この猛暑の中、帰省した家族連れが墓参りに行くのを見かけた。都会に住む若者たちにとっては、遠い故郷にある先祖代々の墓守りをどうするか、親が元気なうちはいいが、いずれは若者たちに引き継がれることになるのだが、これも重責なことである。
先日、亡父の33回忌の折も、今後の墓守りについての話が出た。私がいなくなればもうこの地の縁者は他家に嫁いでいる姪だけである。宗派も違うし、他家に嫁いだ姪にわが先祖の墓守りを託すことは道理にあわぬ。結局、今の墓は永代供養にして、跡取りの弟やその子ども達は都会に新たに分家の墓を建てるか、またはここの墓石をそっくり移転するか、いずれ近いうちに選択を迫られることになる。しかし、永代供養となればそれ相当のお布施が必要である。
最近はお葬式やお墓の形態が変わりつつあるという。墓石を建てないというのも珍しくないそうだ。先日岡山市で、『変わるお葬式、消えるお墓』という題で講演会が行われたそうで、新聞に掲載されていた講演の要旨を紹介する。
『少子高齢化や核家族化で、葬送の在り方も多様化している。葬儀や墓について、どんなことを心得ておくべきか。―後略―。
訃報に接する機会が増える中、香典を「お互いさまだから」とやめる地域が出たり、東京、横浜などで火葬場が足りず、1週間~10日待ちになったりする問題が起きている。親の遺体が気持ち悪いという子ばかりか、お年寄りが亡くなった時「遺体を見せるのはよくない」と、生と死について教えなければならない孫を葬儀場に連れて行かない例もたくさんある。
葬式は、この10年でガラッと変わってきた。大きな違いは参列者数。今は家族葬、身内やごく親しい人だけで葬式をしたい人が増えている。高度成長期から葬式が派手になり、家の財力や故人の地位を示すバロメーターだったが、今は都内の3割は葬式をせず、火葬のみで済ませる人が増えている。葬式を自宅でなく葬儀会館で営み、亡くなっても火葬が終わるまで近所に知らせないことも一般化してきた。―中略―。
葬式費用は、葬儀社に払う葬儀施行費用、宗教関連費用、飲食接待費の3つからなり、大体同額ずつかかる。―中略―。葬儀社が死亡届、仕出し手配など何でもやるようになった。一切任せると100万-200万円もかかる。安く済ませるには、全部自分でやればいい。火葬場に予約、遺体は自家用車で運び、棺おけも自作すれば火葬料金(1万円)しか掛からない。―中略―。
「○○家の墓」は火葬が普及してからの新しいやり方。日本は国土が狭く、1人1つの墓より省スペースになるが、代々継承されなければ無縁墓になる。無縁墓になったとき、法律で今は墓を撤去していい。
「娘が嫁いでしまって無縁墓になる」と思っている人がいるが、男性でなければ継承できないことはない。夫婦が同じ墓に入るか否かも自由で、最近はそれぞれの実家の墓に入るケースが多い。同性の人が入らなければならないこともない。
これからは血縁にこだわらない考え方が必要。血縁を超えて一緒の墓に入る合葬が出てきている。自治体が新しく墓を造るとこのパターンで、地元住民が入れ、生前に申し込める所もある。また、最近は「ありがとう」「愛」など好きな言葉を刻んだり、形を碁盤やハート形、ベンチ式にしたりする墓が増えている。―後略―』。
時代が変われば日本古来の風習もだんだんと変わってゆくのは仕方ないにしても、人間としての最期の儀式である葬儀や、こうした墓の様変わりを、ご先祖様はどうごらんになっているだろうか。しかし、若者が都会に出てしまい跡を継ぐものもないとなれば、故郷にある先祖代々の墓守りは誰が受け継ぐか、深刻な問題である。今の若い人たちの感覚でゆけば古来の風習など時代にそぐわない、いずれは「千の風」の“私はお墓の中にはいません”となると、墓石を建てないということになるかもしれない。
先日、亡父の33回忌の折も、今後の墓守りについての話が出た。私がいなくなればもうこの地の縁者は他家に嫁いでいる姪だけである。宗派も違うし、他家に嫁いだ姪にわが先祖の墓守りを託すことは道理にあわぬ。結局、今の墓は永代供養にして、跡取りの弟やその子ども達は都会に新たに分家の墓を建てるか、またはここの墓石をそっくり移転するか、いずれ近いうちに選択を迫られることになる。しかし、永代供養となればそれ相当のお布施が必要である。
最近はお葬式やお墓の形態が変わりつつあるという。墓石を建てないというのも珍しくないそうだ。先日岡山市で、『変わるお葬式、消えるお墓』という題で講演会が行われたそうで、新聞に掲載されていた講演の要旨を紹介する。
『少子高齢化や核家族化で、葬送の在り方も多様化している。葬儀や墓について、どんなことを心得ておくべきか。―後略―。
訃報に接する機会が増える中、香典を「お互いさまだから」とやめる地域が出たり、東京、横浜などで火葬場が足りず、1週間~10日待ちになったりする問題が起きている。親の遺体が気持ち悪いという子ばかりか、お年寄りが亡くなった時「遺体を見せるのはよくない」と、生と死について教えなければならない孫を葬儀場に連れて行かない例もたくさんある。
