帰りのバスに乗る前に少し時間を作って石巻市内を走らせていただきました。
仙台と石巻を結ぶ「仙石線」を越えて海岸側に入ると、状態は一変しました。
何もありません。
なにか、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
言葉が出ないまま車はゆっくり走ります。
作業者の車が行き交います。
埠頭の近くまで来ました。
その角のビルにこんな看板が・・・・。
この波が線路を越えて、高速道路まで達したのだそうです。
振り返ると、そこには以前街があったはずの土地が広がります。
埠頭近くの倉庫は。
下の部分を津波が突き抜けた跡がそのままで、解体もいつされるかわからない様子です。
事務所も柱のみ。
昨日、忙しい中石巻や小淵浜を案内してくれた佐藤さんが帰りの車の中で話をしてくれました。
「・・・・自分にとって、こうやって小淵浜に通って応援するのが使命なのだと感じています。 だから自然に
身体が動くんです。 あの日、ここ東北の人はみんな大きな心の傷を負いました。 家も、仕事も失い
大切な愛する人も失った人もいます。 大きな傷は今も癒えないままです。 わたしも、そんな傷を
こうやって応援することによって少しづつ癒しているのかもしれません。 しかし、これからは支援から応
援へそして東北も全国もみんな仲間になってお互いに交流し合えるコミュニティにしていきたいんですよ。」
そう、言われていました。
わたしも、あの3月11日にどこにどう開いたか解らない穴があります。
どうしても、埋まらないこの傷はボランティアや支援で癒えるものではないのだと、今回の訪問でなんとなく
解ったような気がします。
佐藤さん言うように、東北や全国の志のある方々と元気に前を向いて行けることが少しづつの自分自身の復興
なのかもしれません。
宮城県小淵浜。
牡鹿半島の先端近くに位置するその漁港は本当に元の姿が解らないほど被災していました。
この度、訪れたこの港はワカメの収穫でにぎわっていました。 活気も感じました。
お会いした漁師のみなさんも、とても元気です。
今回何をしに行ったのかを素直に認めている自分がいました。
応援してます。 小淵浜。 そして、みんながみんなを支えています。
心地よい帰路につけました。 また、近いうちに遊びに来ます。