IPSO FACTO

アメリカの首都ワシントンで活動するジャーナリストの独り言を活字化してみました。気軽に読んでください。

ゴーストタウンで選挙は行えるのか?

2005-11-18 13:56:31 | ハリケーン「カトリーナ」関連
別にマイブームと言うほどのものでもないけれど、1週間前から「ピタ」と呼ばれる中東風のパンを毎朝食べている。日本人にとっての米と同じように、地中海にある国々では(それこそ、チュニジアからギリシャまで)ピタは毎日の主食となっている。ボストンで過ごした学生時代、夜食代わりにピタを食べていた時期があったけれど、自宅で食べるのは3、4年ぶりだ。インド料理に欠かせないナンとそっくりなピタをサンドイッチ用のパンにする人も少なくない。僕の場合、何年も前からピタはフマス(豆をペースト状にしてオリーブオイルやニンニクと混ぜたもの)と一緒に食べる場合がほとんどで、近所のスーパーでは6種類のフマスが売られているので、来週は違ったテイストに挑戦しようと思っている。さて、今日は久しぶりにハリケーン「カトリーナ」についての話題を、17日付のニューヨーク・タイムズ紙から。

ハリケーン「カトリーナ」の上陸から2ヵ月半。復興作業が今も続けられているニューオーリンズでは来年2月に市長選挙と市会議員選挙が実施される予定だが、ハリケーンによって大きく変わってしまった町は、選挙にからんだ新たな問題にも直面している。現在も住民の約80パーセントが町に戻ってきておらず、別の地域での生活を強いられている被災者の大部分は、「カトリーナ」以前に市内の有権者の多数派であったアフリカ系アメリカ人だ。このような状態で来年2月の選挙が実施されるかは微妙な状況だが、もし行われるとすれば、最近のアメリカでは例に無いほどの人種的不平等さが問題化する可能性もある。「少数派が多数派に、多数派が少数派になるわけです」、フアン・ラフォンタ州下院議員(民主党)はニューヨーク・タイムズ紙の取材に対してそう答え、投票日の延期を求めている。「ハリケーンは町の政治シーンを完全に変えてしまいました。今選挙が行われれば、一握りの住民がニューオーリンズ市民全てを代弁してしまいます」、ラフォンタ議員はそう語った。

「カトリーナ」による被害で、ニューオーリンズ市内に設けられていた442ヶ所の投票所のうち約300ヶ所が全壊・破損しており、来年2月までにどれだけ修復されているかは分からない。このような状況を踏まえて、通常は軍人やその家族によって頻繁に行われる不在者投票を、全米各地で生活する被災者にも呼びかけてはどうかという意見も存在するが、現実的には難しいようだ。ニューオーリンズ市内にはすでに6万~10万の住民が帰郷しているが、その大部分は白人ミドルクラスの住民で、ハリケーン前に市人口の3分の2を黒人が占めていた事を考えた場合、ハリケーン後の人種構成に大きな変化が発生したのは一目瞭然となる。住民は町に戻って直接投票を行うか、もしくは遠方からの不在者投票が可能だが、ハリケーンによって住民の個人情報を記録したコンピューターが破壊されたことも事態を複雑にする原因となっている。

ニューオーリンズのレイ・ネーギン市長を含む数名の地元政治家達は、ヒューストンやバトン・ルージュといった町で「カトリーナ」被災者を招いて何度かフォーラムを行っているが、政府や自治体の対応の悪さに苛立ちを隠せない会場の被災者からは苦情が続出しており、2月の選挙についてとても話せる状態ではないのだという。バトン・ルージュで先週行われたフォーラムでは、ニューオーリンズ東地区に住んでいたデービッド・パーカー氏から、ハリケーン通過後に始まった東地区の排水作業が他の地区よりもスローペースだったという苦情がネーギン市長にぶつけられている。「町が私達を必要としないのなら、私達が別の町を作ってもいいんですよ」、パーカー氏はそう語っている。ネーギン市長は最近行われた記者会見で、「多くの被災者はまず大統領や連邦政府に対して激しい怒りを見せており、知事や私がその次に来ています」と語り、被災者の怒りが来年の選挙には大きく影響しないだろうと主張したが、遠方での生活を強いられる被災者と市長の間に温度差が存在するのも事実だ。

90年代前半にアメリカで一躍「時の人」となったハイディ・フライス、数年前に俳優トム・サイズモアとのロマンスが伝えられた後は、あまり名前を聞くことも無かった。しかし、17日付のロサンゼルス・タイムズ紙によれば、フライスはネバダ州で女性向け売春宿をオープンさせるんだとか。フライスについてご存じない読者の方に少し説明しておくと、彼女は90年代前半にハリウッドで知る人ぞ知る存在だった高給売春クラブを経営していたマダムで、警察による摘発後、テキサスの大富豪や俳優チャーリー・シーンがその顧客であった事実が判明している。3年間の服役後、彼女は自分の半生の映画化権をパラマウント社に500万ドルで売却している。有名医師の娘としてハリウッドで生まれ育ったフライスが、なぜ売春クラブのマダムという道を選んだのか、今でも大きな謎に包まれている。俳優とスーパーモデルの娘として生まれ、やがてモデルからバウンティ・ハンターに転職したドミノ・ハーベィとフライスに、僕は類似点を感じずにはいられない。


写真:ネバダ州で女性専用売春宿をオープンさせる予定のハイディ・フライス (ロサンゼルス・タイムズ紙より)

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