武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

ちょっとの稽古と、たくさんの休憩で日が暮れて

2011年05月17日 14時07分02秒 | Weblog
森鴎外の「高瀬舟」を、6月9日横浜(上大岡)で読むことになった。

1か月を切っているのに、まだ下読みをしている。

読んでも読んでも、苦しくて涙がでる。

どうして泣けてくるのか、わからない。

友に、涙が出てしまうのだけれどと話したら、どうしてここで?と驚かれた。


全体があっての、その部分、なのだけれど。


本番に間に合うんだろうか。




6月9日の会は、研究会的な要素の強い会であるので、様々な挑戦をさせていただいている。前回は中島敦「山月記」を読んだ。
ベテランの皆さんからいただくご意見は、とてもありがたいものだ。

そういえば、2月の別の場所の批評会で、こんなことを言われた。
「あなたは、私たちが言ったことに対して反論をしない。あなたには自分の意見というもの、自分の考えというものがないのか?」と。

なぜ、反論をしなければならないのだろう。たいていの人は、「反論」のような「言い訳」をするけれど、私も時々、してしまうことがあるけれど、言い訳を聞きたいのかしら?

それが白か黒かを言い合っても、何も得ることはできない。白か黒か赤かピンクか、私は私の正解を持っている。でも、批評を聞く会でわざわざ敢えて正解を述べる必要はなかろうと思う。……事前の朗読で、私は私にとっての正解を表現しているのだから。それ以上、何も言うべきことはないような気がする。

批評をいただくことで、私は、一つの言葉が、文が、物語が、たくさんの色を持つことに気付く。それが有り難いのだ。私の正解を認めていただいたら、それが嬉しいのだ。作品に対する理解も、ぐぐっと深まるような気がする。

いただいた意見がより良いと思ったら、次回には読みが変わるだろう。私ので正しいんだなと思えば、私のやり方を貫くだろう。世間的に間違っていても、自分がこれで良しと確認できれば、貫くだろう。ただし強情だけは避けねばならない。この「強情」っていう奴が、私の敵なのだっ。



さてさて、稽古をしなくては。たくさんのご意見をいただくために、励みましょう。
いい加減な稽古をしていては、良いご意見もいただけません。せめて言葉遣いと漢字の間違いだけは、せぬようにね(笑)
コメント (1)
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