宗教・占い探玄  

光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 永観律師に帰依し奉ります。

大聖歓喜天尊

2015-02-18 20:34:41 | 宗教観
以前ブログでもご紹介したのかもしれませんが、再度投稿したいと思います。当ブログで聖天さんのアクセスが多いので、更に詳しく説明します。2007年の夏に同僚と話していると、祖父があと少しの命とのこと。少しでも長生きさせたいんだがと、相談を受けたことがありました。医師からは余命は僅かであると、家族には告知されていました。何で僕に相談したかと云うと、同僚間でオカルト好きを聞きつけてのことでした。それならと、京都府宇治市の宝寿寺さんに電話をしました。小松先生の奥様が出られて、どうすればよいか説明を受けました。後日、相談者の同僚がお寺へ連絡を取り、祈祷を依頼しました。この祈祷の成果は不思議の一言で、余命幾ばくも無い同僚の祖父は、その後健康を取り戻したそうです。担当医も首を傾げるばかりだったとか。僕も小松先生には感謝している一人で、妻が出産するに際して、逆子を祈祷で直して頂いたことがあります。出産を控え、色々と試したんですが、全く効果がありませんでした。担当医からは もう無理だから、帝王切開でいきましょうと云われました。妻は帝王切開はどうしても嫌だ。何とかならないかと云いました。考えた末、もしかしたら聖天法で直るんではと思い、小松玄澄先生に祈祷を依頼しました。逆子が直ったのには担当医も驚いていました。夫婦共々、聖天様、小松先生には本当に感謝しています。

小松先生の父上も有名な聖天行者でした。聖天信仰の著書で有名な林屋先生が心酔したお坊さんです。しかし、聖天行者が行う浴油供の法力は絶大ですね。しかも、現証が順世の法に則って願いが叶うんで、奇跡的なことが奇跡として見えないんですから。
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法華一乗

2015-02-15 18:24:38 | 日蓮・富士門流
天台宗の円頓戒は本果妙を表とし、本因妙を裏とします。内実、本果妙の戒であります。対して、日蓮法華は本因妙を表とし、本果妙を裏とします。天台の本尊・戒壇は「理」で、日蓮法華は本尊・戒壇に法体そのものを表しているので「事」であります。仏像・絵像は基本「理」であり、「文字」「言葉」は「事」であります。しかし、この「事」も高祖の意(こころ)を汲む姿勢が無いと、三秘も発動し難い様に思います。双方とも信・行・学により、観心を成就するような構成です。「行学絶えなば仏法はあるべからず云々」と高祖が云われている裏には、悟りと云う本来指し示せないものを、衆生に理解させる困難さも含んでいるのかも知れません。天台の一心金剛戒はその殆んどが、日蓮法華の肝心な部分と同じ意味です。本尊・戒壇・行法の相貌が異なっているだけで、その意は同じです。天台の戒は円頓戒とも云いますが、実はこれ浄土宗の僧侶もこの戒を受けているんです。元々日本浄土宗の開祖である法然上人自体、天台の戒師でしたしね。何だかんだといっても、日本の仏教宗派は天台から影響を受けていないところはないですね。法脈にしても日蓮法華は竜樹・天台・妙楽・伝教を仰ぎ、師事しているのが妙法曼荼羅、ご妙判の双方から窺えます。

高祖の天台僧時代の師匠と伝承される、三塔の学頭であった俊範上人が、貴人への伝法に「南無妙法蓮華経」を授けている記録が残っています。当時、高祖が学んでいた叡山では、法華経の精密な解釈が取沙汰されていました。特に俊範上人を中心に、本因妙に関する研究が盛んであったと考えられます。そして、三秘の理論的根拠は、この頃に形作られたのではないかと思われます。また、屋台骨が天台なので、天台教学を抜きにして、日蓮教学は考えられません。本因妙は三秘のお題目だけなのか?と云うと、端的に示したお経が有りました。それは延命十句観音経です。短いですが、かなり味わい深い内容になっています。観世音とは一心三観を表します。世の中は中仮空の三諦で構成されていると天台学では考えます。次に南無仏ですが、このお経の肝の部分です。菩薩様である観音様、実は既に悟りをお開きになっていた仏様が、衆生を憐れんで菩薩となって人々の救済の働きをしているんですね。「観音様、実は既に仏の境涯であられる仏に南無したてまつる」と云ったところでしょうか。十界互具の表示でもありますし、凡夫の一心に本来備わっている仏心を云い表わしています。南無妙法と同じですね。つまりは本因妙の妙法を云っているわけです。与仏有因 与仏有縁 仏法相(僧)縁 常楽我浄 は三因仏性を説いており、四波羅蜜を開示しています。本来私たちが性具しているものなんですが、悪縁に振り回されて、気付けないんですね。またきっかけがあれば、必ず仏様に将来成れるものが、私達には備わっていることを説いています。因みに妙法曼荼羅で云えば、観世音 南無仏 与仏・・・仏法相縁はお題目と多宝・釈迦を表し、常楽我浄は上行・無辺行等の四菩薩を表しています。朝念観世音 暮念観世音の意味しているのは、生死にかかわらず人間の心(魂)にある観世音菩薩は顕在していると云っているんでしょうね。朝は生、暮は死を意味しています。念念従心起 念念不離心 ですが、念は一心を表します。また、心は様々に変化します。しかし、その中にあっても仏心(九識)は寄り添い、従い、生起し、私達の心から離れることは無いと述べています。この延命十句観音経は日蓮・浄土真宗教団以外各宗派で広く唱えられているようです。味わい深い、素晴らしいお経ですので、日蓮嫌いの仏教徒のかたにはお勧めです。
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