俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

義足

2014-08-26 11:08:23 | Weblog
 殺人事件の被告になってしまったが、義足でありながら健常者と対等に競ったパイオニアとしてオスカー・ピストリウス選手の快挙は否定されない。しかし今後、義足のアスリートの扱いはどうあるべきだろうか。
 問題になりそうなのは走り幅跳びのマークス・レーム選手だ。何と8.24mをこの7月に記録した。ご存知とは思うがアスリート用の義足は弾力性に富んでおり、日本の佐藤真海選手も含めてどの選手も健常なほうの足ではなくバネのように撓る義足で踏み切っている。これはアンフェアではないだろうか。
 もっと困るのは義足のスイマーだ。膝から下を失った障害者が健常者よりも有利になり得る。流石にヒレや水掻きを付けた義足は認められないだろうが、40㎝や50㎝の大足にしてイルカの尾ビレのようにしなやかに上下動させれば健常者よりも早く泳げるだろう。
 あるいは指を失った人が鋼鉄の義指を付けてボクシングに参加すれば文字通り「鉄の拳」になってしまって著しく有利になるだろう。
 障害者に同情的な人が怒るかも知れないが、そんな問題を回避するために、オリンピックとパラリンピックは別の大会であり続けるべきだ。2020年の東京オリンピックまでには義足などの技術は更に進歩してサイボーグとさえ言えそうな選手も現れるだろう。そんな選手が現れてから議論すれば、一般論ではなく個人に対する賛否になってしまう。今の内に、体の一部を機械化した選手を、ドーピングと同様に排除しておくべきだろう。
 サイボーグが憧れだった時代があった。しかし今では人体改造は忌まわしいものと受け止められている。
 第三セクターが持て囃された時代もあった。公と民の双方の良さが発揮されると思われたからだ。今では三セク方式はほぼ否定されている。公の無責任さと民の利益優先の弊害が目立つようになったからだ。
 人と機械の関係も、サイボーグ化ではなく、筋力強化スーツのような形で自由に着脱できる方向へと進んでいる。これは化粧と整形手術の違いのようなものだろう。美容整形とはサイボーグ手術の一種だろう。

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