つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

「昭和のこどもたち」写真展・・・

2006-05-05 | Weblog
 写真家・土門 拳(1909~90年)の写真展「昭和のこどもたち」が岡山市のデジタルミュージアムで開かれている。昭和10(1935)年から35年にかけて撮影されたモノクロ写真約220点が展示されているそうである。地元新聞に掲載される写真の数々を見ると、自分の子どもの頃を思い出させる懐かしいもので、近くであればぜひ行ってみたいと思った。
 彼は子どもが好きで、時間さえあれば子どもを撮っていたという。悲しい目をした女の子、楽しそうな笑顔の男の子、純真無垢な子どもたちの様子や、その時代を象徴する背景の写真は、モノクロだけに余計に、懐かしさと物悲しい気持ちにさせられる。
 写真の、チャンバラ、石けり、馬跳び、ベーゴマ、路上で天真爛漫に遊ぶ子どもの姿は、今や他国のできごとのように感じる。昔の遊びは一人ではできないものが多かったから自然に集団ができ、その集団の中で色々な知識を吸収し、成長して行った。
 それに比べて今の子どもたちは、習い事や塾通いで時間の制約を受け、遊びといえばゲーム機器で一人遊びをする。これでは学習能力は優れても集団的な社会生活に適応できない、感情の乏しい、子どもらしくない子どもになっても不思議はない。その上昨今、子どもたちを狙う凶悪犯罪の多発で、学校の行き帰りに道草をして自然に触れることさえできないのである。
 私が子どもの頃は、学校から帰るとすぐカバンを放り投げて遊びに出たものである。男の子のように遊びの種類は少なかったが、石けり、ケンケン遊び、缶蹴り、かくれんぼなどと、退屈する暇もなく日暮れまで遊び、宿題ができなくてよく親に叱られた。夏になると川へ泳ぎに行ったり、魚を獲ったり、とにかく自然の中でお金の掛からない遊びばかりであった。うちの親は、勉強は言われなくてもするものであるといい、決して勉強しろとは言わなかったし、第一勉強机などなかった。ちゃぶ台という食事をするテーブルが机の代わりで、姉弟と鉛筆をなめながら宿題をしたことを思い出す。
 近所のどこの家とも顔見知りで、どこの家にもお母さんがいた。今のように母親が外で働くことはなく、小学校まではいつも母親がそばにいたように思う。そしてどこそこの子どもの区別なく、悪さをすれば叱られるし、可愛がってもくれた。地域の人たちの温かい目が行き届いていたから、子どもたちは安心して外で遊べたのである。その頃の町内の様子や、隣近所のことは、今でもはっきり思い出すことができる。いうなれば貧しくてもその頃が一番幸せであったと言うことだろう。
 「昭和のこどもたち」の写真一枚一枚が、そっくりそのまま私の子どもの頃の記憶につながり、遠い昔を懐かしむことができた。あの頃は、金がすべてではないと本心から言えた、よき時代であった。
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