葬式は、この10年でガラッと変わってきた。大きな違いは参列者数。今は家族葬、身内やごく親しい人だけで葬式をしたい人が増えている。高度成長期から葬式が派手になり、家の財力や故人の地位を示すバロメーターだったが、今は都内の3割は葬式をせず、火葬のみで済ませる人が増えている。葬式を自宅でなく葬儀会館で営み、亡くなっても火葬が終わるまで近所に知らせないことも一般化してきた。―中略―。
葬式費用は、葬儀社に払う葬儀施行費用、宗教関連費用、飲食接待費の3つからなり、大体同額ずつかかる。―中略―。葬儀社が死亡届、仕出し手配など何でもやるようになった。一切任せると100万-200万円もかかる。安く済ませるには、全部自分でやればいい。火葬場に予約、遺体は自家用車で運び、棺おけも自作すれば火葬料金(1万円)しか掛からない。―中略―。
「○○家の墓」は火葬が普及してからの新しいやり方。日本は国土が狭く、1人1つの墓より省スペースになるが、代々継承されなければ無縁墓になる。無縁墓になったとき、法律で今は墓を撤去していい。
「娘が嫁いでしまって無縁墓になる」と思っている人がいるが、男性でなければ継承できないことはない。夫婦が同じ墓に入るか否かも自由で、最近はそれぞれの実家の墓に入るケースが多い。同性の人が入らなければならないこともない。
これからは血縁にこだわらない考え方が必要。血縁を超えて一緒の墓に入る合葬が出てきている。自治体が新しく墓を造るとこのパターンで、地元住民が入れ、生前に申し込める所もある。また、最近は「ありがとう」「愛」など好きな言葉を刻んだり、形を碁盤やハート形、ベンチ式にしたりする墓が増えている。―後略―』。
時代が変われば日本古来の風習もだんだんと変わってゆくのは仕方ないにしても、人間としての最期の儀式である葬儀や、こうした墓の様変わりを、ご先祖様はどうごらんになっているだろうか。しかし、若者が都会に出てしまい跡を継ぐものもないとなれば、故郷にある先祖代々の墓守りは誰が受け継ぐか、深刻な問題である。今の若い人たちの感覚でゆけば古来の風習など時代にそぐわない、いずれは「千の風」の“私はお墓の中にはいません”となると、墓石を建てないということになるかもしれない。
しかし、私は墓参りも経験がないので、孫には経験させてやり、情操教育の一環とする考えで墓を作りました。
けれども、将来のことを考えると、貴女のブログのように問題が生じます。今は自分の骨が入る為のお墓となりました。今後のことは今後のことです。なるようにしかなりません。ケセラセラの心境です。
結論として先祖を崇拝する日本の美徳は残しておきたいですね。
また、夫婦でも妻は夫の家の墓に入りたくない、自分の実家の墓にという人が多くいるのですよ。
夫婦仲が悪いからかもしれませんが、これからはお墓事情も変わってくることは否めませんね。
私とてもう少し高齢になれば、バスで1時間もかけて不便なところへ墓参に行くことが出来なくなります。本当に深刻な問題です。
昨年母の葬儀には、100人近くの方々にご参列して頂きまして、大変感謝しています。
喪主は私でしたので、葬儀費用はある程度の金額で行う事ができましたよ。
母の遺骨はまだ自宅に置いてありますが、これから納骨するようにしています。
15日、母と嫁のお父さん、林君の盆法要をして来ました。
これからも法要は欠かさずにするつもりです。
毎日暑いですね。
お若いのにちゃんと先祖の供養をされてるのは感心ですね。
近くにお墓があればいいですが、遠くにある場合はそう度々は行けません。ついついおろそかになってしまいますが、本当はちゃんと先祖の供養をすべきです。
仏教ではお先祖さまの魂は生きている人の心の中にあるといいます。生きているうちに功徳を施すことです。
自分のルーツなんて曾祖父のこともしりませんし、本家の墓ももう何十年も行ったことがありません。
だんだんと世代交代して付き合いも狭まって、今は法要も兄弟とそのツレアイくらいとなりました。
昔は法事は孫子の祭りと言って賑やかにやっていましたが、それも年寄りがいる間だけでした。
小さい頃から仏壇のある家で育った人は信仰心がちがうような気がします。
ただ、最近では私のような環境は珍しいかもしれず、そうなるといわゆる今風の思考が先行するでしょうね。
ただ最低限、日本人としての常識程度は心得ておくべきでしょう。くだらない論理で周囲とギクシャクしては先祖はもとよりその末裔も困ります。
これも教育と心がけています。
なかなか仏事に関心をもっている人が少ないのに、男性で、しかもまだお若いのに感心ですね。
やはり仏壇のある家、祖父母とともに育った人は、そういったことには熟知しているし、当然のことと受け止めているのでしょうね。いいことだと思います。
でも、核家族になり田舎を出て都会暮らしの中では、色々な事情もあり伝統の継承が難しいのも確かです。
先祖の供養は大切だと思います。