九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

湊川神社(神戸市中央区)

2008-11-23 17:44:10 | 神社参拝ー近畿
 湊川神社(神戸市中央区)を掲載しました。

 湊川神社(みなとがわじんじゃ)
<通称>楠公さん(なんこうさん)
【鎮座地】〒650-0011 兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1 旧摂津国 八部郡
【御祭神】楠木正成
     (配祀)楠木正行 楠木正季 菊池武吉 江田高次 伊藤義和 箕浦朝房 岡田友治 矢尾正春 和田正隆
        神宮寺正師 橋本正員 富田正武 惠美正遠 河原正次 宇佐美正安 三石行隆 安西正光 南江正忠
【例祭】 7月12日 例祭
【旧社格等】別格官幣社 (現別表神社)
【御由緒】
 河内国土着の武士であった大楠公楠木正成は、元弘元年(一三三一年)後醍醐天皇の勅を奉じ鎌倉倒幕の兵を挙げるによって、歴史に登場した。幕府の執権北条氏を倒し、天皇政治の回復を得た「建武中興」は成功したかに見えたが、間もなく倒幕派の中から足利高氏が離叛し、武家政治の再興を図った。
 一度は大楠公に破られ九州へ敗走した高氏ではあったが、大軍を集め陸路・海路京都へ向う。大楠公は御子正行公に後事を託し、桜井の駅で別れ、この湊川の地で足利軍を迎え戦ったのである。
 敵は数万、楠木勢は七百余騎。延元元年(一三三六年)五月二十五日、この日六時間十六度までの戦いに奇兵を以てする楠木の軍も、七十三騎を残すのみとなったという。「太平記」は斯語る。正成座上に居つつ、舎弟の正季に向って、そもそも最後の一念に依って、善悪の生を引くといへり。九界の間なにか御辺の願なると問ひければ、正季からから打笑ひて、七生までただ同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存じ候へと申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、罪業深き悪念なれども、我も斯様に思ふなり。いざさらば同じく生を替へて、この本懐を達せんと契って、兄弟共に刺違へて、同じ枕に伏しにけり。衆寡敵せず、遂に「七生報国」を誓って、御弟正季卿以下一族共々自刃せられた。この御殉節地は、神社境内地西北隅の地点と伝えられている。
 (平成祭データ)

 神戸市中央区にあります。JR神戸駅の北徒歩3分、表門の左は「高速神戸駅」の直結しています。

 社号標昭和10年楠公六百年祭に奉納された鳥居の柱を利用して、昭和27年10月25日建立されたものです。

 参道の鳥居参道のほぼ中間点にあります。
 参道は両側のおおきな樹木(楠)に覆われています。

 拝殿 
 現在の社殿は戦災によって焼失したものを、昭和27年(1952年)10月24日に復興新築されたもので、鉄筋コンクリート造です。先の阪神大震災でもびくともしなかったとのことです。
 拝殿前に翌日(8月24日)から始まる境内神社・天満神社の祭り「菊水天神祭」の舞台?が設置されていました。

 拝殿天井の絵は棟方志功はじめ全国著名画家の奉納になったもので、中央の大青龍は福田眉仙の作です。

 本殿 
 明治元年(1868年)4月、明治天皇は、神社創紀の御沙汰書を下され、明治5年(1872年)5月24日、創建されました。建武中興15社の1社です。
拝殿の奥、瑞垣に囲まれて全容は見られません。

 史跡「楠木正成戦没地」
本殿左奥にあります。延元元年(1336年)5月25日弟正季卿と「七生報国」を誓って刺交し殉節を遂げられた場所とされています。

 菅原道真を祀る菊水天満神社拝殿右にあります。

   拝殿から参道

 境内社、楠本稲荷神社参道右にあります。御祭神は倉稲魂命・猿田彦命・大宮女命です。

 大楠公御墓所入口表門の右手前にあります。

 楠木正成公墓碑 
 昭和26年6月9日、国の重要文化財史蹟に指定されています。
元禄5年(1692年)水戸光圀公によって建立されました。碑面八文字「嗚呼忠臣楠子之墓」は光圀公の揮毫です。

 水戸光圀公(義公)の銅像
墓所の一番奥にあります。昭和30年(1955年)7月に完成しました。

 境内にはどこからともなく聞き覚えのあるメロディが流れていました。

延元元年(1336)正成は、九州から東上してきた足利尊氏の大軍を迎え撃つため、ここ湊川に出陣しました。
 この途中の桜井の駅(大阪府三島郡島本町)で、決死の覚悟を決めた正成は、11歳の息子、正行に後事を託し、郷里に帰るように命じます。この場面を歌った、明治の小学唱歌「桜井の訣別(わかれ)」です。

1.青葉しげれる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
木下陰(このしたかげ)に駒とめて 世の行く末をつくづくと
偲ぶ鎧の袖の上(え)に 散るは涙か はた露か

2.正成涙を打ち払い 我が子正行(まさつら)呼び寄せて
  父は兵庫に赴かん 彼方の浦にて討ち死にせん
  今しは ここまで来つれども とくとく帰れ故郷へ

3.父上いかにのたもうも 見捨てまつりて我一人
  いかで帰らん帰られん  この正行は年こそは
  未だ若けれ諸共に 御供(おんとも)つかえん死出の旅

4.今しをここより帰さんは 我私(われわたくし)の為ならず
  己 討ち死になさんには 世は尊氏のままならん
  早く生い立ち大君に 仕えまつれよ国のため

5.この一振りの往にしとし 君の賜いし物なるぞ
  この世の別れの形見にと 今しにこれを贈りけん
  行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん

6.共に見送り見返りて 別れを惜しむ折からに
  またも降り来る五月雨の 空に聞こゆる不如帰
  誰か哀れを聞かざらん 哀れちになく その声を

 リンクフリーのサイトを見つけました、お聞きになりたい方はつぎからお聞きください。

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/09/post_6168.html

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