只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今の瞬間、感じるのみで終りで後は“無心”ですね。

2017-03-16 09:53:40 | 日記

いつも平穏なんですね。

「何でそう言えるのか・・?」という「思考自我」が
居座っているから平穏が崩されるのです。

でも、間違いなく平穏は平穏ですね。

それだけのことですから、何も思考する必要は
ないのです。

例えば事故があったら平穏じゃなくなると
言われると思います。

そのとおりで事故は事故です、事故は平穏ではありませんね。

起きた事が終れば、いつもの平穏に還るのです。

しかし、頭の中で勝手に妄想する「思考癖」が
ありますから、そう簡単にいつもの平穏に還れないのです。

自分では無い、自分の中に居て勝手に妄想する「思考癖」
という幻想ですから、手の打ち様が無いのですね。(笑)

そして、これが堂々と自分を支配しているから
更に厄介になるのです。

この実践の“只の道”は逆に「思考自我」を支配して、
本来の“平穏”に還る道です。



只の道…淡々と歩く
心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


舌の侭であれば、それその物ですから、それは有るのです。
 が、有るのならそれを出して見せよと言うことです。
 姿も形も色も何も無いので、どうしようもないでしょう。
 本来が味覚という感覚の物でしかないからです。
 いわば実体とする物は無いのです
。』


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
そのものを“感じる”世界だと仰っています。

感じたらそれでお終いです、“今この瞬間”のみですね。

残っている余韻は思考ということですから、
他に何も無いと言えます。

たったこれだけの事ですが、幻想世界は更に
意味を付け楽しくしたり苦しくしたりして、
千差万別に繰り広げます。

ですから“そういうことだ”と、それをしっかりと
身に付け、迷いの無い事実の“真実世界”に
居ることですね。

そのためには何もしない、努力しない努力
只なる実践”の継続です。