俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

遷宮

2013-01-31 13:50:00 | Weblog
 私が住んでいる伊勢市の伊勢神宮は今年、20年に1度の式年遷宮を迎える。これによって観光客の大幅増が見込まれている。
 一方で不思議なほど話題にならない遷宮がある。出雲大社だ。何と60年振りの遷宮だというのに知らない人が多い。これはなぜだろうか。
 伊勢神宮の場合は20年に1度という式年遷宮というシステムが有効に働いている。出雲大社のように60~70年ごとに遷宮をしていればソフト・ハードの両面で知恵の継承ができなくなってしまう。20年ごとに遷宮があれば建築技術は勿論のこと、運営のノウハウも継承される。伊勢では遷宮までに「お木曳き」などのイベントもあるので徐々に盛り上がる。
 「雲太、和二、京三」という言葉が残されている。出雲大社が一番で、大和の東大寺大仏殿が二番、京都の大極殿が三番という意味だ。高さ48mで現在世界最大の木造建築物である東大寺大仏殿よりも出雲大社のほうが大きかったらしい。当初の出雲大社の高さは96mとも48mとも伝えられているが今では24mしかない。これは技術が継承されなかったためだろう。かつての出雲大社が今よりもずっと大きかったことは平成12年の発掘調査によって確認されている。
 20年に1度という式年遷宮の仕組みがいかに素晴らしいかこのことだけでも分かるだろう。

追い出し部屋

2013-01-31 13:23:23 | Weblog
 昨年末以来、朝日新聞では「追い出し部屋」をテーマにして企業による社員虐待を取り上げているが実態はこの程度のものではない。仕事が与えられなければ外出してサボッていれば済むし、過大なノルマなど無視すれば良い。こんな甘いやり方では追い出されないからもっとあくどい手を使って精神を蝕み命まで奪っている企業がある。関西を地盤とする某百貨店のやり方はこうだ。
 警備と清掃を請け負う子会社を作って追い出したい社員を出向させている。役員目前と思われた店長でも容赦しない。一警備員に格下げされる。
 百貨店の社員は子供の頃から個室を与えられたボンボン育ちが多い。仮に不祥事を起こしても親に弁償させることができるのでそういう境遇の人を好んで採用する。そんな人にとって最も辛いのが大部屋での雑魚寝だ。大半が不眠症を患う。
 警備の仕事は24時間勤務が基本だ。朝10時から翌朝10時までが1セットで3時間程度の仮眠時間が含まれる。その時間に眠れなければそれは自己責任であり眠らない者が悪いとされる。これを最長5セット、つまり10日間続ける。3セット、つまり6日目ぐらいには精神状態が正常でなくなる人が多いそうだ。日常の主な業務は立哨であり、夏も冬も人通りの多い路上に立ち、同僚や知人の憐れみの目に耐える。悔しさと恥ずかしさに不眠症が重なって鬱病を誘発するばかりか、毎年、数人が勤務中に死んでいるらしい。つまり仮眠時間を過ぎても起床しないので起こしに行ったら死んでいたとのことだ。これは病死としてうやむやに処理される。
 眠れないことは精神を狂わせる。殊に若い頃から健康に留意して規則正しい生活を心掛けていた高齢者ほど激しく失調する。半数ほどが出向から1年以内に退職するらしいから何とも効果的な追い出し策だ。朝日新聞の「追い出し部屋」の記事は甘過ぎる。企業はもっとエゲツナク違法スレスレの方法で中高年社員の切捨てを図っている。

