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ルワンダ虐殺記念日~切っても切れないコンゴとの深い関係(1)

2014-04-06 07:30:36 | アフリカ情勢
1994年4月6日、ルワンダにとって、そして世界にとってもショッキングな事件、虐殺が発生した日。

あの日から20年が経過した。改めて哀悼の意を表し、二度とこのような悲劇が繰り返されないことを心から祈りたい。

(メディアもこの日を前に20年を振り返る。フランス国際放送ラジオ(RFI)ウェブサイトより。)


この気に少しこの虐殺の歴史的背景と、そして切っても切れないコンゴとの関係について述べてみたい。


フツとツチ。もとをただせばドイツの植民地統治、そしてその後は信託統治にあたったベルギーにより、半ば人為的に分けられたことが悲劇を生んだといわれる。1962年の独立で多数派フツが政権を握ると、早くも悲劇が生まれる。少なからぬツチが国を逃れた。


80年代、冷戦のさなか、西側諸国も世界随所で覇権を争った。大湖地方と言われるこの地域もその一つ。フツによるハビャリマナ政権はフランスが支持した。他方、戦略的価値や資源ポテンシャルの高い大湖地方で勢力を拡大するため、英国は米国と協力して切り崩しにかかる。

オセロゲームはウガンダに始まる。英米は反政府勢力を支援し、オボテ政権に対抗させ、86年に転覆を図った。首謀したのがいまもウガンダの大統領、ヨウェリ・ムセベニである。

そして次のターゲットはルワンダとなった。英米、ウガンダはツチのディアスポラを支援し、ルワンダ政権転覆を窺う。それがウガンダでムセベニと反政府闘争を共闘したポール・カガメ。いまのルワンダ大統領である。


虐殺はアフリカの部族対立の構図で描かれることもあるが、それ以上に旧宗主国や大国が作り出したという性格がより強い。そしてこのような構図の中、20年前の今日、悲劇が生まれた。


今日、ルワンダはカガメ政権のもと、危機を乗り越え、輝かしい成長の途上にあるとする評価もある。しかしコンゴ側から見れば、到底受け入れられない評価だ。今日、代理戦争は、いまだコンゴ東部で継続している。そしてそこにはルワンダ、カガメ政権が深く関与していることが指摘されている。


虐殺の歴史は、決してルワンダ国内の小さな部族対立の話ではない。もっと大きなパワーポリティクスの中で進行し、今日もその爪痕も、危機も、過ぎ去ったものではないのだ。

(つづく)

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