DEBONAIR LIFE+LOVE

とりとめる

090527_Yo n de!

2009年05月27日 | Weblog
なつを なんとなく名作100
Yo n deキャンペーン

【あ】
青木淳悟 『四十日と四十夜のメルヘン』
赤瀬川原平『赤瀬川原平の名画読本 鑑賞のポイントはどこか』、
赤瀬川原平『赤瀬川原平の名画読本 どう味わうか 日本画編』
朝倉世界一『ディボネアドライブ』
朝倉世界一『アポロ』
朝倉世界一『月は何でも知っているかも』
浅田彰『逃走論』
浅田彰『ヘルメスの音楽』
阿部和重『アメリカの夜』
阿部和重『無情の世界』
阿部和重『ABC戦争』
阿部和重『公爵夫人邸の午後のパーティ』
阿部和重『インディビジュアル・プロジェクション』
阿部和重『シンセミア』
あだち充『みゆき』
あだち充『タッチ』
あだち充『ROUCH』
五十嵐大介『海獣の子供』
磯崎憲一郎『肝心の子供』
磯崎憲一郎『絵画』
いしいしんじ『プラネタリウムのふたご』
いしいしんじ『トリツカレ男』
伊丹十三『女たちよ!』
伊丹十三『再び女たちよ!』
伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』
いましろたかし『ハーツ&マインズ』
いましろたかし『ザ・ライトスタッフ』
いましろたかし『釣れんボーイ』
いましろたかし『ハード・コア』
いましろたかし『デメキング』
いましろたかし『タコポン』
いましろたかし『ぼくトンちゃん』
いましろたかし『トコトコ節』
いましろたかし『クール井上』
伊藤整『日本文壇史』
内田百『ノラや』
大江健三郎『性的人間』
大江健三郎『万延元年のフットボール』
大島弓子『全てが緑になる日まで』
蛭子能収『蛭子能収コレクション(地獄篇)』
蛭子能収『蛭子能収コレクション(ギャンブル篇)』
蛭子能収『蛭子能収コレクション(病気篇)』
岡崎京子『ヘルタースケルター』
岡崎京子『Pink』
岡崎京子『うたかたの日々』
岡崎京子『UNTITLED』
岡崎京子『リバースエッジ』
岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』
奥泉光『鳥類学者のファンタジア』
奥泉光『新・地底旅行』
奥泉光『その言葉を』

【か】
川上弘美『物語が、始まる』『蛇を踏む』『神様』
川端康成『伊豆の踊り子』
金井美恵子『文章教室』『タマや』『小春日和』『道化師の恋』『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』『快適生活研究』
久住昌之『とうとうロボが来た!』(Q.B.B名義)『中学生日記』(Q.B.B名義)『新さん』
久保キリコ『シニカル・ヒステリー・アワー』『いまどきのこども』『バケツでごはん』
小島信夫『抱擁家族』『馬』
金子光晴
小林秀雄

待ち時間に
なんとなくあいうえお順にやってみると100なんて一瞬ぽい
なんか一言でも付けて作ってみようかしら

090524

2009年05月24日 | Weblog
行った展覧会
『水墨画の輝き』@出光美術館
安土桃山時代からがやっぱり面白い。室町から安土桃山までの辺りを『ひらがな日本美術史』を読み返したい。

読んだ本
『夕子ちゃんの近道』 長島有
よしながふみの『西洋骨董菓子店』(名作)からサスペンスと面倒くささを引いた感じ。終盤の緩やかな離散

進行中
『日輪の翼』
『監督 小津安二郎』 蓮見重彦
『日本文壇史』
『君は永遠にそいつらより若い』 津村記久子

読んだ漫画
『ディエンビエンフー』 西島大介

読んでる漫画
タイトル忘れた 小田扉

観た映画
『近松物語』 溝口健二

観たDVD
『Arashi How's it going?』
『2004 嵐!いざッ、Now Tour!!』

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2009年05月22日 | Weblog
97年代以降にコレクションをはじめわずか10年足らずで日本の若手現代アーティストのコレクターとして有名になった精神科医・高橋龍太郎氏のコレクションを集めた展覧会、上野で始まったばかりの【ネオテニー・ジャパン─高橋コレクション】と日比谷にできるらしい高橋コレクションの期間限定ギャラリーの様子を雑誌などで観ていると、如何にも精神科医が集めそうな作品群が並んでいる。

若手アーティストではないし、彼女の名前を挙げると精神科医が集めているということが必要以上に納得し、すべてある一つの視点から作品を読み込んでしまえると誤解を招きそうな、強烈な作品と物語、キャラクターを有する草間弥生(あの携帯の広告はその展開も含めてきわめて不愉快だ。ロゴそのまんまじゃんと思ってしまうイッタラにはマーク・ニューソンが手がけている作品(廃盤)がある。そういえばあの携帯会社にもマーク・ニューソンが携わったのがあったなあ。)、しかし他に収集されている、できやよい、鴻池朋子、名和晃平、西尾康之といったアーティストは、殆ど(草間弥生も鴻池朋子も名和晃平)も好きなアーティストだが、例えばぼくがコレクターになれるような財力を有していたとしても、絶対に家には飾りたくない作り手たちだ。

これは内田春菊の本、漫画は読むけど本棚に置いておきたくない感情に似ている。それは、作家は作品を作ることでトラウマを克服し、救済されている(作り手からするとこんな紋切り型の理解、わかっているかのような態度は最も嫌悪するだろうけど)その吐き出された作品が持つ生々しさ、強烈さゆえで、それを保有するを想像するだけでぞっとしてしまう。