フォーム

2013-01-29 14:11:03 | Weblog
 同じコースに他人がいるほうが早く泳ぐということをこれまでに2度書いたが(「競争社会」と「競争する男」)、必ずしも正しくなかったようだ。競争するから早くなるだけではなく実際にフォームが良くなっていることに最近気付いた。
 こういう事情だ。クロールで私は右側で息継ぎをする。プールは右側通行なのでコースを共用する場合には左側に気を付けねばならない。そのために普段よりも大きく体を左に捻る。これが実はフォームの改善になっていた。
 クロールが他の泳法よりも早いのは推進力が大きいからではない。抵抗が小さいからだ。前から後ろに掻いた手を前に戻す動作をリカバリーというが、平泳ぎではこれを水中で行なうので大きな抵抗が生じる。平泳ぎのリカバリーを空中で行なうために考案されたのがバタフライだ。しかしバタフライは上下動が大きいのでクロールよりも抵抗が大きくなる。クロールは体を左右に捻ることによってリカバリーを行なう側の肩を空中に出して抵抗を減らす。
 怠け者の私は動作を最小限にしようとする。それが捻り不足に繋がっていた。つまり左肩の一部が水没したままでリカバリーを行なっていた。左側を見ようとすれば左への捻りが大きくなりそれがフォームの改善になっていた。
 心理的と思われたことが科学的に分析できるとスッキリする。人間は非合理な動物だがその非合理性には何らかの根拠がある。非合理性を否定するのではなく、非合理の合理性に注目したいものだ。

二重の嘘

2013-01-29 13:52:10 | Weblog
 最近、地球温暖化という言葉を聞かなくなった。これを似非科学だと思っている私にとっては好ましいことだが、なぜ騒がれなくなったのかを考えてみることは無駄ではなかろう。
 第一に考えられることは「それどころではない」ということだろう。日本では電力が足りない。実際にこの冬の北海道ではかなり厳しい節電に取り組んでいるようだ。そんな時に火力発電を否定するような発言は慎むべきだということだろうか。
 もう1つはCO2排出を抑制するメリットが無くなったということだろう。CO2を減らせと騒ぐことによって利益を得る人が地球温暖化の恐怖を煽るスポンサーになっていたのではないだろうか。ではその利権には誰が群がっていたのだろうか。1に原発、2に持続可能エネルギー(巷では「再生可能エネルギー」や「自然エネルギー」と呼ばれることが多いがこれらの言葉は正しくない)、3に低燃費自動車、4に省エネ家電などではないだろうか。2~4については今も有効だが原発は今なお再稼動のメドさえ立たない。原発という大スポンサーが無くなれば地球温暖化は問題にされなくなるようだ。
 しかし原発はCO2の削減に本当に有効なのだろうか。火力発電のコストは燃料費が8割・建設費が2割と言われている。一方、原発の場合は燃料費が2割で建設費が8割だそうだ。原発のラニングコストは安いが建設費は途轍もなく高い。つまり施設のための鉄やコンクリートおよびその工事のために大量のCO2が排出されるということになる。これでCO2の削減になるのだろうか。原発がCO2を削減しないのなら、地球温暖化という虚構のために原発を推進することは二重の嘘になる。

最寄品

2013-01-27 10:25:01 | Weblog
 昨年のコンビニの売上高が9兆円を超えて史上最大になった。一方でスーパーの売上高は12.5兆円で既存店ベースでの売上高は16年連続での前年割れだそうだ。
 私はローソン100以外のコンビニは殆んど利用しない。高いからだ。多分デパートよりも高い。つまり日本で最も高価格で売る店だろう。低価格志向が続く日本でなぜこんな業態が成長しているのだろうか。多分、大手スーパーの戦略の副産物だろう。
 1970年頃がスーパーの最盛期だったのではないだろうか。大手・中小のスーパーが続々と誕生した。消費者は最寄品を地元の小売店ではなくスーパーで買うようになり中小の小売店は没落した。ところがバブル経済の90年頃から大手スーパーが地価の高い市街地の店舗を閉鎖して地価の安い郊外店を増やすようになった。すると消費者は自動車でわざわざ出掛けなければ買物ができなくなった。最寄品の筈の日用品が買回り品になってしまった。困ったのは買物弱者と呼ばれる高齢者だ。以前利用していた商店街はシャッター通りと化しているから日用品が買えなくなる。ここで俄然注目されたのがコンビニだ。コンビニが淘汰された地元商店の代役となった。だから田舎のコンビニには老人が多い。
 要するにスーパーが地元の小売店を駆逐して、そのスーパーが郊外へ出て行ってしまったから田舎の市街地では最寄品が買えなくなった。そのニッチを埋めたのがコンビニという訳だ。
 私が今住んでいる伊勢市も含めて地方の中小都市では地場のスーパーが意外と元気だ。これは地元の小売店が廃業して大手スーパーは郊外へ出て行ったから市街地に商業空白地が生まれ、それをコンビニと地場のスーパーが埋めているのだろう。もし大手スーパーが市街地回帰を図れば淘汰されるのはコンビニと地場スーパーだろう。

