精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

心を生みだす脳のシステム:再考②

2015-04-06 20:58:48 | 科学と精神世界の接点
◆『心を生みだす脳のシステム―「私」というミステリー (NHKブックス)』をめぐって

「現代の科学的世界観を前提にすれば、神経活動といえども、やはり一つの物質的現象に過ぎない。なぜ、神経細胞が活動すると、そこに主観的体験が生まれるのか――その必然性を、現時点で「科学的」根拠から説明することはできない。実際、私たちが意識を持つ存在であることは、物理学を一つの典型とする科学的世界観からすればあまりにも奇妙な事実なのである。」

「私たちが意識を持つという事実をいかに説明するかということは、今日の科学にとって最大の課題の一つである。脳科学の進展にもかかわらず、そもそも、神経活動に伴ってなぜ意識がうまれなければならないのか、その第一原理は未だ明らかにされていない。」

これは実は、『心を生みだす脳のシステム』のなかにある文ではなく、『脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス』の監訳者あとがきでの茂木の文章である(254・255)。しかし、彼の一貫した問題意識が鮮明に出ている。

意識の存在が、典型的な科学的な世界観からすればあまりに奇妙な事実なのだとすれば、科学的な世界観の延長線上でそれを説明しようとするのではなく、その世界観そのものを疑ってみればいいのに、と私は思うのだが。

「現時点では、私たちの意識がニューロンの活動からいかに生み出されるかについて、確実に言えることはとても少ない。ただ、一つだけ確実なのは、私たちの意識が、脳のニューロンのネットワーク全体のシステム論的性質から生み出されているということである。」(『心を生みだす‥‥』26)
 
しかし、ニューロンのネットワークといえども、物質的な現象の集まりであることには変わりない。物質的な現象の集合から、どうして非物質的な意識が立ち現われるのかを脳の科学はまったく説明できない。

科学的な世界観は、方法論上、意識という非物質的な存在を認めないのだから、科学的な世界観そものが変わらない以上、この問題は解けないのではないか。これは、非常に明白なことのような気がするのだが。
 
なぜ意識問題、クオリア問題が従来の科学的世界観では解決不可能なのか、意識というものの根本的な特性にさかのぼって考える必要があるだろう。これは、私自身の課題であるが。


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