ぶらぶら★アフリック

アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

ラマダンがはじまる2017

2017-05-27 13:30:40 | アフリカ紀行
当地コートジボワールでは昨夜、宗教指導者が新月を確認。きょう5月27日からイスラーム教徒の断食月、ラマダンが始まった。

(ラマダン入りを伝えるメディア)



総じてアフリカ人はとっても宗教に熱心だ。たぶん一般的アフリカ人にとって、一に家族、二に宗教、三四がなくて、五もなくて、六ぐらいにお仕事って感じではないだろうか。また一般的に「アフリカ人とは政治と宗教の話をしてはいけない。」なんていう忠言もある。

ムスリムの濃い国であれば、一日五回のお祈りを大切にする。仕事を止めてでもお祈りする。金曜午後は当然の権利とモスクへ行き、仕事の生産性が下がろうとも、お構いなし。出先でもペットボトルの水で手足、口を清め、神に祈る。酒は飲まない。ブタは食べない。ラマダンを実践し、犠牲祭を祀る。そして家族法はイスラーム法に従う。

グレたり、反抗したりで、酒に走り、戒律を犯す若気の至りといった時期もあるが、しかし年齢とともに信仰に価値を見出し、熱心に傾倒していくという。


アフリカでは宗教対立が日常の問題となっている、といったうように報じられることもあるが、ふだんのアフリカでは他者の宗教にはとっても寛容だ。宗教や部族の違いを超えて、互いに尊重し、助け合って生きている。犠牲祭にはクリスチャンを招き、クリスマスはムスリムも一緒に過ごす。


かく言うンボテも、セネガルにいたころ、友人への「連帯」(soridarité)と称して、2シーズンほどラマダンにチャレンジした。初年度は水だけOKななんちゃってラマダン。2年目は完全ラマダンだ。仕事中はもちろん、週末、激しく運動する時にも、セネガル人と同じ条件で、水も飲まずに耐えてみた。

はじめはきつかったが、そのうち食べる、飲むの選択肢がなくなると、比較的心が穏やかになるのが自分でもわかった。


ところが。
セネガル人の友人が海の向こうに浮かぶマドレーヌ島を遠く見つめながら私にいう。「いいか、ンボテ。ラマダンは欲を断つところから始まる。だからラマダン中は女を目で追ってもいけない。わかったか。」

サイサイ(ウォロフ語で「女好き、プレイボーイ」の意味)のセネガル人がよくいうよ、と疑問がよぎったが、彼らは大真面目だった。

そんな縁があってか、毎度のコリテ(ラマダン明け)や犠牲祭には、セネガル人の友人宅に招いてもらった。羊を捧げ、解体にも参加させてもらった。もちろんノンアルコールだ。こちらのラマダンの方がきつい笑。


今年のラマダンは雨季。涼しく潤う季節のラマダンは、当地ムスリムへのせめてものいたわり。ではアフリカの友人諸君、よきラマダン月を。


(おわり)

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