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インド洋の涙スリランカ、オッサン心の旅(紀元前の都アヌラーダプラ、その3…BAR・ジュピター)

2016年04月21日 | インド洋の涙スリランカ、オッサン心の旅
静かなElephant pondを後にし、ブッダの右鎖骨が祀られているThuparama Dagobaへ向かった。



Thuparama Dagobaの門前

門前に屋台がでていた。
この仏塔にはそれだけの人気があるということだ。



Thuparama Dagoba(高さ19m)
紀元前3世紀のデーワーナンピヤ・ティッサ王の時代に建てられたアヌラーダプラ最古の仏塔であり、スリー・マハー菩提樹と並ぶ聖地である。

参拝者が絶えない。
現在のものは、1840年に再建されたもので真っ白だ。
我々には、新しすぎて有難味が若干薄れるが、現地の人にとっては大事なブッダの鎖骨が納められた仏塔であるから、綺麗でなければならないのは当然な考えだ。

参拝する人々が座ってお経を唱えていた。
下の動画では、微かにその声が聞こえるかと思う。



ここから、アヌラーダプラのシンボル的存在であるRuwanweli Seya Dagobaへ向かった。
白サギが群れで存在する湿地帯を抜けていく。


スリランカでは白サギは日本のカラスみたいなもので、どこでもいる。
ゴミの集積場などでもよく集団サギをみた。


Ruwanweli Seya Dagoba

逆光で Dagobaは見えにくいが、この時、猛烈な暑さであった。
だから、その酷暑感が逆によくでていると思う。

ここで一人で自由に旅する、実に品の良さそうな日本人男性にあった。
パナマ帽と髭がダンディである。
年頃は俺より5歳ぐらい上だと思うが、身軽な姿恰好や話から随分と旅慣れしているのがわかる。
英語も堪能そうだ。

その人は1か所の都市遺跡に2~3日かけて貧乏旅行していると言っていた。
そのペースでスリランカをくまなく旅するには1か月はかかるだろう。
俺もいつの日か、仕事を離れるようになったら、そんな気ままな旅をしてみたい。

あの時、名前や連絡先など聞いておけば良かったが、厳しい日差しに忘れてしまい、分かれたのだった。


別の角度から見たRuwanweli Seya Dagoba
(写真は、あけびーむの脱羞恥日記よりお借りしました。)

この大塔は周りが神の使いである象の彫刻で囲まれている。

そういえば、キャンディで家の周りの塀を象の彫刻で囲んでいる家があったが、まったく同じデザインであった。
サイズは小ぶりであったが・・・

キャンディで見た家の塀

スリランカじゃ、この象の彫刻の塀は裕福さのステータスになってるのかもしれない。



人の動画を借りるが、夜のRuwanweli Seya Dagobaである。
今考えると、夜のDagoba巡りも楽しかったかもしれない。
ただ、道に迷ったらスリランカじゃ森の中でアウトだ。


命綱もつけずに大塔の掃除をする人たち
上の人が落ちたら、次々に連鎖して垂直方向のドミノ現象だ。
結構、命がけだよこれは・・・。


ここから、スリーマハー菩提樹に向かった。


途中の、名もない沐浴場である。

スリー・マハー菩提樹には途中から幅30センチほどの野原の裏道を通った。
本当の道は大きく曲がりくねっているが、その細い道は真っすぐに菩提樹に行けそうである。
試しに行けるところまで行ってみたのだった。



そうしたら、スリー・マハー菩提樹の警備をする交番の裏手からヒョッコリ出たのだった。


(写真はGoogle Mapの写真を加工したものです。)
今考えると、通ってきたところは柵の内側になるのだろう。

その時は、
やったぜ!近道だ!
そう思ったのだが…。

その交番の警官が写真の旗の辺りに立っていたのだが、裏手遠くからやってくる俺をずっと睨んでいた。
そして、交番に近づくと俺を指さして
コッチへ来い!
という。

やべぇ!




しかたなく、交番の脇に自転車をおいて中に入ったのだった。



そして、警官の隣に座れというのだ。

さらには俺を挟むようにして、もう一人の警官が俺の逆隣に座ったのである。


警察に捕まることは・・・???

俺がその時思ったのは、スリー・マハー菩提樹は有料(Rs.200-)なのだが、人の通らぬ裏道からきたから、知らぬ間にパスしてしまったのではないか?ということだった。

「故意ではないから、まあ、謝るしかないだろう
そう思っていた。

まずは、何処からきたのか?とか、何の仕事をしているのか?とか、アレコレ尋問されたのだった。
だが、英語がなまっていて、よくわからない。
それでも、なんとか受け答えをしていた。

・・・?