道徳

2013-01-27 10:03:29 | Weblog
 「水からの伝言」というオカルト本が小学校の道徳の教科書として使われたことがあった。「ありがとう」と書いた紙を貼った水にはきれいな氷の結晶ができて「ばかやろう」と書いた水ではきれいな氷にはならないという馬鹿馬鹿しい内容の似非科学に基いた本だ。
 3年前に「トイレの神様」という歌が流行った。「トイレをきれいに掃除すると‘べっぴんさん’になれる」と教えた祖母を慕う歌だ。
 なぜこれらは共感を呼んだのだろうか。それは多くの人が道徳を正当化したいと考えているからだ。根本には「道徳を守るための嘘なら許される」という思いがある。言い換えれば「道徳を守るためなら嘘を総動員しても構わない」ということだ。
 子供に道徳を教えることは難しい。道徳教育を施したい人は地獄とか神とか転生とかいったデタラメを捏造してでも道徳を権威付けようとする。
 嘘は絶対に悪いことだ、などと言いたい訳ではない。嘘は不必要だと言いたい。正直に、「ありがとう」という言葉を使えば人間関係が円滑になる、とか、トイレの掃除は大切だ、と教えれば済むことだ。これらのことを権威付けるための嘘は必要ない。
 嘘に基いて道徳を正当化しようとすることは「目的のためならどんな手段を使っても構わない」という困ったメッセージを伝えることになる。このことのほうがずっと軽率で反倫理的な行動だろう。

使い捨て

2013-01-26 09:43:14 | Weblog
 贋物のエコ活動は沢山あるが「割り箸廃止」の活動ほど滑稽なものは少なかろう。彼らは「割り箸は森林を破壊する」と主張していた。
 こんな漫画を読んだことがある。大木を切り倒してから丁寧に削り続けること数時間。そして彼は叫ぶ「できた。これこそ究極の爪楊枝だ」。この漫画が滑稽なのはあり得ないほど無駄なことをしているからだ。絶対に誰もこんな無駄なことをしないと分かっているから笑える。
 割り箸廃止を主張する人はこんな常識を持ち合わせていないようだ。大木を切り刻んで割り箸を作ると思っているから「割り箸が森林を破壊する」と主張するのだろう。
 当り前の話だが、大木からはまず柱が作られる。多くの柱は四角だから次には四辺の周囲から4枚の大きな板が作られる。その後は小さな板や棒が取られ最後に残った木片が割り箸や爪楊枝になる。勿論、間伐材を使うこともあるが、いずれにせよ他に使いようの無い木片の有効活用だ。言わば「勿体ない」の実践だ。割り箸に反対する人は余った木片を燃料にせよと言いたいのだろうか。
 多分、彼らは「使い捨て」を総て悪い物と思い込んでいるのだろう。だから割り箸=使い捨て=資源の無駄遣いと考えるのだろう。しかしどうせ噛み付くのならむしろティッシュペーパーに噛み付くべきだっただろう。西洋人の多くはハンカチを使って鼻をかむ。日本人のように紙を使い捨てにはしない。ティッシュペーパーは良質な紙だからこれこそ悪しき使い捨てのシンボルに相応しい。なぜ彼らがティッシュペーパーやポケットティッシュではなく割り箸に噛み付いたのか私には理解できない。間違ったエコ活動は正しいエコ活動の邪魔をする。

