精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

心を生み出す脳のシステム:再考③

2015-04-07 10:12:39 | 科学と精神世界の接点
◆『心を生みだす脳のシステム―「私」というミステリー (NHKブックス)』より:クオリアと主観 

《まとめ》私たちが知覚する世界の特徴は、それがさまざまな質感(クオリア)に満ちているということだ。目覚めている限り、私たちの心の中にはクオリアが溢れている。「私」とは、「私」の心の中に生まれては消えるクオリアの塊のことだとも言える。

クオリアが、物質である脳の中のニューロンの活動からどのようにしてうまれるのかという問題は「難問」とされ、意識とは何かに答える上で最大の鍵と言われる。

脳の中で起こる物理的・化学的過程は、全て数量化できる。しかし、脳のニューロン活動は、私たちの心を生み出す。主観的体験を生み出す。主観的体験は、さまざまなクオリアに満ちている。このクオリアは、数量化を拒絶する。

私たちの心の中には、ほとんど構造化が不可能に思われるユニークな質感の世界が広がっている。こられ全てのクオリアが、それ自体は物理的現象として数量化可能なニューロン活動によって生み出されている。これは、まさに驚異だ。

物理・化学的にいくら脳を詳細に記述してみても、例えば、私が現に感じている「赤」という色の生々しさ、それがニューロン活動によって引き起こされているということの驚異自体には、全くたどりつけない。(39~42)

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ここで問題にしたいのは、「主観的体験は、さまざまなクオリアに満ちている」という捉え方だ。クオリアとは、結局、主観にどう感じられるかという問題なのだ。主観を前提としないクオリアなどありえない。クオリア的な体験こそが主観的体験なのだ。

さらに言えば、『「私」とは、「私」の心の中に生まれては消えるクオリアの塊のことだとも言える』という言い方は正確ではない。「私」という主観性がなければ、クオリアはそもそも感じられないのだから。


だから、「クオリアが、物質である脳の中のニューロンの活動からどのようにしてうまれるのか」という「難問」の根本には、物質である脳の中のニューロンの活動からどのようにして主観性が生まれるのかという問題が横たわっているはずだ。

そして私には、脳の物理・化学的過程をどのようにほじくり回したところで、主観性が生まれてくるメカニズムを解明することなど出来ないと思われる。クオリアに満ちた主観的な体験は、脳の物理・化学的過程とはまったく異質な説明原理の上に成り立っているのだ。それは、失恋した時の、脳の物理・化学的過程をどれほと解明できたにせよ、私にとっての失恋の痛みや悲しみを説明したことにならないし、それが理解されたことにならないのと同じである。臨死体験や至高体験、覚醒も、それが主観にとってのクオリアとして体験される以上、脳の物理・化学的なメカニズムを超え出てしまう次元をつねに含んでいるのである。

付け加えるなら、近代科学のパラダイムそのもの変換が必要なほどに、この問題は根源的なのである。そしてそのような変換を示唆するような主張は随所に現れはじめている。ただそれは、体制的な科学の側からは無視されているに過ぎない。


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