泣くな笑え

『肺癌闘病患者』家族の独り言

不良。

2007-12-01 | できごと

この日は仕事でした。
1日外で吹きっさらされてたので汚くなってましたが、
クルマで出勤してたこともあり、そのまま病院へ直行しました。
土曜日の夕方はやっぱりクルマが多くて時間かかりました。

18時過ぎ到着。
ちょうど食事が始まった時間でしたが、あまり食欲がない母の夕飯は殆ど手付かず状態。
実際これ以上食べずに返すという母に何度も何度も確認して。
もったいないし、残り物をありがたく頂戴しました。
……スミマセン、いやしい子で(汗)
食べながら話を聞くと、一応外出の許可は下りているものの、
昼間に来たのが父と末の妹だけだったらしく、どこにも出ていないとのこと。
気がきかないなぁ(苦笑)
この日から夜の点滴がなくなっていて、それなら時間があるのだしとちょっと逃亡。
どこに行こうと云いつつ、結局いつものアイスクリームショップへ行ったところ、
母はレギュラーサイズのバニラを完食できたので、まぁ良かったかと。
ただ、病院に帰ったところ、そのまさしく1階にて私のケータイに病院から連絡が!
母が部屋にいないけれど知りませんか、と……スミマセン、今からエレベーターに乗ります。
つかすぐ戻れる場所で良かった(苦笑)

電話がかかってきた理由は、19時の薬を飲み忘れていたからでした。
痛み止めのオキシコンチン…ふたりで完全に失念してました、本当にスミマセン!
戻ったのが19時40分ごろなので、一応セーフです。
次からは気を付けなくては!


脳へ放射線 10回目(ラスト)

2007-11-30 | 現状の認識

脳への放射線治療10回目。
これでラストです、本当にお疲れさま!!
とは云え朝夕の点滴は続きます。突然止めることはできないそうです。
成程、身体に負担がかかるってことなのかな。
なので、今回の週末も外泊はできないとのこと。

そう云えば……見舞いに行ってるホンの1時間ちょっとの間に、うたた寝してしまいました。
もちろんベッドを占領したりしてませんよ! 母の座る横でゴロゴロしてましたが(苦笑)
1日外での仕事だったせいもありますが、
それ以前の問題として、余りにも病院慣れしている自分が困りものです。


脳へ放射線 9回目

2007-11-29 | 現状の認識

脳への放射線治療9回目。

前日よりは少し快復したらしく、食事量も少しづつ増えている様子。良かった。
そう云えば、今まで書かなかったんですが、
母は血管の細いヒトで、点滴がとても大変です。
一度管をさしたら、長いヒトなら1週間くらい持つところ、母だと3~4日が限界。
しかも、その点滴のための注射自体何度もやり直すことがあり
両手のあちこちが青くなってしまっています。
その上、これも副作用の一環なんでしょうけど、肌の表面が乾いてるんですよね。
見てるだけでもツライと…冬で(長袖)良かったと本当に思います。


休養。

2007-11-28 | 現状の認識

本当は放射線治療を行う予定だったこの日、母の体調が思わしくないので取りやめに。
誰が何も云わなくても、決して無理強いはしない。
そんな病院の姿勢は本当に助かります。

夜は又も私用で行けないので、仕事休みの今日は昼間に顔出し。
横になっている母の話し相手くらいしかできませんが、
それでも誰かがそばに居るほうが落ち着くと思います。
身体に入った抗癌剤の毒素を洗うための点滴が始まって大変だと、
そんな愚痴もこぼせるならどんどん出していった方が良いですしね。
一緒にお昼を食べて少しゆっくりして、それから帰ってきました。


抗癌剤治療2回目&脳へ放射線 8回目

2007-11-27 | 現状の認識

抗癌剤治療2回目と、脳への放射線治療8回目。

1回目の治療は10月31日(水)でしたので、それからほぼ4週間。
今回も同じ薬、『タキソール』『パラプラチン』を使用するとのことですが、
前回は副作用が結構強くでたので、300mlを250mlに減らして行うことになってました。
が。

まず、脳への放射線治療を済ませ、
それから注射及び点滴で抗癌剤の投与を夕方までゆっくりと行う(らしい)のです。
当然私が行く時間には治療は終わっています。
いつものように19時ごろ到着し、のぞいた先では点滴している母の姿。
しんどいと呟く母が、それでも話してくれたところによると、
どうやら抗癌剤治療を始めてしばらく後に体調を大幅に崩し、
投与途中で中止したようなんですね。
汗と涙が勝手に流れて止まらなくなり、もう少しで酸素吸入するところだった、と。
これは完全に拒否反応です。
だから、予定量の半分も身体に入ってないんじゃないかなぁと云ってました。
詳細は確認していませんが、無理させる気もないし、今回はこれが最善だと思います。
ともかく今日はゆっくり休んでね。

