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転勤族の住まい  浜松編

2006年12月30日 | 住まい、場所
 本社のある浜松に来たのが平成13年の夏でした。
家族は、学年末を待っての引越しでした。

 高校生の転校には、苦労しました。

 首都圏から九州に移り住むときに、九州は素晴らしいところだから、一緒に行って欲しいと無理やり家族を連れて行きました。その九州がたったの3年弱で又転勤になり浜松だと言ったものですから父親はワンマンだ、今度こそ単身赴任だと家族全員から宣言されました。

 「家族は一緒に住んで家族だ」と苦しい理由をつけて、頼んだのです。
しかし高校の転校はすんなり行かず、試験を受けてようやく入りました。

 仕事は全国の営業所や得意先への訪問が多いため、駅に近いところを選びました。ところが物件が少ないのです。社宅扱いの法人契約を盾にようやく見つけました。築年数も新しいのですが、九州と比べて部屋数が減りました。九州では4人娘がそれぞれ個室がありました。大きくなっての姉妹同室で、不満たらたらでしたが、結果的には姉妹の絆は強くなったようです。

 引越し直後に自治会の人から、浜松の凧祭りの準備と心がまえを言い渡されました。
この祭りは、子どもの誕生を祝い砂丘で凧を揚げ、近所や親戚に披露するのです。
 全部で最低100万円はかかるそうです。5月の連休に開催ですがそれ以前から、仕事はそっちのけで祭りにのめりこむ会社のメンバーもいます。

 横浜の港祭り、博多のどんたく・山笠、広島のフラワーフェスティバルと大型の祭りを転勤で体験しましたが、この浜松の凧祭りの熱気も負けてはいません。

 引越し後、駅前のスーパーで二度買い物をしました。その二度とも会社の人に、見られて、「スーパーがお好きなんですね」と言われました。それほど「狭い」街なんです。
 又ブラジル人はじめ外人の比率が高く、日韓ワールドカップ時の興奮は、すごいものが
ありました。

 この街は競争が少ないためか、物価は高値安定です。
でも全国企業の生産基地も多く、ブルーワーカーが多いためか、デパートが成立せず
撤退や倒産が相次ぎました。

 この街ともあと2年でお別れです。定年後は岡山です。

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