武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

猫の喧嘩

2006年04月24日 16時14分42秒 | Weblog
夜中、時々私の布団の中の場所取りで、猫達が喧嘩をします。

古い順に、ももこ、みみこ、とむ、と言いますが、
私の腕の中には、いつも、ももこが寝ます。
ももこが、どこか他の場所にいて、布団が空いていると、ささっと、他の猫が入ってきます。早いもの順です。私の目が覚めているときには、融通してあげて、円満に3匹が、布団の中に収まります。でも、熟睡している時、たまに喧嘩をします。ももこが、遅れて入ろうとすると、手を出して、喧嘩をしかけるのです。入るな、とばかりに、猫パンチです。

ももこは、堂々と正面から入ります。当然のように。
みみととむというと、横から、下のほうから、こそこそと入り込んでくるのです。
要領が良いのでしょうねえ。すんなりと、ももこは受け入れるのに、正面からやってくるももこに、他の2匹は、辛く当たる。

ももこから、入る、という順番を違えると、面倒なことになる。

というわけで、鼻の頭に、猫パンチのとばっちりが、流れてきて、ギザギザの傷が出来ました。

あとが残りそうです。

泣きっ面に、猫パンチ

昨日から、絶不調のねこめめでした。
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初心に帰って

2006年04月21日 19時53分10秒 | Weblog
『おりゅう柳』を、おはなし会で、語りました。

最大級の緊張というのでしょうか。
緊張の中で、最後まで語りきって、最後の「~ちゅう話なのですわ」で、頬が思わず上がってしまいました。

初心。
久しぶりに初心者になって、皆さんの意見をお聞きして、幸せな気分になりました。15年近いお付き合いなのに、初心というのも妙だね、と、言いながら、忌憚のない意見をいただきました。

まずは、題材の選び方を、勘違いしているよ、と。そうですよね、子ども達のためのおはなし会ですもの。これは失敗。

どんな語りをするのだろうと興味があったが、その辺はちゃんと理解しているようで、努力のあとが伺える、と。

間の取り方:ずいぶんゆったりと間を取っていたが、計算してのことか?

いいえ。単に記憶をたどるのに時間が掛かっただけです。計算していた部分もたしかにあるけれど、緊張していましたので、と答えた。


みなさん、近松の語りやら朗読をしていることを、理解して、待っていてくれたのです。有難いことです。

来月は、『ねずみ浄土』を語ろうかと思います。

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朝の読み聞かせ

2006年04月17日 19時26分00秒 | Weblog
新1年生に、恒例の朝自習の読み聞かせをします。

『みんなうんち』
『これはのみのぴこ』
『ソメコとオニ』
あいだに、手遊びを入れて、約20分。
今朝は、もうひとりのお母さんが、春らしい本を読みました。サークルに入ってまだ間もないので、とても緊張している様子でした。

控え室で、これもまだ新しいお母さんなのですが、「読むのは好きだけれど、手遊びは、とてもできないわ」と言いました。
「あらあら、そんなことないですよ、やってごらんなさいよ、楽しいですよ~」
みなでいっせいに、言いましたが…ちょっと困っていました。
はじめのい~っぽ♪ なのですよね。

無理せずに、今年も楽しくあそびましょうね。
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隣組長です~

2006年04月13日 19時46分13秒 | Weblog
今月から、自治会隣組長の当番。二度目のお役。
回覧板の順番表を作り、たった今、広報と回覧を配り終えたところです。

ひとりで暗い道を歩きながら、ああ、昔は、子どもの手を引いて、よぉーいどん、をしながら配り歩いたのだなあと、少しだけセンチメンタルな気持ちになりました。
家に帰っても、まだ誰もいない。家族の帰りを待ちながら、夕飯の支度をして…。暗くなると、家の中がやけに広く感じます。でも、皆がそれぞれ、外で元気に動いているのだから、それはそれで仕合せなことであるのかもしれない。

今朝採れたての筍が届いています。今年初!! 筋にならないうちに、下茹でして、お夕飯は、たけのこづくしのメニューです。
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上方言葉が難しい

2006年04月13日 16時13分00秒 | Weblog
近松の原文は、地の文の部分も時々関西口調だなあ、とは感じていた。

やはり地の文だって、関西弁なのだ。あたりまえです。義太夫の台本ですもん。

だから、私のは、中途半端なんやて。まるっきりの、にせものですわ。

どないすればいいの?

絶対に絶対に、あきらめられない。

だから、10年やろうって決めているのです。

すぐに答えが見つかるはずがない。でも、10年考えても、時間の無駄であるとも思わない。

指導してくれる友人には申し訳ないけれども、しばらくは、よろしくお付き合いくださいね。


関西の言葉で読んでくれた『おりゅう柳』、よかったわあ。

聞いていて、理解できたこと。語りをしている人にありがちな、へんな節をつけてしまうこと。それが癖になってしまうことについて。

文章を選ばねば、どうしたって節が付くのだ。東の国の話は、東の国の文体でなくては、表現できない。西の国の話だって。思いが言葉遣いになって現れているのだ。

そういった節の問題を、語りをする人たちは、どのように考えているのだろう。「語り部口調」というのかな。どこの方言でもない、妙なイントネーション。時に、とても心地よい。けれども、明らかに間違っている。

お話の選び方で、出来の8割は決まってしまう、という。
そういうことかあ、と、腑に落ちた。


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