そう云えば、投薬量が少なくていいのかと心配する母に
私がすかさず答えた「大丈夫」。
事実として抗癌剤の量のコントロールは行われているのだし、
量が少なくても効果は期待できるからとさくっと説明したんですが、
これは妹に(珍しく)褒められました。
癌について調べて調べて、そのたびにヘコんで損な役回りだと思ってたんですが、
母の心配事に「大丈夫」とあっさり答えられるのは凄いことだと。
そうやって安心させられるのが一番良いよね、とまで云われて、
現金だけど少し嬉しかったです。
そうか、私の『調べるクセ』も役に立ってるんだな。
ならこれで良いのかと素直に思えました。


脳へ放射線 7回目

2007-11-26 | 現状の認識

脳への放射線治療7回目。

月曜日で仕事休み。
夕方、仕事の終わった妹を会社近くまで迎えに行き、そのまま病院へ。
これなら、病院の夕食時間に間に合うので、自分達の分の弁当を持参。
と云っても、母は一応病院食です。
おかゆくらいしか喉を通らない時期があってそのままにしている母ですが、
やっぱり食べたいのは普通のご飯のようで、
お弁当で詰めていったご飯を食べて、私がおかゆをいただきました。
いえ、良いんですけどね、好きだし(苦笑)
血液検査の結果も良好とのこと、これなら次の治療に入れるかな。


空白

2007-11-25 | 自分のこと

約束が有ったのでそちらを優先。
正直な話、余り母べったりだと(そんなに重い病状なのかと思って)気持ち悪いだろうから、
それも有って小休止を入れてるところもあります。
それに、自分が重荷になってると考えられても本意ではないし。
このさじ加減が難しいところですが。

妹に聞いたところ、とても元気だったと云うことで。
よし、明日もお弁当を作って行こう!


好物。

2007-11-24 | できごと
世間は3連休ですが、土曜日は仕事の妹の帰りを待って病院へ。
今日はお弁当持ちです(夕飯)
母譲りのレシピで作る「野菜の肉巻き」や、サラダ、ウィンナー、冷凍のミンチカツ。
好評なのはやっぱり肉巻きでした。
美味しかったならそれが一番嬉しいよ。

和歌山へ

2007-11-23 | できごと

勤労感謝の日。

10過ぎに病院に到着後、母も一緒に車で和歌山まで行ってきました。
毎年恒例の行事で、和歌山某所へみかんを買いに行ってるのです。
自宅用もたくさん買いますが、お歳暮としても送るので、
母としてはやはりはずせないわけですね。
何より甘くて美味しい上に、値段も格安ですし。
ともかく、一緒に行けたことが私も嬉しかったです。

帰り道で温泉にも寄りました。
こちらはさすがに遠慮した母ですが、次(来年)は一緒に入ろうと約束して。
叶うと良いなぁ。

夕飯はスーパーで買ったお弁当です。
外で食べたかったけれど、薬と点滴があるから7時に戻らないといけませんし。
次は外泊できると良いね。


脳へ放射線 6回目

2007-11-22 | 現状の認識

脳への放射線治療6回目。

血液検査の結果も含めて、相変わらず調子は良いので、翌日の外出はOK。
ただ人込みはさけるように云われたそうです。仕方ないね。
翌日の集合時間を確認して帰ってきましたー。


脳へ放射線 5回目

2007-11-21 | 家族のこと

脳への放射線治療5回目。

調子の良い母とゆっくりのんびり。
実はこの日、父が「定年退職前の有給消化」に入りました。
なので、昼間に来てたようなんですが、
その時の話が愚痴ばっかりだったと、母が嘆いてました(苦笑)
予約で行って病院で待たされたとか、弟がちゃんとしないとか……
うーん、世間を判ってないなぁ(苦笑)


脳へ放射線 4回目&外出計画

2007-11-20 | 現状の認識

脳への放射線治療4回目。

やはり調子の良い母と一緒に、持参した京都土産の「ろんどん焼き」とか、
従姉からもらったみかんを食べました。
それと、週末の3連休を外泊することはできないけれど、
外出はできるから和歌山まで行く計画を立てることに。
毎年みかんを買いに行ってて、それははずしたくないとの理由です。
そうね、動けるなら行かなきゃね。


脳へ放射線 3回目&ぞうのせなか

2007-11-19 | 現状の認識

月曜日です。脳への放射線治療3回目。

仕事休みのこの日の朝はとても寒くて、自宅から避難とばかりに、
午前中の早い時間から病院に押しかけました。迷惑ですね(苦笑)

