九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

花窟神社(三重県熊野市)

2009-05-10 17:04:27 | 神社参拝ー中部
 花窟神社(三重県熊野市)を掲載しました。

 花窟神社(はなのいわやじんじゃ)
【鎮座地】〒519-4325 三重県熊野市有馬町130-3 三重県熊野市有馬町130-3
【御祭神】伊弉冉尊 (合祀)軻遇突智命
【例祭】 2月2日 例祭 10月2日 例祭
【旧社格等】
【御由緒】
  花の窟神社(熊野市指定文化財 史跡)
 熊野市は、神話や伝説が豊寓なところで、その代表的なものがここ「花の窟」である。
「日本書紀」によると、皇室の祖先とされる女神天照大神の母神である伊弉冉尊は、火の神・軻遇突智神を産んだとき、火傷を負って死に、この地に葬られた。尊の魂を祀るため、土地の人々は花が咲く季節に花を飾り、のぽりや幡旗を立て、笛太鼓を鳴し、歌い踊って祭を行うとされている。このことから「花の窟」という名前がついた。
 熊野三山の中心である本宮大社は、主神が伊弊再尊の子の家津御子神であるため、今も花を飾って祭が始まる。このことからもわかるように「花の窟」は熊野三山の根源ともされ、わが国の古代信仰の重要な意昧を持った場所なのである。

 お綱掛け神事 (三重県指定無形民俗文化財)
『日本書紀』に記されていることが今に引き継がれ、2月2日と10月2日には多くの人々が集まり「お綱掛け神事」が行われる。綱は藁縄7本を束ねた物で、花をつけた3つの縄旗が吊るされている。この縄旗は朝廷から毎年奉納された錦の旗であったが、洪水で旗を積んだ舟が難破したため、縄でその形を模したのが始まりといわれている。
 (参道案内板より)

 三重県の南部に位置し、和歌山県に隣接する熊野市にあります。JR熊野市駅から南西におよそ1.5km、熊野灘に面した国道42号線沿いの松林に鎮座しています。

 参道鳥居をくぐると鬱蒼とした樹木に覆われた参道が続きます。
両側に数基の狛犬が奉納されています。

 稲荷神社参道途中、左にあります。隣には龍神神社があります。

   参道から参籠殿
 当社には社殿はなく、建物はこの参籠殿だけです、中に「お綱掛け神事」の写真などが掲示されています。

 天皇陛下御即位二十年記念植樹参道左、稲荷神社の鳥居傍にありました。
植えられたばかりの神宮杉です、百年後が楽しみです。

  手水舎と丸石参籠殿の左手前にあります。
 手水の右には直径1.2m程の綺麗な丸石に注連縄が架けられています。

 拝所への入口の神門御神体の拝所は神門から石垣に囲まれています。

 御神体の窟と拝所
高さ約45mの巨巌そのものを御神体としています。日本書紀に「熊野の有馬村に葬りまつる」とあり、この地が伊弉冉尊の御葬所と伝えられています。 
 窟の直前に玉垣に囲まれた祭壇、御祭神ー伊弉冊尊の御神体の拝所です。神代の昔より花を供えて祭るので花窟という社号が付けられたと伝えられています。

  御神体と綱
 参道の案内に「窟の頂上よりかけ渡すお綱は神と人とをつなぎ神の恵を授けてくださるお綱なり。」とあります。

  王子ノ窟
 御祭神ー軻遇突智尊の神霊を祀る高さ12mほどの岩です。軻遇突智尊が伊弉冉尊の御子であることから、王子ノ窟と呼ばれています。

 御神体全景 
御神体には浸食された数々の穴があいています。この穴に祈願を込めた白石を納めると願いが叶うと昔から言い伝えられています。
 窟の頂上からの綱(長さ180m)は2月2日と10月2日に行われる「お綱掛け神事」で架け替えられています。
 
 社叢全景国道42号線からの眺望です。窟の大きさと綱の長さに驚きます

   七里御浜海岸
 社前は国道42号線を挟んで、全国渚百選の一つ「七里御浜」です。熊野市から鵜殿村まで延々22km続く日本一長い砂礫海岸です。

 口有馬道標参道入口、茶屋「花の岩屋」前にあります。
「右くまのさん、
 志゛ゆんれい道」とあります。

 熊野三山、西国巡礼はここから右に曲がって行くべしという指示。右に曲がらず眺めの良い松林道をまっすぐ行くと志原川河口に突き当たり橋もなく、無理をして川に入り波にさらわれ命を落とす人もいた。これを警告する道しるべです。
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