九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)

2008-10-01 16:18:39 | 神社参拝ー近畿
 伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)を掲載しました。

 伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)
<通称>一宮さん、一宮皇大神宮、津名明神(いっくさん、いちのみやこうたいじんぐう、つなみょうじん)
【鎮座地】〒656-1521 兵庫県淡路市多賀740 旧淡路国 津名郡
【御祭神】伊弉諾大神 (配祀)伊弉冉大神
【例祭】 4月20日 例祭
【旧社格等】官幣大社(現別表神社)
      淡路國一宮
      式内社 淡路國津名郡 淡路伊佐奈伎神社(名神大)
【御由緒】
 我が国最古の歴史書たる、古事記・日本書紀に御祭神二柱の大神は、高天原の神々の理想実現のため天沼矛をもって日本の国土開拓に着手された。その最初が淡路の島で、先づ八尋殿と言う御殿を建て、其処で正しい夫婦の道をお定めになり、人々に教育を施し、産業を興して此の島をお治めになった。
 更に四国・九州・本州を始め周辺の島を次々と開拓されたのである。此の神業が国生みであり、大神を国生みの神と申し上げるのもその故である。
大神は多くの神々もお生みになったが、その中で一番貴い御子神が天照大御神である。国生の大業を了えられた大神は、此の御子神に後の国治めの大任をお委せになり、独り国生みの初めの淡路へお帰りになって、此の多賀の地で余生を過されやがて御住居の跡が御陵となり、いつしか神社として祀られる様になったのが当神宮で、古事記には淡路の多賀になも坐す、日本書紀には幽宮を淡路の洲に構り、と御鎮座の起源を明かにしている、即ち日本最古のお社である。
 (平成祭データ)

イザナギ、イザナミの国生みで最初に生んだ淡路島にあります。神戸淡路鳴門自動車道「津名一宮IC」から北西に3kmの淡路市多賀、県道88号線沿いに鎮座しています。
 津名一宮ICを降りてしばらくすると県道の両側に石灯籠が並んで延々と続きます、これは「くにうみ灯籠」と呼ばれ、昭和60年の「くにうみの祭典」に協賛して建立されたものです。およそ4kmの県道は「くにうみライン」と名付けられたとのことです。

 一の鳥居をくぐると広い玉砂利の参道が続きます、両側には寄進の燈籠が並んでいます。

 参道の鳥居から表神門青空に映える日の丸が印象的です。

 放生の神池
参道の突き当たり神門前にあります。聖域の周濠の遺構と伝えられ、病気の平癒や不老長寿のため鯉や亀を放って祈願する放生信仰が生まれました。
 池の中の小祠は弁財天です。

  表神門

      拝殿
 神門をくぐると広い境内、右に夫婦楠など樹木が繁り、左に社務所、正面に拝殿さらに奥に幣殿から本殿です。

 拝殿の扁額

 幣殿中門

  幣殿から本殿

 本殿(幽宮かくりのみや)
すべての神功を果たされた伊弉諾大神が統治の大権を天照皇大神に託して幽宮を構え、余生を過ごされた故地とされています。

 古事記に「故、其伊邪那岐大御神者、坐淡路之多賀也」
  (かれ その いざなぎのおほみかみは あはち゛のたがにますなり)

 日本書紀に「伊弉諾尊神功既畢霊運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隠者矣」
(いざなぎのみことかむことすでにおへたまひてあつしれたまふここをもちて かくりみやを あはち゛のくににつくりしづかにながくかくれましき)

 御陵丘を覆うように基壇を二重に構へ、檜皮葺三間社流造向拝付で、棟に千木・鰹木を置き、前方の幣殿と連結して一屋根に造られています。明治12年の建立で、当初は約十間前方に建てられたが、同15年に後背の御陵地を造成して移築されました。

 境内社
本殿右に3つの祠が並んでいます。左から天照大御神 月讀尊を祀る左右神社、素盞嗚尊を祀る根神社と竈神社、鹿島神社・住吉神社です。
 現在、旧既の位置に戻す工事が進行していました。

 昭和天皇御手植の「楠」
大正11年11月、昭和天皇が摂政宮の砌、御親拝になり御手植されたものでかなり成長しています。

 神輿庫本殿右にあります、文化5年(1808)阿波藩主により造営寄進されました。
 
 夫婦大楠樹齢約900年、樹高30m余り、兵庫県指定天然記念物です。御神霊が宿り給う御神木と信仰されており、淡路の地誌に「連理の楠」と記されています。
 傍の岩楠神社には蛭子大神を祀り、夫婦円満、良縁良結、子授け、子育ての霊験あらたかと崇敬されています。

   社殿全景
境内地は、約1万5000坪、沖積地にあって天然記念物の大楠など照葉樹林に覆われ四季を彩る草木が繁茂する日本最古のお社です。

 拝殿から神門向かって左は授与所になっています。

 「陽の道しるべ」 
表参道の左手にあります。方位を示すオブジェ、方位と一緒に、その先にある神社などが刻まれています。

 石碑「碑文」
伊弉諾神宮の神域は、日本書紀に
「伊弉諾尊功既畢霊運當遷是以構幽宮於淡路之州寂然長陰者」
古事記伊勢本に「故其伊邪那岐大御神者淡路之多賀也」と記される神跡で
伊弉諾大神が御神功を果され、淡路の多賀に幽宮を構築して
余生を過ごされた故地であり、北緯34度27分23秒の緯度上にある。
 當神宮の創祀は神代に遡り、伊弉諾尊の宮居跡に営まれた
神陵を起源とする最古の神社である。
 また日本書記に「乃留宅於日之少宮」の記述があり、
これは伊弉諾尊の太陽神としての神格を称へ、御子神である
天照皇大御神の差昇る朝日の神格と対比する日之少宮として
御父神の入り日(夕日)の神格を表現してゐる。
 因に全国神社の本宗と仰ぐ伊勢の神宮(皇大神宮)は
この神域の同緯度上に鎮座し、更にその両宮を結んだ中間点に
最古の都「飛鳥宮藤原京」が営都されてゐるのである。
 専門家の協力を得て當地からの太陽軌道の極致にあたる方位を計測すると
夏至・冬至・春秋仲日の日出と日没の地に神縁の深い神々が鎮座してゐることを次の通りに確認することができた。
 緯度線より北への角度29度30分にあたる夏至の日出は
信州の諏訪湖(諏訪大社)日没は出雲大社日御崎神社への線上となる。
春分秋分は伊勢の神宮から昇り海神神社(対馬国)に沈む。
南への角度28度30分にあたる冬至の日の出は熊野那智大社(那智の大瀧)
日没は天孫降臨傳承の高千穂峰(高千穂神社・天岩戸神社)となるのである。
 これらは國生み傳承の淡路島が、神の坐します大八州國の中核の島で
祇に天と地を結ぶ能きが太古から脈々と生き続けてゐる
「神の島」だといふことを物語っているのではないだらうか。
 神代から受継ぐ千古の歴史の尊さや、太古の浪漫と祖先の英知と
この「陽の道しるべ」で実感していただければ幸いである。
 平成十九丁亥年六月吉日   宮司 撰
 
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