盾顕彰碑参道入口にあります。
「神武天皇紀 至熊野神邑 旦登天磐盾 鈴木江邨謹書」とあります。平成2年の建国記念の日に建立されています。

  天磐盾(あめのいわたて)
 神武天皇紀(日本書紀)には戌午年(ぼごのとし)(紀元前三年)六月(みなづき)に狭野(佐野)を越えて「熊野神邑(くまのみわのむら)に到り、旦(すなわち)天磐盾に登りて」と記しています。
 紀元二千六百五十年(平成二年)を奉祝して神武天皇聖蹟である熊野神邑(新宮の古称)の天磐盾(神倉山)の顕彰碑を神倉神社奉賛会が奉献し、文字は鈴木江邨氏が謹書されています。
 平成二年二月十一日 建国記念の日
  熊野速玉大社摂社 神倉神社
 (案内板より)

 猿田彦神社・神倉三宝荒神社参道入口、神橋を渡ってすぐにあります。
 
猿田彦神社 神倉三宝荒神社 御由緒
 神倉山麓には、天孫降臨に「導きの神」の御神徳が高く「天狗さま」として親しまれた、猿田彦命の神社が、明治の御代まで鎮座していました。 
 また、三宝荒神社(火産霊神・誉田別命)は立里(高野山)にあり、願望成就・商売繁盛の御神徳が高い。
 昭和五十六年、氏子有志のご協力で、社殿・鳥居・境内整備・参道等の諸工事を施工して、両神社を御奉斎した次第です。
 (社前案内板より)
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