だが、話は日本人は何を食ってるのか?、とか、一般的に給料はいくらくらいなのか?とか、無賃入場とは関係ない質問になっていったのだった。

どうも、実際は暇だから外国人と話をしたいようなのである。
観光地の警備はどうも相当に退屈なようなのであった。

そのうち、一人の警官が引き出しの中から1枚の日本の100円硬貨を持ってきた。
多分、日本人が菩提樹へのお賽銭代わりとして置いて行ったものであろう。

いくらの価値があるのかと聞かれたので「120ルピーぐらいだ。」、と答えてやった。
そいつの顔からして、ルピーに変えてほしいようであったので変えてあげたりした。
(菩提樹の帰りがけに、別の入り口付近の交番でも「日本円とルピーとの交換率はいくらだ?」と聞かれたので、彼らは日本人が置いていった賽銭代わりの日本円を結構、持っているのかもしれない。)

上司の警官がたまに交番の中に入ってくると、サッと俺から離れて、知らんぷりをし、いかにも仕事をしてるような仕草をしたりして、俺は思わず笑ってしまった。
丁度、その時、俺は水を飲んでいたから、上司の警官は、俺が交番の椅子で休んでいるのだろうと思っただろう。

とにかく、話がしたいようで、なかなか俺を解放してくれない。
そのうち、ひとりの欧米人が何かを尋ねてきたが、その欧米人が俺の代わりにお喋り相手としてつかまってくれた。
同じように、「まあ、座れ!」とやられていた。

一人の警官に菩提樹にいくにはどうしたらいいかと尋ねると、コッチへ行けというので、自転車を交番におき、歩いて向かったのだった。
(その為なのか?、結局、菩提樹では入場料をとられる場所はみつからなかった。
やはり、入場料を払う場所を俺はパスしてしまったのかもしれない。)
酷暑であっても、中は、もちろんだが、裸足、脱帽である。


Si Maha Bodhi Tree(スリー・マハー菩提樹)
菩提樹にはこれ以上近寄ることはできない。
大切なスリランカの聖なる樹である。

ブッダはインド、ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いたが、この樹こそは、紀元前288年に、その樹の挿し木を移植したものだと言われているのだ。
(本家のインドでは、その元の樹は枯れて消失している。)

樹齢2000年、人間の手により植樹された樹木では最古のものなのだ。


Lankaweb より
サンガミッタ尼僧(インドのアショカ王の王女)が菩提樹とともにスリランカに到着したときの絵

その菩提樹の落ち葉をガイドブックの間に1枚だけ挟んで持ってきた。

今思うと、もう少し持って来れば良かった。


菩提樹は大事にされ、その樹を絶やさないように、彼方此方に、その挿し木が育てられていた。



交番に戻ったら、先ほどの外人がまだ話し相手にさせられていた。
俺は英語が下手だから、話し相手としては不十分であったろうから、欧米人は良いカモである。

ここから、Isurumuniya Vihara(イスルムニヤ精舎)へ向かった。

菩提樹は、厳重に守られていて、交番のある検問が何か所もあるようで、どうも俺は菩提樹の正門からではなく、裏門の、しかも裏門の裏道から菩提樹に近づいたようで、正門側は立派に整備された池の間を通る道であった。


正門に続く道


整備された池

池には様々な水鳥が休んでいた。





菩提樹の第一門の警官にイスルムニヤ精舎への道を尋ねた。
(円とルピーの交換比率を尋ねられた)

イスルムニヤ精舎は天然の岩を利用した僧院である。
だから、別名はロックテンプルだ。
入場料はRs.200であった。


信者の人は僧院の入り口の側溝で身を浄めるために手足を洗って入る。
日本の手水舎と同じだ。

紀元前3世紀ごろ、のものだ。
背面の巨大な岩を掘るようにして御堂が作られている。

精舎とは(ウィキペディアより)
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仏教の比丘(出家修行者)が住する寺院・僧院のこと。またその異名。
精舎とは、精行者の所居なるをいい、精妙の謂ではないとされる。
また平たく言えば、精進する者たちの舎宅を意味し、立派な建物を意味するのではないとされる。
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Isurumuniya Vihara
右手の建物が本堂で参拝客で中は満員だった。
ここもお祈りの様子を動画に撮ったのだが、一瞬だけであって、後はNGであった。





正面の建物は釈迦堂である。


その建物脇の岩盤にレリーフがあった。
芸術的にも素晴らしいレリーフである。


岩の間に大きな蝙蝠がぶら下がっていた。

目が大きいからインドオオコウモリ(別名 空飛ぶキツネ、Indian flying fox)だと思う。
聴覚ではなく視覚で空を飛ぶ。
人間が近くにいても全く気にしていない感じだ。