10時に病院へ着いて、放射線治療・レントゲンを撮る母についてウロウロしてました。
何もできないんですけどね。
それと、放射線治療の位置をおでこにマジックで書かれているので
自分で髪を洗えないからと看護婦さんに洗ってもらったんですが、
ホントに凄い勢いで髪が抜けていきます。
洗い終わった時には、半分くらいに減ってしまっていたんじゃないかな。
見ていて切ないんですから、母はもっと苦しいはず。
髪を覆うバンダナを買ってきて欲しいと頼まれたので、
少しでも可愛いものを、と、和柄のバンダナを2枚選びました。
これくらいしかできないけど、その『これくらい』を頑張らないとなぁ。

朝・夕2回の点滴の正体も聞きました。
薬名『グリセオール』。脳への放射能の影響を抑える薬だそうです。
これは確かに、放り出して外泊とか云ってる場合じゃありませんね。

母が食べたいといったコロッケのお弁当を買ってきて、一緒にお昼。
近所に洋食のお弁当屋さんがあるんですよねー。美味しいなら良かったvv

14時半頃に帰るとき、1階まで見送ってくれたんですが、
出入り口に掲示されている映画『象の背中』のポスターを見て、

「この映画は死ぬやつだから見たくない」

とキッパリ。
私ですら見る勇気が出ないんですから、当然だと思います。
続けて云ったのが、

「お母さんは早く見付かったから良いけど、もしこの映画みたいなので見付かったら、
お父さんおかしくなるんちゃうかなぁ」

それは大変だからやめてー、と笑いながら言葉を返したんですが、
心の中ではちょっと泣きそうでした。
本当は。この映画の主人公と同じような立場なんだよ。
そう云えないけれど。
云えないからこそ、切ないのだけど。
脳に転移して、そして自身がステージⅣであることを知ってしまっている母が、
何を思って、どこまで悟って、この台詞を云ったのかは判りません。
また抗癌剤の治療が始まるから嫌だなぁと、そうも云っていました。
けれど、この言葉が『死ぬ気はない』という強烈な意思表示なのだとしたら。
やっぱり私も頑張らなくてはいけません。
いえ、頑張りますよ!


奇跡の功罪

2007-11-18 | 自分のこと

病院に行かなかったせいか、色々考えてました。
元気な母に逢えなかったから、余計なのかな??
ううん、本当はいつもいつも結論の出ないことをグルグル考えています。
弱いことを、情けなくいつまでも。

癌だけに限らない話かもしれないんですが、
調べ始めて……調べる以前から幾度か聞いていました。
『奇跡』的に癌が消えた、と云う話。

私は悲観的な人間なので、あまり『奇跡』と云うものを信じません。
ヒトとヒトとの出逢いは『奇跡』だと思うのですが、
それとは別の次元の話として、
天候を操ったり、病気を治したり、そんな『奇跡』は存在しないと思うんです。
そもそも『奇跡』とはそんなお手軽なものではなく、
そして『神サマ』とやらが起こしているものだとすれば、
この世に戦争も飢餓も、死と云う観念すら存在しません。
だからこそ『奇跡』を肯定しきれないんですが。

けれど一方で、末期癌が治ったという『奇跡』は存在するんです。

これは、患者さんにも、そして家族にとっても『希望』に見えます。
でも私にとっては、とても罪深い『事実』にも思えるんです。
そんな『奇跡』さえ存在しなければ、一縷の望みに縋ったりしない。
『希望』とやらに心を動かされない。もしかしたら、なんて想いに揺れたりしない。
たとえ数%だとしても、治療の成果が目に見えるように現れて、
母が長く生きてくれるかもしれない……

そんなことを甘く夢見ては、現実を見ろ、と自分を諭しています。
バカだと判っていても、同じことを何度も何度も繰り返して。
結局は溜め息だけを落とすんです。
せめて私がもっと子どもでもっとバカなら、夢だけでも見れたかもしれないなぁ……

『奇跡』は、甘過ぎる夢です。


とうとう来た

2007-11-18 | 現状の認識
前売りを購入していた展覧会があったので、私はそちらを優先。ゴメンね。

夕方に妹から話を聞くと、前日にもまして元気だったとのこと。
そして、土曜日と同じくアイスクリームショップへ行って、
ついでに100均に寄って買い物もしたそうです。
ホントに体調良いんだなぁ。

ただ、激しい脱毛が始まって、それが大変みたいです。
母は綺麗な髪をしていたし、ショックも大きいと思うんですよね……
また生えてくるし、と口に出しては云いますが、絶対気分良くないはず。
これも判っていた副作用とはいえ、やっぱりつらいなぁ。