ニルヴァーナへの道

究極の悟りを求めて

オウム事件を忘れないための参考図書「オウムからの帰還」「日本社会がオウムを生んだ」

2009-05-10 16:45:15 | カルト

高橋英利さんで、一番印象に残っているのは、地下鉄サリン事件が起こり、日本中が大騒ぎをしているさなか、オウムの現役信者として、テレビ朝日のオウム特集番組に自らの顔をだして出演された時でした。
非常に勇気があるなあ、と感心したのですが、高橋さん自身、「オウムの怪しさ」というものを感じており、その時の率直な考えをテレビで発言されたことが、とても印象に残っています。結局脱会するのですが、1995年4月23日のテレビ朝日の久米宏のオウム特番に高橋さんが出て、いろいろ村井さんとの電話でのやり取りの模様などについて話している最中に、村井さんが、青山の教団本部前で刺されるという事件が起こり、それがそのテレビ番組でも報道され、高橋さんが、非常に狼狽されている様子が伝わってきました。このときには、私もさすがに、「オウムの闇」に戦慄を覚えたものです。

1996年に高橋さんはオウム体験の総括の本として、「オウムからの帰還」(草思社)を書いて、この本は、元サマナからのオウムの様々な問題点についての分析本という性質を持っていたので、オウム事件に関心を持つ人にかなり読まれたようです。

1997年ごろ、オウマーBBSというのが開設されていて、オウム関係者らしいみことさんという方が、この高橋さんの本について感想を述べられていたのを覚えています。高橋君は、本当は、オウムに戻りたいのではないかなあー、というものでしたが・・・・・・。
最近、みことさんという名前の人がオウム関連のブログを開設されましたが、あのときの人と同じ方でしょうか。どうもそういう感じもするのですが。

1999年には、高橋さんは作家の宮内勝典さんとの対談本「日本社会がオウムを生んだ」(河出書房新社)を出しています。

「高橋:リフトンさんは、「オウムは唯一違うところは、終末観を抱いたあとに、その終末観を自ら招き寄せようとした点だ」というんです。自ら終末観をつくりあげて邁進しようとしたのはオウムだけらしいんです。これは彼らにとって驚異的であったし、カルトがこうなっては困ると、いままでずっと思っていたことらしいんです。・・・・・・終末がこないと人類というものの罪が精算されないと感じて終末を招いてしまったら、こわいことなんですよ。オウムはそこまでいっちゃったんです。麻原彰晃の感じた終末観のこわいところは、終末が来なければ人類に進化がないと思ったところなんです。」

まさに、私も、オウムの恐さというものがどこにあるのか、ということについて、リフトンさんと同じように感じていて、なるほどと思いました。あのままオウムが暴走をして、サリンの大量生産に成功していたら・・・・・、と想像すると、ゾッとします。第七サティアンをテレビでヘリコプターからの空中撮影の映像で見たときの直感的印象は、オウムは本気でハルマゲドンを起こそうと考えていたのだな、ということです。これは、たぶん、村井さんの考えではなかったのかなあ(苦笑)。

「高橋:ハルマゲドンというのは人類の破滅という言い方をされますけれども、村井秀夫のビジョンの中では、その破滅のあとに自分たちが残ると考え方があると思うんです。村井秀夫をそういうビジョンをもっていた。

宮内 うん、村井秀夫にはなにか透明な恐ろしさがある。確信犯の透明さみたいな。」

ともかく、この本には、このような刺激的な発言がボンボン飛び出し、オウム事件について考えるためには非常にスリリングな材料を提供してくれています。
未読の方には、一読をおすすめします。

最新の画像もっと見る