草食のコウモリで、多くの病気の媒介となっている。
だがコウモリ自体は殆ど病気になることはない不思議な動物である。

よく落ちないものだと感心する。


寺院裏側から岩に登れ、その景色である。
快晴すぎて、撮った画像が暗く見える。


(修学旅行の学生で、なかなか降りられない。)

時間もそろそろで、まだ見るところは沢山あるのだが、宿に戻ることにした。
方向的に宿は此方だろうと、野性の感を頼りに適当に走った。




宿へ向かう途中の景色

ところが、道に迷ってしまった。
何処にいるのか全く分からない。
若いころなら、野性の感は間違いなく、暗くなければ目的地に着くだけの力量があった。
だが、今では当てにならない老コンパスだ。
頭の中の磁性は落ちていた。

宿の主人にもらった詳細な地図を取り出し、考えてみたが全く分からない。
精舎からの道を思い出しながら地図をたどるのだが、現在地の景色と一致しない。

あたりには、お店もなく尋ねられる人はいない。
落ち着くために水を飲んで、路傍の石に座り込んで考えていた。

そうこうしているうちに、バイクに乗った人が通りかかり、
「どこに行きたいんだい?」
と声をかけてくれた。
日本じゃ、よほどの田舎でない限り誰も声をかけてくれないだろう。

地図をみて、現在地を指してくれた。
意外にも、方向的には大体あっていた。
方向は合っていたが、考えていた場所より、先に来ていた。

本当に助かった。
「スリランカを楽しんでくれ!」と彼は言ってくれた。
俺は、お礼代わりに握手して別れたのだった。



宿に着き、シャワーを浴びてから、食事するためとビールを買うために再び外出した。


昨日入った隣のレストランに入った。
スリランカではカレーを一度も食べてないので、カレーにしてみた。
だが、インドで嫌になるほどカレーを食べた経験があるので、感動がいまいちだった。
やはり、スリランカライスが良かった。

帰りに、またツマミのパンも買った。

酒屋でライオン黒ビールのロング缶を昨日より1缶増しの4缶購入し、宿に戻った。
計2000㏄で8%のアルコール度だから、5%のキリンラガービールのロング缶なら6.4本分に相当する。

買った後で帰りすがらの道々で、
「これを全部飲んだら飲みすぎだ!」
、と考えたが、今日は実に暑い日であったこと、今までの飲まない日が続いたことを考えると、
まあ、いいかぁ、
という気持ちになっていた。

テラスでビールをユックリ時間をかけて飲んだ。
そうこうしているうちに、暗くなりビールをもって部屋に戻ったのだが、スリランカでは初めての停電になった。

俺の隣の若い欧米人夫婦は、焦ったみたいで、宿のご主人を呼んで「何とかしろ!」というような事を言っていた。
ランプみたいなものを持ってこさせていたようだった。

インドだったら、こんなことは日常茶飯事の出来事なのだが…。

インドでもそうであったが、こういう時は、天体ショーの時間である。

俺は、屋根のないテラス(物干し場)に椅子を持ち出し、ツマミとビールをもって星をみた。
快晴であったので、天の河もよく見える。
これだけの星を見たのは、槍ヶ岳山荘でのテントサイトからと、インドでの夜の立ち○ョンの時と、今回で3回目である。

宿の周りに街の明かりがあっても、4階のビルだったからよく見えたのだろう。

スマホに星空のアプリを入れているので、何座なのか、なんという星なのかがわかる。
オリオンが真上に輝いていた。
(スリランカでもオリオンが見えるんだねぇ。)

一番感動したのは、高さ30度ぐらいのところに大きく見える
ジュピター、木星である。
俺は今まで、こんなに大きく明るく見える木星は見たことがない。
爽やかな夜風があるから、空気の歪みで木星が赤茶色にキラキラ輝いた。

天体望遠鏡があれば、木星の模様もハッキリ見えるだろう。


時々、固定した俺の視野の中でサァッーと過ぎ去る流れ星もみえる。



いい加減にビールも廻り、いい気持になったころ、御主人がカワイイ娘を連れて俺のところにやってきた。
停電も気にせず、楽しそうに星空を見ていたから興味をもったのだろう。

御主人は星には詳しくないらしく、「あれが木星だ!」、と説明すると、娘に通訳していた。
「こんなに綺麗に見える星空をお客に教えてあげないのはもったいないですよ。
ココはBARジュピターですね。」

、と酔っていたから呂律のまわらない英語で言ったりした。

いつも見ているから、夜空の宝物に気がつかないのだろう。

ツマミもなくなり、4缶目のビールを飲み終え、案の定、かなり酔いがまわってきたから、寝床に着いたらバタンQであった。

(つづく)



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