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マリはどうなるのか?~編集後記「サハラ地域におけるイスラーム急進派の活動と資源紛争の研究」(2)

2014-02-04 07:30:30 | アフリカ情勢
昨日の記事に引き続き、日本国際問題研究所で行なわれたシンポジウム「サハラ地域におけるイスラーム急進派の活動と資源紛争の研究」について。きょうは、「CMのあと」と引っ張ったンボテ発表について、その内容を紹介したい。

タイトルは「開発の現場からみたサヘル情勢~クロノロジーと今後の展開」。持ち時間20分。そのレジュメを、一部パワーポイント画面とともにここに紹介したい。マリ、サヘル地域で何が起きてきたのか?そして何が今後起きていくのか?われわれにできることは何か?あくまで私見としてまとめさせていただいた。

このレジュメはきわめてまじめ、かつ堅い内容となっているが、実際の発表では絶好の発表日和、レジュメを大幅に逸脱し、ところどころウケと笑い狙いながら、地べたの温度感覚を前面に出して進めたことを申し添えておきたい。笑





報告4『開発の現場から見たマリ、サヘル情勢』 飯村学

1.はじめに
これまでサヘル地域は、国際社会において表舞台としては取り扱われることの少ない地域であった。ましてや日本にとっては地理的にも心理的にも遠い、いわば「裏アフリカ」の出来事として、看過されてきた。ところが、2013年1月のアルジェリア人質拘束事件における惨禍を境に、皮肉にもこの地域の重要性が急遽クローズアップされることとなった。

 私自身はここ10年間にわたり、サヘル・サハラ地域の動静を、事業実施の実務の観点から定点観測してきた。本稿は、地域に根ざした実務者の視点から、この問題の背景に流れてきたコンテクスト、地域が抱える問題、今後の課題と支援にあたっての視点について述べるものである。


2.サヘル・サハラ地域
 サハラ砂漠の周縁地域、特にサブサハラ側の南縁地域を「サヘル・サハラ地域」(Région Sahélo-Saharienne)と呼ぶ。これらの国のほとんどがフランスの旧植民地であり、今日なお、フランスの強い影響力と互助関係が地域に残る。これまで低開発、政治的不安定、ガバナンスなど、多くの課題を抱えてきたが、厳しい中でも、住民は苦悩と宿命を受け入れ、家族と部族の絆を基礎に、楽天的に生活を営んできた。争いを好まず、異なる部族や宗教を超えて共存してきた。

 この地域は亜熱帯~乾燥帯に推移する気候帯に位置し、ここを境に南北で開発ポテンシャルを大きく異にする。また定住の農耕民と非定住民の放牧民、黒人とアラブ系の白人がグラデーションをかけて混じりあうゾーンである。こういったことから、しばしば異なる社会グループが、農耕地や水など限られた生活資源を巡って対立する場面も存在してきた。中でも、トゥアレグ族の存在は特異であった。異なるルーツ、言語、生活スタイルを持ち、また開発の遅れた遠隔の地を本拠としていたことから、バンバラ系を中心とする中央政府と対立、衝突、和平が重ねられた。


3.サヘルを襲った『負の連鎖』
 サハラ砂漠南縁地域では主にイスラム教が広く信仰されているが、その様式は寛容で、他の宗教とも平和の中で共存が図られてきた。そのコンテクストが大きく変わり始めたのは2007年前後、アルジェリアにおける原理主義をルーツとする聖戦主義勢力が、「マグレブのアルカイダ」(AQMI)を称し、サハラ地域で誘拐・人質などのテロ行為を開始してからだ。その後AQMIは活動舞台をニジェールに広げ、北緯17度線といわれた警戒ラインは、2009年前後に15度線を南下。犯行には土地勘と砂漠での機動性に優れたトゥアレグ族が、報酬と引き換えに関与したといわれる。並行してナイジェリア北東部を本拠とするイスラム教セクト、ボコ・ハラムも勢力を拡大した。

 こういった治安情勢の悪化の一方で、西アフリカではガバナンスや民主主義の脆弱性に起因する問題、事件が連続して発生し、地域の安定を揺るがしてきた。さらにこの地域には、乾季に干ばつ・食糧危機、雨季に洪水などの災禍が降りかかった。
 

4.マリ内戦
 内戦の直接の引き金となったのは2011年、リビアの体制崩壊である。カダフィ政権を支えたトゥアレグ人傭兵が、武器と資金を携え、マリ北部に帰還する。そして歴史上の課題となっていた問題が再燃し、翌2012年、マリは内戦に突入する。それまで民主化のお手本、安定した国と評されていたマリは、あえなくその名声を失うこととなる。

