俺的には天台スレで古典力学と揶揄されようが、顕教立てである日蓮仏法の方が庶民が行う上で安全かつ効果的と考えている。ある天台僧が密教を量子力学に喩えていたな。確かにうまく云うもんだ。弘法大師が秘密曼荼羅十住心論で行法の最高峰に掲げたのは金剛乗である。まあ、大乗仏教の最終進化形が密教であろう。ただ、密教にも色々ある。日本に伝えられた密教は、金剛頂経が説く瑜伽タントラ。行タントラである大日経。所作タントラに当たる蘇悉地経が根本経典である。中期密教が日本に伝来した。
チベット仏教で有名だが無上瑜伽タントラは残念ながら日本には伝来しなかった。この教えはクンダリーニヨガと仏教の併用で、この上ない完全な行法により悟りの境地を目指す教えである。70年代に欧米で二ューエイジの先駆けとして紹介されたのがこれである。日本でも本山博先生なんかが、クンダリーニやチャクラの覚醒を普及させて研究も盛んにしていたが、志向としてはこの方面にあったと考えていいのではないだろうか。また真言宗に置いても非常に関心が高いのはチベット仏教である。密教の行法こそが無上の教えであるとする基本スタンスが祖師である弘法大師とそっくりである。
ちなみにオウム真理教の志向していた教えは天台・真言密教の中期密教ではなく、無上瑜伽タントラである後期密教にあると思われる。オウムの思想的生みの親は桐山密教であるが、桐山は中期密教においてクンダリーニやチャクラ覚醒こそが密教成就の鍵と考えていたようだ。有名なダライ・ラマはチベット仏教のツォンガバ派の出身だ。まあ、兎に角密教を志向するものは、チベット仏教(無上瑜伽タントラ)こそ行法の最高・最終段階の教えであると考えているようである。(T大の助教授だったN氏もわざわざチベット密教を学びに行っている。また、K山大の学長だったM師もチベット仏教には御執心だったからな。)
欧米での二ューエイジの弊害はご存知?密教の行法は先天的に素養の有無が重視される。四度加行でも金胎の行法は心を閉じたり、広げたり観想するが、広げっぱなしになった学友がいるとK山大学出身のM君から聞いたことがある。中期密教でもこれだ。況やクンダリーニの覚醒なんか失敗したらどうなるか?それでも量子力学云々とこいで庶民に相応しい法を馬鹿にすればいいさ。それと二ューエイジには魔神が行中、関わって来るから非常に注意しなくてはならない。この辺りの魔の働きは摩訶止観や大般若経に書いてある。(おーこわー)
チベット仏教で有名だが無上瑜伽タントラは残念ながら日本には伝来しなかった。この教えはクンダリーニヨガと仏教の併用で、この上ない完全な行法により悟りの境地を目指す教えである。70年代に欧米で二ューエイジの先駆けとして紹介されたのがこれである。日本でも本山博先生なんかが、クンダリーニやチャクラの覚醒を普及させて研究も盛んにしていたが、志向としてはこの方面にあったと考えていいのではないだろうか。また真言宗に置いても非常に関心が高いのはチベット仏教である。密教の行法こそが無上の教えであるとする基本スタンスが祖師である弘法大師とそっくりである。
ちなみにオウム真理教の志向していた教えは天台・真言密教の中期密教ではなく、無上瑜伽タントラである後期密教にあると思われる。オウムの思想的生みの親は桐山密教であるが、桐山は中期密教においてクンダリーニやチャクラ覚醒こそが密教成就の鍵と考えていたようだ。有名なダライ・ラマはチベット仏教のツォンガバ派の出身だ。まあ、兎に角密教を志向するものは、チベット仏教(無上瑜伽タントラ)こそ行法の最高・最終段階の教えであると考えているようである。(T大の助教授だったN氏もわざわざチベット密教を学びに行っている。また、K山大の学長だったM師もチベット仏教には御執心だったからな。)
欧米での二ューエイジの弊害はご存知?密教の行法は先天的に素養の有無が重視される。四度加行でも金胎の行法は心を閉じたり、広げたり観想するが、広げっぱなしになった学友がいるとK山大学出身のM君から聞いたことがある。中期密教でもこれだ。況やクンダリーニの覚醒なんか失敗したらどうなるか?それでも量子力学云々とこいで庶民に相応しい法を馬鹿にすればいいさ。それと二ューエイジには魔神が行中、関わって来るから非常に注意しなくてはならない。この辺りの魔の働きは摩訶止観や大般若経に書いてある。(おーこわー)