ロシア日記

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笑う君のこと

2019年04月27日 | 日記
 政治学専攻の中国人の笑宇くんはこの前鬱になったそうで、「この前、一瞬、鬱になったんですよ」と言いました。「鬱になったの?どのくらい?」と聞いたら「一週間です」という答えが返ってきたので、「それって鬱って言うの?」と問い返したら「何日かは部屋に引きこもったんです」だそうで、「一週間で治ってよかったね」と返しました。
 笑宇くんは、ロンドンに来る前は日本の大学に4年間留学していたということで日本語がペラペラです。以前、日本語スピーチコンテストで優勝した『音楽に国境なし』の内容を聞かせてくれました。

 そんな音楽が好きな彼ですが、音楽では食べていけないからとの堅実な理由で政治学専攻の道を選びました。政治にとっても詳しいです。日中関係や私がロシア好きなのを知って日中露関係の情報を時々ふいに唐突に送ってくれます。その割に、私が「アメリカのレーガンは、大統領としての評価はどうなの?」と尋ねたときは「それは一言では難しい問題であります」と一蹴されました。中国の一人っ子政策についてのことを尋ねたときもノーコメントでした。彼の興味のある事柄を一方的に送ってきてくれます。最近は、中国青島で行われた70周年記念の観艦式についてでした。

 そんな政治に詳しく精通している彼もアカデミックの政治学では時々頭を悩まされていると見え、「こんな理論と机上の空論だけをこねくり回す論文ばかり読んでいると頭が精神病になっちゃうんですよ」と弱音を吐いたりしています。「いつも我慢している感じです」と言っていました。「よくわかる、よくわかる、耐えるしかないんだよねえ」と私も同調します。

 古代ソクラテスの時代から続く理論の世界は、一般社会とは異なる一種独特の世界で、その頃から続く先人達の理論の立証を後人は永遠と論文に手を変え品を変え引き記してきました。ホーキンス博士が専門にしていた理論物理学なんかもまさしくその筆頭で頭の中で理論を展開する学問だと推測します。ああいう天才学問肌は別にしても、アカデミックの世界ははっきりと合う合わないが分かれるのだと考えます。

 まずその見極めの第一段階として修士課程があるのではないかと思います。大学までは一般課程なので専攻はあっても概要をなぞるような感じで本格的に学問を究めるのではなく、その先の修士課程に入り深く追求していく前段階に入ります。ここで人々は初めて、自分の学者としての適性があるかないかに気づくのだと思うのです。私の見立てでは、修士の学生のほぼ80~90パーセントが研究の素質がなく、残りの10~20パーセントの学生がそのまま博士課程に入り学者になっていくのではないかとみています。もちろんその中でも名のある教授先生になれるのはわずかです。

 言語学に進んだ私も政治の好きな笑宇君も研究向きの人間ではなく、一般社会で実践を主体に生きていくほうが性に合っているのです。
 ある日、私が「もう修士課程も終わったし、ロンドンを引き揚げる」というと、彼がひとしきり政治の話を一方的にしたところで、私がそれについて自分の意見をコメントしているのにもかかわらず、突然話の腰を折り「今度はいつ会えるかな」と中断してきます。もう本当に人の話を聞かないんだから、と思いつつ、図体が大きいのに心根の優しい笑宇くんにおかしみを感じます。