明澄五術・南華密教ブログ (めいちょうごじゅつ・なんげみっきょうぶろぐ)

明澄五術・南華密教を根幹に据え、禅や道教など中国思想全般について、日本員林学会《東海金》掛川掌瑛が語ります。

5.「空」を悟れば「苦」が消える『般若心経は間違い?』の間違い(五)

2024年01月06日 | 仏教
『般若心経は間違い?』の間違い (五)  
 『般若心経は間違い?』(宝島社新書) 65〜82頁

 是故空中。無色。無受想行識。

 無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得
 
 さらに続けて『般若心経』は、仏説たるものを全部「無」だとして否定するのです。
 六根六境を否定して、十八界を否定して、無明を否定して、無明がなくなることも否定して、要するに十二因縁を全部否定して、苦集滅道の四聖諦も否定する。智慧も否定する。もう言葉もありません。
 
 「ですから、空のなかには、色も無く、受想行識も無く・・・」
 と始まるこの部分は、お釈迦様が説いたものといわれ、「仏教」の「教学」の中でももっとも重要とされる、「五蘊」「十二処」「十八界」「十二縁起」「四聖諦」「智慧」「悟り」を、ひとまとめにして「無い」と断じています。

 「上座部仏教」、つまりお釈迦さまの教えだけを忠実に守っているという、スマナサーラ長老が怒るのも無理はないのですが、少し冷静になって、見る角度を変えて観ていただかないといけません。
 
  既述のように、「五蘊」とは「人間であることの五つの要素」というべきもので、人間は「五蘊」によって、「自己」と「他者」、人類と自然、などの「分別」ができるものです。(西洋哲学ではこれを「自己疎外」と言います)

 ところが、この「分別」こそが、人間にとって「苦」の原因であり、「分別」から生じる「執着」こそが、あらゆる「苦」の元になっています。
 つまり、「五蘊」とは「苦」の原因と言えます。

 「五蘊」は「色・受・想・行・識」に分かれますが、さらに細かく分類すると「十二処」や「十八界」というものになります。
 また、「五蘊」を立体的に展開し、時間的、つまり因果的な要素を加えたものが「十二縁起」です。
 すると、「五蘊」「十二処」「十八界」「十二縁起」とは、どれも「苦」の原因を分類整理したものです。

 つまり、「空の中には、五蘊も十二処も、十八界も、十二縁起もない」というのは、「空」を理解すれば、「苦」の原因もすべて消えてしまう、という意味になるはずです。

 ならば「四聖諦」つまり「苦・集・滅・道」はどうかというと、「苦」は、「苦」そのものであり、「八苦」ともいいます。
 「八苦」には「生苦、老苦、病苦、死苦、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦」の八項目があります。

 「集」とは、「苦の原因」のことで「五蘊」つまり「色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊」の五つを言います。

 「滅」とは、「苦を避ける法」であり、「不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒」によって「苦」を避けることができるようになります。

 「道」とは、「苦を滅する法」であり、「八正道」ともいいます。「八正道」には「正語・正業・正命・正勤・正見・正思・正念・正定」という八つの項目があります。
 なかでも「正語(正しい言葉)・正業(正しい行為)・正命(正しい生活)・正勤(正しい努力)」なら、心がけ次第で、何とかできるものですが、「正見(正しい見解)・正思(正しい思考)・正念(正しい観念)・正定(正しい禅定)」となると、こころがけだけではどうにならず、非常に高度な修行が必要です。
 
 「八正道」の目的は、既に生じてしまった「苦」を解消することですが、「空」を「悟」れば「苦」は生じなくなり、「道」も必要がなくなります。
 「道」によって「悟り」を得る、という人もいますが、「空」を理解した人なら、「空を悟る」こともできるはずですから、まずやるべきことは、「空」を正しく理解し、次に「知っている通りに行動できる」ようにするべきです。

 仏教では、そのような誤った考え方を「顛倒」と言い、「顛倒」を自覚することによって、突然「悟り」を得ることがあります。これは、特に「禅」に見られる考え方です。


<次回に続く>
『般若心経は間違い?』の間違い(六)法=規範と記述
 
 

『般若心経は間違い?』の間違い(一)

『般若心経は間違い?』の間違い(二)

『般若心経は間違い?』の間違い(三)

『般若心経は間違い?』の間違い(四)

『般若心経は間違い?』の間違い(五)

『般若心経は間違い?』の間違い(六)法=規範と記述

『般若心経は間違い?』の間違い(七)

『般若心経は間違い?』の間違い(八) 密教と記号類型学

『般若心経は間違い?』の間違い(九) 龍樹「一切皆空」のパラドクス

『般若心経は間違い?』の間違い(十) 中観(一切皆空)と般若心経(五蘊皆空) 

照見!『般若心経は間違い?』の間違い(十一)

『般若心経は間違い?』の間違い(十二) 悟りのイメージと効用

『般若心経は間違い?』の間違い(十三) 竜樹の「空」と般若心経の違い

『般若心経は間違い?』の間違い(十四) 無我と輪廻

『般若心経は間違い?』の間違い(十五) その1 苦=空=自己疎外

『般若心経は間違い?』の間違い(十五) その2 10年経っても反論できない?

 


2021-07-19

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『西遊記』でおなじみの、玄奘三蔵法師は、7世紀、唐からインドに取経して、多くの経典を漢語訳し、なかでも、『般若心経』は、大乗仏典の精華と言うくらい名訳とされています。しかし、よく理解されているか、と言えば、実はあまりよく理解されていません。

なかでも、「色即是空、空即是色」という『般若心経』のなかの最も重要な文章は、最も有名であるにも関わらず、理解される、というには程遠いのが現状です。

 なかには、「色即是空」は正しいが「空即是色」は間違い、などと、頓珍漢なことを言い出す人たちも現れましたが、『般若心経』を信奉してきたはずの、日本の仏教者たちは、満足な批判を加えることさえできません。

十八世紀、ドイツの哲学者ヘーゲルは「理性的なものは現実的なものであり。現実的なものは理性的である」と述べました。この発言は当時から、批判されるばかりで、今でもあまり理解されていません。

ヘーゲルの言う「理性」は、仏教では「分別」と言いますが、ヘーゲルの言うような理想的なものとは捉えておらず、「分別」こそが「苦」の原因であるとします。

 「色即是空、空即是色」をヘーゲル風に言い換えると、「現実と見えるものは分別されたものであり、分別されたものは現実と見えるものである」ということになります。つまり、自分が「分別」して「現実」と見えるものを、そのまま「現実」と思い込むから、「苦」が生ずるのです。

 2世紀、インドの仏教者、竜樹は、「一切は空である」と、述べましたが、本人も論じているように、「すべてが空」では、矛盾が生ずることがあります。 

 その点、「唯識」仏教(法相宗)の大家である玄奘三蔵訳『般若心経』では、「一切が空」とは言わず、「五蘊皆空」と述べており、竜樹のような矛盾が生じません。

 「唯識」レベルで書かれた経典である玄奘訳『般若心経』を「空」論のレベルで理解しようとすることには無理があり、最低でも「唯識」レベル、できれば「密教」のレベルで、つまりは「唯識」論を踏まえた上で、あらゆる知識を総動員して「緊密」に読み解くことが必要です。

「密教」の「密」とは、「緊密」のことであり、「秘密」という意味ではありません。

 『般若心経』の「空」は、ヘーゲルの「疎外」と似ていますが、むしろ、マルクスの「疎外」と等しいものであることを、本書をお読みいただければ、お解りいただけるかと思います。

 

  2021年 辛丑               掛川東海金

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