雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のミリ・フィクション「山姥(やまんば)」

2013-05-04 | ミリ・フィクション
   「で、出ましたっ!」
 日もとっぷり暮れて、里の家々から油灯の灯りが漏れ始める頃、村の庄屋の表戸が叩かれた。 何事かと庄屋が自ら戸を開けてみると、新田(しんでん)の爺の倅の瓢助であった。
   「お庄屋さん、出ました」
 走って来たらしく、真っ赤な顔をした瓢助が息を切らしていた。
   「なにが出たのじゃ、猪か? 熊か?」
   「これ、これです」と、手の甲を垂らして芝居で見る幽霊の恰好をして見せた。
   「幽霊じゃと、なにを馬鹿なことを、お前さんまだ宵の口じゃというのに寝ぼけておるのじゃな」
   「違いますよ、本当に出たのですから」
 新田の爺の使いで隣村まで行った帰り道、日が暮れてきたので急ぎ足で独り暮らしの山家のお婆が住む北山の麓あたりに差し掛かったとき、木陰に山家のお婆が佇(た)って手招きをしていたと言うのだ。
   「お婆、どうしなすった。 近頃は村に姿を見せないじゃないか」
   お婆は、何も言わずにお婆の棲家のあばら家を指さし、スーッ宙に浮かぶように瓢助を導いて行った。 瓢助は気が急いていたが、無碍に無視することも出来ずに付いて行くと、お婆は家の中へ入っていった。 瓢助も導かれるままに家に入ると、プーンと微かな腐臭がした。 薄暗い家の中を凝らして見ると、髪の毛が乱れたほぼ白骨化した死体がそこに有った。 瓢助は、それが山家のお婆の屍であると直ぐに気付いた。
   「お婆、何処に居なさる?」
 やはり、瓢助の前に家に入った筈のお婆の姿はなかった。 表に出てみると、お婆が立っていた。 今度はお婆の家から少し離れた柿の木の根元を指さし、両手を合わせながら、お婆の姿は消えていった。 もうすっかり暗くなってはいたが、柿の木の下に薄っすらと盛り土が確認できた。
     「お婆、明日また来るからな」と、姿が見えないお婆に話しかけ、急いで村まで帰ってきたのだ。
     「明朝、お婆のところへ行って、お婆の屍を埋葬して来ようと思います」 と、瓢助が庄屋さんに告げると、
   「それなら、私も行きましょう」
 庄屋は快く埋葬に立ち会ってくれることになった。
   「賢頌寺の和尚にも行って貰いましょう」
 瓢助の父、新田の爺も「わしも行って、お前の手伝いする」と、申し出た。

