おっさんノングラータ

魚は頭から腐るらしいよ。( 'ω`)

スカイ・クロラ The Sky Crawlers(★★★)

2008年08月12日 | 映画2008
押井守版オイディプス神話
goo映画(62点)
超映画批評(60点)

既にタイトルでネタバレしている気がしますが、以下の文章には本作に関するネタバレが含まれています。また、書いているおっさんは押井守に格別な思い入れもなく、原作にも興味がなく(原作者の他の小説が合わなかったのだ)、よってストーリーや世界観を曲解している可能性があります。

本作がベネチア映画祭に出品されると聞き、web上での一般的な感想と同じく、映画を観る前から「押井のマニアックな映画で受賞はあり得ない」と勝手に思っていたが、観た後で、「意外にあるかもしれない」とその評価を変えた。世界観はマニアックではあるが、そこで描かれているのは普遍的なテーマである「オイディプス神話」であった。『ダークナイト』が人間の暗黒面を描くためにバットマンを使った、というのと同じで、親殺しの話を描くためにスカイ・クロラ・シリーズを使ったのではないか、と感じたのだ。

ただ、物語の核心に近づくまでにはずいぶん時間がかかる。舞台は1950年代ぐらいのヨーロッパをモチーフとしているのかなあ、とか、国家ではなく企業が戦争を代行しているのだなあ、とか、その戦争を遂行しているのはクローン技術で複製された子供たちなのだなあ、とか、絶対に領土の拡張が起こり得ない航空戦だけしかしないのだなあ、とか、漠然と語られる。その子供たち=キルドレを戦地に送り込む命令を下し、その下支えをするのは大人たちだ。

このダルな世界観に興味を持たせ続ける刺激となるのが、空中戦のシーン。大規模航空侵攻では、第二次大戦のヨーロッパ上空の戦いを思わせる戦いが展開される。巨大な四発機(八発機もあったか?)が大口径砲の攻撃を受け、崩れながら墜落していく様は、FW-190に撃墜されたB-17を見るようだ。

映画は、敵側の「ティーチャー」が主人公側の戦闘機(震電を思わせる散香)を撃墜するシーンで始まる。そこでティーチャーが見せるマヌーバーは、敵が後ろについたら急上昇に転じ、失速寸前まで減速して敵機をオーバーシュートさせ、逆に背後をとるというもの。これと同じマヌーバーを主人公ユーイチが初陣で見せるのは、物語全体の伏線であり、クライマックス・シーンへの布石である。最後に、彼は列機にこう告げて、ティーチャーに立ち向かう。

ティーチャーを撃墜する/I kill my father

字幕では「ティーチャー」だが、台詞でははっきりと「father」と言っている。ユーイチの複製元はティーチャーで、菊地凛子(が声を当てた司令官)が惚れた相手もそうなのだろう。菊地凛子(が声を当てた司令官)に惚れたユーイチは、オイディプスよろしく父親を殺さなければならなかった。

大人のコントロール下にある世界で生き、戦うキルドレたちは、ただの子供にすぎない。戦死しても別の分身が補充され、その安定した世界は永続する。その世界に疑問を投げかけ、世界を支配する大人たちに対抗しようとするのが成長というものであり、精神的な親殺しということになる。

> なお押井監督が「映し鏡」と語っているように、キルドレたちの選択や生き方が現代の若者のそれを表している事は間違いなかろう。監督が若者に伝えたいメッセージは、クライマックスのモノローグに込められているそうなので要注目。(超映画批評)

しかし、ユーイチはティーチャーに勝つことはできなかった。前述のマヌーバーで戦いを挑むが、同じ手なら、ティーチャーのほうが上手だったのだ。

エンド・ロール後の描写をどう受け止めるか。再び同じ世界がループすると考えるのか、それとも繰り返しの度に生じるごく小さな変化が少しずつ世界を変え、いつかブレーク・スルーするのか。「現代の若者」ではないおっさんは後者を支持したい。1回で駄目なら、何度でも精神的な親殺しに挑め。それが監督からのメッセージだと思ったが、どうだろうか。


菊地凛子は棒読みっぽかったけど、役柄を考えるとそんなものか。栗山千秋は巧かった。ついでに彼女(が声を当てたパイロット)が乗る機体のほうが、散香よりも格好良かったというのが何とも。


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