そこそこの放送作家・堀田延が、そこそこ真面目に、そこそこ冗談を交えつつ、そこそこの頻度で記す、そこそこのブログ。
人生そこそこでいいじゃない





今年一番楽しみにしていた映画がついに公開された。
「怒りのデス・ロード」から待つこと9年。
ついに「マッドマックス:フュリオサ」がやってきた。
公開3日目の日曜日、二子玉のIMAXで観てきた。
その感想を述べる。

素晴らしい。
星は4つ。★★★★
ひとことで言えば、スゴい。
そして、すさまじい。
「スゴい」「すさまじい」としか言いようがない異常な熱量で、異常な世界観に狂気と暴力がこれでもかと詰め込まれ、2時間半にわたってひたすら濃厚な映像体験。
スクリーンに映し出されている映像の密度があまりにも濃すぎて、映画が始まってしばらくの間は呆気に取られ、放心状態に陥った。
そして、その後、今度は自然に涙が出てきて止まらなくなるという状態に陥った。
涙を拭ったあと、ふと冷静になり、物語を浴びていったのだが、そこで「あれ?」となった。
だから、前作「マッドマックス/怒りのデス・ロード」では星10点満点という破格の高評価だったのに対して、今回は星4つとなったわけだ。
その辺の理由はこのあとネタバレ全開で記す。
しかし、とはいえ星4つと言えば、このブログ内で評価してきた映画の中でも相当高得点の部類に入る。
スゴい!
すさまじい!
でも文句なしとは言えない!
個人的にはそんな感じの、もどかしい、いや、もどかしすぎる大傑作となった。
でも絶対映画館で観るべき映画である。
それだけは間違いない。

以下、ネタバレでの詳細な感想。












映画の批評を5点満点ルールとしたこのブログで、5点からマイナス1点せざるを得なかった理由は、ひとことで言えば「思ってたのとなんか違った」からだろう。
結局のところ、星5つどころか10点満点だった前作「怒りのデス・ロード」が偉大すぎるのだ。
あれと比べてしまったら、そりゃあ「なんか違った」が浮かび上がってきてしまう。

では、何が「なんか違った」のか?
まずは、主演女優さんだ。
今回の主演女優アニャ・テイラー=ジョイは、頑張っているし、そもそも才能豊かだし、目力もスゴい。
だが、だが、である。
「怒りのデス・ロード」でフュリオサを演じたシャーリーズ・セロンとどうしても比較しちゃう。
そうすると、あまりにもアニャ・テイラー=ジョイは線が細い。
線が細すぎてフュリオサという役が持っていた肉体的な説得力に欠けるのだ。
そこが大問題で、「なんだかフュリオサがフュリオサに見えない」という大欠点となり、この映画は前作「怒りのデス・ロード」をどうあがいても越えられないのだ。
これはつまり、シャーリーズ・セロンが演じた前作のフュリオサがあまりにも偉大すぎるということだと思う。

2点目。
イモータン・ジョーが、いいヤツになってしまっている。
前作「怒りのデス・ロード」のラストで、フュリオサはジョーに対して「私を覚えている?」と決めゼリフを吐いて復讐を果たしたはずだ。
それなのに、今回の前日譚で描かれるイモータン・ジョーは、フュリオサにとって復讐相手というより協力者みたいになってしまっているのだ。
これは言いたくはないが、あの「スター・ウォーズ/エピソード3」や「スター・ウォーズ/ローグ・ワン」と同じで、「ちゃんと繋がってないじゃん」なのだ(僕の「エピソード3」及び「ローグ・ワン」批判の中身は該当ブログを参照してください)。
イモータン・ジョーとの確執だけはきっちり丁寧に描いて欲しかった。
それなのに、それが全くない。
いやいやいやいや、そこでしょ、キモは。
なんでこんなプロットになったのか、そこは意味が分からない。

3点目。
悪役が弱い。
前作のイモータン・ジョーはその存在感、行動原理、背景などの全てが、魅力的な悪役として完璧だったと思う。
だがしかし、今回の悪役であるディメンタスは、その存在感、行動原理、背景などの全てが、なんだか弱いし、薄いし、軽いのだ。
映画を見終わってふと思う。
アイツ(ディメンタス)は、なんのためにあんなに頑張っていたのか?と。
そう問われたら、あなたは答えられるか?
僕には答えられない。
本当によく分からないのだ。
だが、その割にディメンタスはよくしゃべる。
前作のイモータン・ジョーはほとんどしゃべらなかったが、今回のディメンタスはすごくよくしゃべる。
とんでもない饒舌キャラなのだが、そこに存在感、行動原理、背景などがあまり感じられないため、饒舌キャラがただただ存在の軽さにしか見えない。
この「悪役のキャラクター造形の甘さ」も、今回の映画のマイナス点だと感じる。

そして4点目。
主人公フュリオサの行動軸がいろいろとぶれまくる点。
ここが今回の映画の最大の問題だと思う。
実はこの映画、主人公フュリオサが抱く大目標が2つあって、ずっとどっちつかずなのだ。
それは「故郷への帰還」と「母の復讐」の2つの目標だ。
この2つの目標が同時並行で進んでいくので、ストーリーの軸がぶれまくる。
その上、そこにジャックという戦友(淡い恋?)の登場とその戦友を守りたいというフュリオサの意志が混じってくるため、物語がどこに向かっていくのかが三軸になり、観客の意識が散漫になってしまう。
ここをもう少し整理して、一直線の軸が強いストーリーが構築できれば、この映画、とんでもない傑作になっていた思う。
例えば、まず大目的として「なんとしてでも故郷(緑の地)に帰る」……これを最初のフュリオサの動機とする。
だから、母を殺したのはディメンタスではなく、その辺の小物にして早々に復讐は遂げさせてしまえばよい。
で、故郷への脱出を図るフュリオサのストーリーを素直に進め、そこで、フュリオサから故郷帰還の希望を奪う役としてディメンタスを登場させるのだ。
例えば故郷への道程をイレズミで記した左腕をディメンタスが地図代わりに切り落としてフュリオサから奪う、というストーリーとか……(てっきりそういう話だと途中まで思っていたもの)。
そうすれば、第一目標の「故郷への帰還」をディメンタスによって奪われたことで、今度は第二の目標「ディメンタスへの復讐」が浮かび上がり、1本筋でストーリーは進む。
これで「故郷に帰りたい」と「復讐したい」が同時並行で進むストーリーの煩雑さを解消できただろう。

ということで、映画としては(あくまで感情移入してストーリーを味わうという意味での映画としては)イマイチ面白くなかった。
実に勿体ない。

と、いろいろ文句を言ってきたが、アクションシーンとその奇抜なアイディア、編集、音響、カメラワーク、そして世界観の深さなどは、超一級品である。
冒頭にも書いたが、あまりにスゴく、すさまじく、圧倒的なので、呆気に取られ、涙すらにじむ。
そんな映画体験はなかなかない。
是非とも大音響、大画面の映画館で観て欲しい、今年を代表する1本だと思う。
5点満点中の4点だからね。
「怒りのデス・ロード」が素晴らしすぎただけで、これはこれでスゴいんだから。
あと1回は映画館で観たいと思っている。



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