業績が頭打ち、もしくは低迷して、回復はないだろうと思われた企業が多かった。
そんな、市場で言われていたダメ企業のいくつかが立ち直りつつある。
「死地に陥(おとしい)れて然るに後に生く」
兵士に任務を与える際には説明は不要であると。 有利な面だけを告げて、不利な面は伏せておかなければならない。
絶対絶命の窮地に追い込み、死地に投入してこそ、はじめて活路が開ける。 兵士というのは、危険な状態におかれてこを、はじめて死力を尽くして戦うものだ、と。
相手は、20万の軍勢。こちらは1万人。 通常であれば勝ち目は少ない。
そこで韓信は、2000人の兵に伏兵として隠れさせ、「敵が砦を出て我らを攻めたらその隙に砦に漢の赤旗を立てよ。」と命じ、自身の本体は、河を背にして大軍勢に立ち向かった。
敵は、韓信をあざ笑った。「河を背にして戦うなど、兵法をしらないのではないか」と。
怒涛のように攻めてきた。
韓信の将兵は、河を背にして、逃げるに逃げられず死に物狂いで戦い、敵を押し込む。
そして勢いよく戦ったあと、後ずさるようにさっと引いて、またまた河を背にする。
ここぞと思い、敵は、砦を空けて総勢で攻めてきた。
そこを伏兵が砦を占拠して雄たけびをあげた。
韓信の本体は、取って返したように趙軍を攻めた。
相手は、総崩れになりさんざん蹴散らされてしまった。
戦いの後、韓信が部下にいかなる戦術かと問われて、
「いや、兵法にも、軍を死地におとしいれて初めて生きる、とあるではないか。 それをちょっと応用したのが、この背水の陣じゃ。 なにしろわが軍は寄せ集めの軍勢。 これを生地においたら、たちまちバラバラになってしまう。 だから、死地に置いたまでのこと。」 と。
「背水の陣」も「孫子の兵法」を応用したものだった。
必死になれば、そこから何かが生まれる。