内戦は当初、トゥアレグ勢力によるものであったが、その後イスラム勢力と共闘を開始すると主導権はイスラム勢力に奪われる。

 他方、バマコ政権で異変が発生する。トゥーレ大統領の弱腰な姿勢に不満を持った国軍青年将校、サノゴ大尉が2012年3月にクーデターを敢行。北部への攻勢を仕掛けると意気込んだが、軍事政権は迷走。事実上ほとんど有効な策を打つことができず、国家行政機能は全面的に停滞した。このような状況下、同年6月までに北部はイスラム勢力に制圧され、実効支配下となる。シャーリア法典の極解を住民に強要し、人々の生活と日常を恐怖と緊張に陥れた。非人道的な懲罰や歴史的遺産が破壊なども横行した。

 2013年1月、イスラム勢力が南進を開始すると、国連安保理は仏軍に介入のマンデートを付与。北部主要都市の奪還、武装勢力掃討を目的とした作戦を展開した。作戦は順調に推移し、4月までに主要都市の奪還は概ね達成。この動きを横目に、国際社会はマリ正常化に向けた動きを加速化。5月には仏、EU主導の支援国会合を開催、7月には国連マリ安定化ミッション(MINUSMA)が始動。そして7月の大統領選挙の実施、9月のケイタ大統領就任、12月の国民議会選挙と、国際社会が引いた国家秩序回復、民主化へのロードマップを一見順調に歩んできた。


5.マリ再建への課題
 今後マリは国家再建、統治と秩序の回復、国民和解の道を歩んでいくこととなる。この上で重要な課題は、①バマコ政権・トゥアレグとの和平プロセス(双方が代表権を確立し、実効的な交渉を進めていくこと)、②国民和解を進行させること(特に北部における黒人とアラブ系住民の和解、南北格差の是正)、③治安セクター改革(国軍の再統合・再編、旧サノゴ派・前大統領派の融合、指揮機能と規律の確立、処遇改善など)、④経済・社会の回復(平和の配当をいち早く国民に示し、政権を安定させること)などである。


6.低開発と貧困が生んだ『複合災害』
 サヘル・サハラの危機は、脆弱性の問題に、治安とガバナンスの問題が有機的に絡み合った『複合災害』であると捉えるべきだ。問題の根底には、絶対的貧困、食糧危機、気候変動による天候不順、ガバナンスやサービスデリバリーの不機能などが横たわり、その脆弱性を突いてイスラム武装勢力が侵入してきたという構図である。AQMIの勢力範囲の図と、食糧危機の分布図を対象すると興味深い相関がみられる。さらに、同地域に対する国際社会の無関心と、知識の欠如が、災害進行を看過し、助長した。現在もフランスの影響と利権が色濃く残ること、地下資源や開発ポテンシャルに乏しかったこと(※)はその一因と捉えられる。

(※)同国はウランの埋蔵量、生産量を誇る国であるが、仏アレバ社が独占的に採掘し、物議となっている。


7.マリ、サヘル地域への支援の視点
 同地域支援には『復興にむけた緊急のニーズに対処しつつ、周辺国を含めたサヘル地域全体が直面する貧困、食糧安全保障といった根本問題に向き合い、当事国の自立的・持続的な問題解決を支援』していく姿勢が求められる。その上で、①この地に横たわる貧困・脆弱性の問題に、中・長期的視点から、しっかりとアプローチすること、②広域の視点を意識した支援を行うこと、③人材育成や人的能力の開発、組織能力の強化の観点からのアプローチを意識していくこと、④関係当事国が共通の目標と認識のもと課題にあたっていけるよう、国際社会が支援すること、⑤同地域への関心と知識を高めていくことが重要なポイントである。

またイスラム武装勢力が同地から一掃されたとして、また新たなラストリゾートを求めて彷徨う現実がある。それがいつ、どこで牙をむいてくるか定かでない。この問題はサヘルの局地的問題ではないとの認識で取り組んでいくことが必要だ。


8.おわりに
 今回の紛争をまとめるにつけ、危機進行の背景には、日本のみならず、国際社会の無関心と知識の欠如が根底にあったものと感じている。

 大きな課題を抱えつつも、障害を乗り越えて、新しいステージの入り口まで来たマリ。国民も、国際社会も、同国が後ずさりし、再び紛争状態に逆戻りすることは望んでいない。多少の矛盾や問題は承知の上で、国家の再建と、復興を進めていくとの政府、国際社会の強い意志が試される。

そして国際社会は直接的支援のみならず、同地域に関する関心とリテラシーを高め、この地で起きることを白日のものとすることが求められている。

(おわり)


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