これらの作家に共通する点は、(今まで考えたこともなかったけど)〔反復〕。この反復がエミリー・ウングワレーの描くような空間の広がりを感じさせず、近視眼的な閉じた印象であること。(草間弥生の作品はどんなに巨大であっても、またその中に入り込んでみても空間に広がりは感じない。)鴻池朋子、名和晃平の作品が鏡やガラス球といった素材としては生々しさを有していない、東恩納裕一の鏡を使った作品が手鏡のフレームに使われている素材のキッチュさを伴っているのに対して、あくまでも素材は素材のまま反復され全体を形成する。しかし、素材の一つ一つの間には〔断裂〕が生じ、統合されることがない。恐らくこのことが近視眼的で作品の閉じた印象を与える。(東恩納裕一のキッチュさはネオテニー〔幼形成熟〕とは異なる。恐らくそれはインタビューにある東恩納の「表現」というものを信じていないことと「表現」によってトラウマを克服しようとする違いではないだろうか)

当然、90年代以降を〔ネオテニー〕という視点のみで総括することはできないけど、トレンドウオッチャーにすれば、なんか一言物申す絶好の機会だと思います。一方、デートには向かないかも。今まで色んな展覧会で観てるけど強烈に疲れるアーティストだから。いや、ここに展示されるアーティスト、超好きなんです、って女の子も男の子も、時々話すのは面白いかもしれないけど熱狂的なファンにはちょっと個人的には近づきがたい・・・ってだけかも。

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2009年05月20日 | Weblog
そういえば行っていた展覧会

二子玉川の陶芸ギャラリー(名前忘れた)
常設展。赤木明登さんのところで修行を積んだ独立したての若手など若手中心の構成。どの作家も非常に買いやすい値段だけどもう一歩踏み切れない感じ。デパートに置いてあるようなギラギラした陶器は胸焼けしそうになるので持って帰らないけど、こっちは何か足りない印象。ちょっと浅い感じ。色じゃなくて印象が。レザーのカメラストラップがなかなかよかった。だけどスタッズベルトを改造してカメラストラップにできないか検討中なので保留。(前のD80は宮崎あおいちゃんに負けじと麻のストラップだったのだけど、それごと持ってかれた。とりあえず携帯とかデコレーションするハートはD90に貼り付けた。前回は半立体のハートのシールだったので今回のほうがキラキラしてて馬鹿っぽい。しかし使っている感じはD80と変わらないので新しいカメラな気分がしない)
ギャラリーの雰囲気はカジュアルでオープン。向かいのカフェもオサレ(入ってないからおいしいのかどうかは不明)。


今読んでいる本
『日輪の翼』 中上健二
『日本文壇史』 伊藤整

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2009年05月20日 | Weblog
目がさめていて、何も考えずにいることができますか、何も考えないということも考えずに?

長い塀にそってあなたは走っている。堀の中では多分拷問が行われていて、前庭には朴の花が咲いている。あなたは一文無しだ、あなたには帰る家がない。そんな夢を見ずにすますには、どんな現実が必要なのでしょうか?

いま立っているその場所から正面へ三歩歩き、右に直角に曲がって二歩歩く、そしてもう一度右へ六歩、そこで目を軽くつむる。さあ、どんな匂いがしますか?

目の前に一匹の犬がいます、心の中であなたは二匹目の犬を想像します、そして三匹目を・・・・・・いったい何匹目からあなたの想像力は退廃しはじめるでしょう?

おそらく宇宙計画のために発明された物質でしょう、極度に硬質の表面をもっているのです、その物質に触れているとき、詩は何処にありますか?

いつの間にかどこかへなくしてしまった小さな物、それをなくしたのは誰ですか?そしてその行方はどこですか?たとえその物の細部はありありとあなたの記憶にとどめられているとしても。

<おはよう>と誰にも言うことができずに朝がきた、その朝は<おはよう>ということができた朝と、どんなふうに異なっているのでしょうか?たとえば湯気の立つ一杯の味噌汁においてすら。

野原に咲いている名も知らぬ一茎の小さな花、それが問いであると同時に答であるとき、あなたはいったい何ですか?というような質問に私は答えなければならないのでしょうか?

誰にも嘘はつきたくないと或る午後思ったとしたら、どうしても嘘をつかねばならぬ状況を即座にいくつ想像できますか?もちろんどんな感傷もぬきで。

あなたの発することのできるもっとも大きな声、その声をあなたは何に用いるのでしょう、怒りの表現、喜びの表現、苦痛、それとも他人への強制、あるいはまた、単なるおあそび?

ろうそくの光の下に一冊の辞書が開かれています、あなたはどうやってその辞書から逃れられるでしょう、さらに深く言葉の意味にとらわれることによって、そう答えてもほんとうにいいのですか?

思いがけぬ恵みのように雪の降り積もったその朝、質問というもののあの尻上りの抑揚が耐え難いと、あなたは言ったのでしたね。しかし答なるもののあのしたり顔の平坦な旋律もまたあなたを焦ら立たせるのだとしたら・・・・・・だが、問いでもない答でもないものが、いったいこの世にあるのでしょうか?

一脚の椅子があって、あなたはそれに腰をおろしている。椅子を作った人間はどこへ行ってしまったのですか?そしてあなたは、どこにいるのですか?

もう忘れた、とあなたは言うのですか、でも忘れたことは覚えているのですね、それでほんとうに忘れたことになるのですか?

草子 8 質問集 谷川俊太郎








この本、どこにやっちゃったんだろうか・・・
谷川俊太郎さんの翻訳した絵本で姉弟が雪だるまを作る、

こういうことはいつもうまくいく!

そんな一文があった絵本。
題名が思い出せない。
あれも全文書き留めていたはずなんだけど