名和神社(鳥取県大山町)を掲載しました。
名和神社(なわじんじゃ)
【鎮座地】〒689-3212 鳥取県西伯郡大山町名和556 旧伯耆国 汗入郡
【御祭神】名和長年 (配祀)名和一族戰沒將士四十二柱
【例祭】 5月7日 例祭
【旧社格等】別格官幣社 (現別表神社)社
【御由緒】
名和神社
建武の忠臣名和長年公はじめ、一族四十二名をまつる神社。
元弘三年(1332年)、長年公は隠岐島に流されていた後醍醐天皇の脱出を助け、天皇を船上山に迎え鎌倉幕府軍を破った。
後醍醐天皇は、この年、鎌倉幕府を倒し、天皇親政を復活(建武の新政)、長年公はこの新政権で重用された。
現在の社殿は昭和十年に完成。建築界の重鎮伊藤忠太の指導のもと、明治神宮を造営した角南隆(す なみたかし)が手がけた。本殿から日本海を望むと、海を越え一直線上に後醍醐天皇隠岐行在所がある。
また、境内は名和公の米倉があった所で、合戦の折りこれを焼き払ったため、神社の裏から今でも焼き米が出てくる。
(社前案内板より)
鳥取県大山町(旧名和町)にあります。山陰本線「名和駅」より南に500mほど、鬱蒼とした社叢の杜に鎮座。社前は桜の名所名和公園です。
一の鳥居をくぐると綺麗に整備された平坦な参道が続きます。両脇は明治16年から植えられた桜の並木です。
参道の注連柱から神門
参道の途中に注連柱があり、ここから先は玉砂利の参道となります。
神門神門の左手前には手水舎があり、社殿のある境内へは神門をくぐります。
拝殿
現在の社殿は昭和10年(1935)に名和長年殉死600年を記念して建てられました。
当時の建築界の重鎮伊藤忠太の指導のもと、明治神宮を造営した角南隆(す なみたかし)により建設されました。
本殿
御祭神は後醍醐天皇の隠岐脱出を助けた南朝の忠臣名和長年を主祭神とし、名和一族以下42柱が合祀されています。
本殿は高い瑞垣と樹木に覆われ全容はみられません、別格官幣社の格式の高さがうかがえます。建武中興十五社の一社です。
創始は、承応・明暦の頃(1652年~1658年)名和長年の威徳を慕う地元の人々によって、名和邸跡に小祠が建立されたのがはじまりです。
境内社
瑞垣の中にあります。御祭神名和長年朝臣の従臣二百余柱を祀る、末社「臣神社」かと思われます。
拝殿から神門
参道から一の鳥居
本殿から日本海を望むと一直線上に後醍醐天皇の隠岐行在所があります。
後醍醐天皇御着船所
名和神社から国道9号線を越えて県道269号線を東に数100m、御来屋の東端にあります。
石碑には「元弘帝着船處」とあります。安政三年の文字が読めます。
後醍醐天皇御腰掛岩
後醍醐天皇御着船所の碑の脇の路地を入った御来屋漁港にあります。
隠岐から逃れてこの海岸に着き、この岩の上でしばらくお休みになったと伝えられています。
名和神社のパンフレットには海中にありますので、漁港の整備に伴い移設されたか周囲が埋め立てられたものと思われます。
後醍醐天皇御製の碑
御腰掛岩の右にあります。「わすれめやよるべも波のあら磯を御船の上にとめし心を 第三十代名和 謹書」とあります。
名和神社(なわじんじゃ)
【鎮座地】〒689-3212 鳥取県西伯郡大山町名和556 旧伯耆国 汗入郡
【御祭神】名和長年 (配祀)名和一族戰沒將士四十二柱
【例祭】 5月7日 例祭
【旧社格等】別格官幣社 (現別表神社)社
【御由緒】
名和神社
建武の忠臣名和長年公はじめ、一族四十二名をまつる神社。
元弘三年(1332年)、長年公は隠岐島に流されていた後醍醐天皇の脱出を助け、天皇を船上山に迎え鎌倉幕府軍を破った。
後醍醐天皇は、この年、鎌倉幕府を倒し、天皇親政を復活(建武の新政)、長年公はこの新政権で重用された。
現在の社殿は昭和十年に完成。建築界の重鎮伊藤忠太の指導のもと、明治神宮を造営した角南隆(す なみたかし)が手がけた。本殿から日本海を望むと、海を越え一直線上に後醍醐天皇隠岐行在所がある。
また、境内は名和公の米倉があった所で、合戦の折りこれを焼き払ったため、神社の裏から今でも焼き米が出てくる。
(社前案内板より)
鳥取県大山町(旧名和町)にあります。山陰本線「名和駅」より南に500mほど、鬱蒼とした社叢の杜に鎮座。社前は桜の名所名和公園です。
一の鳥居をくぐると綺麗に整備された平坦な参道が続きます。両脇は明治16年から植えられた桜の並木です。
参道の注連柱から神門
参道の途中に注連柱があり、ここから先は玉砂利の参道となります。
神門神門の左手前には手水舎があり、社殿のある境内へは神門をくぐります。
拝殿
現在の社殿は昭和10年(1935)に名和長年殉死600年を記念して建てられました。
当時の建築界の重鎮伊藤忠太の指導のもと、明治神宮を造営した角南隆(す なみたかし)により建設されました。
本殿
御祭神は後醍醐天皇の隠岐脱出を助けた南朝の忠臣名和長年を主祭神とし、名和一族以下42柱が合祀されています。
本殿は高い瑞垣と樹木に覆われ全容はみられません、別格官幣社の格式の高さがうかがえます。建武中興十五社の一社です。
創始は、承応・明暦の頃(1652年~1658年)名和長年の威徳を慕う地元の人々によって、名和邸跡に小祠が建立されたのがはじまりです。
境内社
瑞垣の中にあります。御祭神名和長年朝臣の従臣二百余柱を祀る、末社「臣神社」かと思われます。
拝殿から神門
参道から一の鳥居
本殿から日本海を望むと一直線上に後醍醐天皇の隠岐行在所があります。
後醍醐天皇御着船所
名和神社から国道9号線を越えて県道269号線を東に数100m、御来屋の東端にあります。
石碑には「元弘帝着船處」とあります。安政三年の文字が読めます。
後醍醐天皇御腰掛岩
後醍醐天皇御着船所の碑の脇の路地を入った御来屋漁港にあります。
隠岐から逃れてこの海岸に着き、この岩の上でしばらくお休みになったと伝えられています。
名和神社のパンフレットには海中にありますので、漁港の整備に伴い移設されたか周囲が埋め立てられたものと思われます。
後醍醐天皇御製の碑
御腰掛岩の右にあります。「わすれめやよるべも波のあら磯を御船の上にとめし心を 第三十代名和 謹書」とあります。
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