 翌朝、「私は和尚と後から行く」という庄屋を残して、瓢助は穴掘り鍬を担いで、新田の爺は鋸と和釘を持って、父子はお婆の家に向かった。 家に着くと、爺は瓢助に墓穴掘りをまかせて山家のお婆の屍を確かめて掌を合せ、暫くは念仏を唱えていたが、徐に立ち上がると、「どうせ倒されて焼かれる家だから」と、家の床などを斫って、板切れを集めはじめた。
 墓穴は見晴らしの良い畑の隅を選んで掘り進めた。 爺は、器用に板切れを継ぎ合わせて棺(ひつぎ)を造った。 当時は棺桶と言って丸い桶を棺にしたが、すぐさま手に入るものではなく、爺の気転で箱を作りあげたのだ。 爺が仕事を終えて一服煙管(きせる)をくゆらせているところへ、庄屋と和尚が駆けつけた。 和尚に経を唱えて貰う傍らで、庄屋に手伝って貰い新田の爺がお婆の屍を棺に納めると、折良く瓢助が「穴が掘れたから見てくれ」と、言ってきた。
   埋葬を終え、和尚が用意してくれた戒名が書かれた卒塔婆(そとば)を取り敢えず立て、ささやかながらお婆を葬ったとき、瓢助は「あっ」と、素っ頓狂な声を上げた。 お婆が柿の木の下を指さしたことを忘れていたのだ。
    「お婆の亡霊はあの盛り土を指さした、あそこが気懸りなのでしょう」
 瓢助が言ったので、「それでは、掘ってみよう」と言うことになった。 掘り進めるまでもなく、一体一体丁寧に筵で包まれた小さな人骨がたくさん出てきた。 そのあまりにも小さいことに、一同は唖然となった。
      「なんだ、これは?」
 新田の爺が、その稀有な光景に度肝を抜かれていた。
    「生まれたばかりの子供の骨じゃろ」
 和尚が言った。
    「もしやお婆は山姥だったのでは?」と、新田の爺が言ったので、瓢助は背筋が凍るような恐怖を覚えた。 山姥は死んでもすぐに生き返ると、子供の頃に聞いたことがあるからだ。
 その場は、そっと埋め戻して村へ帰り、瓢助は近隣の村々に生まれたばかりの子供がさらわれた事実はないか訊いて回ることにした。 そんなことがあれば、必ず庄屋の耳に入っているに違いない。 瓢助は近隣の庄屋に訊いて回ったが、いずれも「知らない」という答えだった。 瓢助は、勇気を振り絞って、もう一度独りでお婆の幽霊に逢ってみようと決心したのは、それから数日が経ってからであった。

 新月の夜が更けて、瓢助は提灯の灯りを頼りにお婆の家に向かった。 やはりお婆は成仏せずに、あの木陰に佇んでいた。
      「お婆、教えてくれ、柿の木の下の子供たちは何処から連れてきたのだ」
 返答はなかった。
    「お婆は山姥か? そう思われても良いのか?」
 軽く、ゆっくりと首を横に振った。
    「では、子供は遠くの村からかっさらって来たのか?」
 やはり、首を横に振った。
    「近くの村からだというのか?」
 お婆は、こっくりと肯いた。 瓢助は暫く考え込んだが、すぐに理解できたようだった。
    「お婆、そうだったのか、俺は解ったぞ」と、手を打って叫んだ。
 庄屋から伝わったのであろう、村にはもう「山家のお婆の正体は山姥だった」と、噂されていた。 さらに、赤子を攫(さら)ってきては食っていたと、実しやかに尾鰭さえ付いていた。 瓢助は、村の主(おも)だった年寄りに集まって貰い、山家のお婆の名誉のために説明した。
    「 お婆は山姥なんかではない」と、前置きをして、自分の推理を語った。
 瓢助の住む村は、比較的地の利で肥沃な土地に恵まれているが、土地が痩せ、或いは水不足の村では生まれて来る子供をみんな育てることは出来ない。 当時は避妊や堕胎の知識は殆ど無く、4人目、五人目などは産婆に頼み込んで「死産」ということにして生まれてきた赤子を殺してもらう。 その死骸を他人に気付かれにくい山家のお婆に託していたのだ。 近隣の村々の産婆や貧しい村人たちには、山家のお婆は救いの神とも思えたに違いない。

    「どうか、山家のお婆の噂は、この村だけに納めてほしい」
 瓢助は懇願した。 その甲斐あって、噂は近隣に伝わることはなかった。 瓢助は、子供たちの亡骸をお婆の墓の傍に丁寧に改葬し、まだ俗名すらも無い赤子たちを「水子の霊」として、お婆と共に墓標に刻んだ。

 現在では水子と言えば胎児に限っているが、瓢助の生きた時代では幼児も含んだのだ。
    「お婆、野花を摘んできたぞ。 赤子たちには、団栗(どんぐり)だ」
 その瓢助が供えた団栗のひとつが、やがて芽を吹き椚(くぬぎ)の壮年樹になった。 瓢助が亡くなって、半世紀後のことである。

  (修正再投稿)  (原稿用紙8枚) 


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