九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

出石神社(兵庫県豊岡市)

2024-05-16 15:22:01 | 神社参拝ー近畿

 出石神社(いずしじんじゃ)を掲載しました。
おことわり:掲載の写真は、参拝当日(10/24/2008)のものです、現在と異なっている場合があります。

 但馬國一の宮「式内社」出石神社(いずしじんじゃ)
<通称>>一宮さん(いっきゅうさん)
【鎮座地】〒668-0204 兵庫県豊岡市出石町宮内99 旧但馬国 出石郡
【電話】 0796-52-2440
【旧社格等】 国幣中社 (現別表神社)
       但馬國一の宮
       式内社 但馬國出石郡 伊豆志坐神社八座(並名神大)
【御祭神】・出石八前大神
     ・天日槍命       
【例祭】 10月20日 例祭
【御由緒】
  出石神社
御由緒
 神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には、谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、天日槍命を祀ったと伝えておりますが、諸書によりますと奈良朝時代すでに山陰地方有数の大社であったことがうかがわれます。
但馬の国一宮として別名を一宮さんの呼び名で尊敬されており、当時泥海であった但馬を瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、殖産興業に功績を遺された神として尊崇を集めております。また、鉄の文化を大陸から持って来られた神ともいわれております。
以上
  (平成祭りデータ)

出石神社 兵庫県出石郡出石町宮内。
 旧国幣中社(現、別表神社)。祭神、出石八前大神・天日槍命。
社伝によると垂仁天皇の時、天日槍命が来朝し、当地を開拓したので、その徳を敬慕し、命が奉持していた八種の神宝を八前大神として祀った。八種神宝とは、玉津宝・珠二貫・振浪比礼・印浪比礼・振風比礼・切風化礼・奥津鏡・辺津鏡であり、このことは既に『延喜式神名帳』にも八座の神として明記され、名神大社となっている。
 更にこれより先、天平九年(七三七)神戸租調稲およそ一六八〇束を充て、承和一二年(八四五)七月に従五位下となり、貞観一六年(八七四)三月には正五位上に叙せられている、但馬国一宮として崇敬されて来た当社であるが、戦国時代に入ると、天正年間(一五七三-九二)豊臣氏のために社領を没収された。江戸時代には出石城主歴代の尊崇をうけ、小出、仙石両氏が社殿を造営した。
 本殿三間社流造、檜皮葺、本殿の前面に切妻造の幣殿が連なり、更にその前に舞殿形式の拝殿(入母屋造平入)が連なっている。
社宝としては、重文指定の脇差一振(南北朝時代、銘但州住国光)がある。
 例祭一〇月二〇日、その他御年花祭(おはなびらまつり)が一月二二、二三日に行われる。
   (東京堂出版 神社辞典より)

【参拝月日】 10/24/2008

一の鳥居
 兵庫県の北部(但馬地域)、コウノトリの生息地としても有名な豊岡市にあります。京都府との県境に近い、出石川盆地の中心、出石町に鎮座。国道426号線と482号線と交わる鳥居橋から東へ。500mほどで一の鳥居です。

一の鳥居から参道
 鳥居の左には「國幣中社 出石神社」の社号標。鳥居をくぐると、奉納された石灯籠が左右に規則正しく並んでいます。

二の鳥居
 参道を進むと、年代を感じさせる一対の狛犬に続いて、木造の稚児柱をもつ両部鳥居の鳥居です。正面奥に朱の神門が見られます。

二の鳥居の扁額
 扁額には、シンプルに大きく「一宮」とあります。但馬国一宮であり、地元では「いっきゅうさん」と呼ばれています。

二の鳥居から神門
 鳥居をくぐると、右に自然石で作られた手水舎、石畳の参道の突き当りに神門です。

神門
 丹塗りの八脚門。数多くの蟇股が飾られており、左右に連なる透かし塀も鮮やかや丹塗りです。入り口左に平安時代の鳥居の一部が保存されています。

神門
 社殿のある境内から、休息用?のベンチが置かれています。


神門から拝殿
 神門を入ると社殿のある境内です。正面に拝殿から奥に、祝詞殿・幣殿、本殿と続いています。


拝殿
 御祭神は古代に新羅から渡来した天日槍命で、同神が持参した玉津宝(出石八前大神)が合わせ祀られています。

拝殿  
 舞殿形式、入母屋造平入りで、蔀度を吊っています。入母屋造は屋根の上部を切妻造(勾配が二つ)、屋根の下部を寄棟造(勾配が四つ)と折衷した様式です。屋根の部分が大きく、反りが協調されて見えます。
 正面の拝殿屋根と独立した平唐破風出桁の向拝は、他に類を見ない様式です。

社殿全景
 社殿は過去2度消失、永正元年(1504)兵火、明治43年(1910)近隣農家の失火で焼失。現在の社殿は、大正三年(1914)の再建。手前から拝殿、切妻造の祝詞殿・幣殿、本殿と続いています。

本殿
 創建は不詳。社伝『一宮縁起』では、谿羽道主命と天日槍命の曽孫にあたる多遅麻比那良岐とが相謀って天日槍命を祀ったと伝え、諸書によると遅くとも8世紀はじめ頃には祭祀が行われていたことうかがわれます。

本殿 
 本殿は、透塀に囲まれた中に、三間社流造、屋根は銅板葺きです。鰹木は5本、千木は鋭く尖った、外削ぎです。
  天日槍命は、泥海であった但馬国を円山川の河口の岩山を切り開いて、泥水を日本海に流し、現在の肥沃な但馬平野を開拓、殖産興業にも多大な功績を残されました。

天神社(菅原神社)
 拝殿左(西側)にあります。雷除け、学問の神様、菅原道真公を祀る、境内末社です。

市杵島比売神社
 本殿左(西側)の池の中にあります。天照大神が須佐之男命の剣を嚙み砕いて生んだ三女伸の一柱、市杵島比売命を祀る、境内末社です。新築のピカピカです。

比売神社
 本殿右(東側)にあります。麻多島比売命を祀る境内末社です。比売神社の社名は、天日槍命の后となった、出石の娘、麻多島比売命にちなんでいます。

稲荷神社
 本殿右(東側)に比売神社と並んであります。宇賀能魂神を祀る境内末社です。かつて付近にあった夢見稲荷という祠を合祀したため、夢見稲荷とも呼ばれています。

絵馬堂
 拝殿右(東側)にあります。中に、かつて使用した手押しの消防ポンプが収められています。綺麗に整備されています。

禁足地への参道から境内
 境内東北隅には、約300坪の禁足地があります。玉垣で囲まれており、鬱蒼とした聖域で御祭神の廟所とも伝えられています。

拝殿から神門
 拝殿前の境内では、毎年5月5日には、氏子の子供たちが幟を回す、節句祭(「幟まわし)が行われます。これは天日槍命が但馬開拓の伝承「岩引き」に由来しています。

神門から二の鳥居
 神門から入り口の鳥居まで、一直線に延びる参道が、見渡せます。

二の鳥居から参道
 当社の鎮座する、出石町は、「但馬の小京都」と呼ばれ、出石城址や沢庵和尚が再興した宗鏡寺んど史跡が多く、城下町の風情が心を和ませてくれます。

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