発癌性

2013-01-26 09:19:50 | Weblog
 発癌性という言葉で一括りにされているがその有害性には大きな隔たりがある。かなり危険な発癌性物質としては石綿(アスベスト)やコールタールや放射線などが挙げられる。一方、発癌性が疑われる物質としては煙草・アルコール・太陽光・酸素・大半の食品などが挙げられる。
 中皮腫の原因とされる石綿や大阪などの印刷所で胆管癌を発症させたジクロロメタンは癌の原因物質だろう。これらには因果関係があると思える。
 一方、煙草・アルコール・太陽光などと癌が因果関係にあるとは思えない。余りにも例外が多過ぎるからだ。大半の癌は様々な要因が複合することによって起こっているのだから、これらを石綿などと同列に扱うことは不合理だ。発癌性ではなく誘癌性と捕らえるべきではないだろうか。
 IARC(国際癌研究機関)の「発癌性リスク」では煙草・アルコール・太陽光はコールタールや石綿などと共に最高ランクのグループ1であり、グループ2Aにはシフト勤務や「美容・理容に従事」などが挙げられ、グループ2Bにジクロロメタンやアジア式漬物やコーヒーなどが挙げられている。
 全く変なランク付けだと思いそうだがこれには訳がある。リスクとは危険性×確率だ。従って危険性がごく低くても巷に氾濫しているものは高リスクと評価されている。リスク=危険性という誤った認識を持っている人はコゲや漬物について危険だと騒ぐ。リスクと危険性の違いを理解していればこんな誤った主張はしない。生半可な知識は無知よりも有害だ。

駆け込み退職

2013-01-24 10:10:24 | Weblog
 地方公務員の退職金が3月から引き下げられるため全国で駆け込み退職が相次いでいる。担任教師の責任放棄を非難する意見もあるが、この駆け込み退職は労働者として当然の権利であり何ら非難には値しない。
 県によって若干違うが、大まかに言えば、3月末付けで退職すれば退職金が150万円程度減額されるようだ。1月または2月に退職すれば給与所得は減るが退職金は減額されずに済む。
 減額という言葉だから誤解されるが実態はこういうことだ。「3月末まで働いて責任を全うしたいのなら150万円払え」こんな理不尽な命令に「ハイ」と答えるのは余程の阿呆だけだろう。
 中途退職する公務員の行為は正当だ。悪いのは総務省からの指示を碌に検討せずに不合理な条例を定めた県会議員だ。こんな無責任な条例を定めるから公務員が振り回され市民が犠牲にされる。東京都では、定年前の自己都合退職は減額される仕組みになっているのでこんな駆け込み退職は発生していない。このことからも明らかなようにいい加減な条例を定めたことが諸悪の根源だ。
 しかし今更、既に定めた条例を撤回することはできまい。ならば金銭的負担だけでも議員に負わせたらどうだろうか。新たに必要となる臨時職員の人件費などは議員報酬を削って埋め合わせるべきだろう。責任を感じて自ら申し出る議員が一人ぐらいはいてほしいと思う。

朝日新聞の誤報

2013-01-24 09:44:22 | Weblog
 23日付けの朝日新聞には驚いた。驚いたどころではない、全くブッタマゲてしまった。恥ずかしげもなく「当時の文部省が『侵略』を『進出』に変えようとしていたとして、中国や韓国が反発」と書かれていたからだ。どんな価値観・倫理観を持つ人がマスコミ史に残る誤報事件についてまるで他人事のように、しかも訂正もせずに書けるのだろうか。朝日新聞はこの記事を誤報と認めたのではなかったのか。
 なぜこんな記事が書けるのだろうか。誤報であると認めないのが朝日新聞社の新しいスタンダードなのだろうか。あるいは誤報ではあったがその記事に対して「中国や韓国が反発」したことは事実だと言い張るつもりだろうか。いずれにせよ過去の犯罪的誤報を反省しないトンデモナイ記事だ。
 世代交代があって誤報の事実を知らない記者が書いたのかも知れない。しかし非常に有名な事件だけに編集者全員が知らないということはあり得ない。確信犯、つまり誤報ではなかったと改めて主張したいのだろうか。
 正しい文章は「当時の文部省が『侵略』を『進出』に変えようとしていたという『朝日新聞などの誤報に基いて』、中国や韓国が反発」だろう。当然こんな恥晒しな記事は書けない。
 朝日新聞は日本の歴史について語る前に自社の歴史について総括しておく必要がある。それを怠る限り彼らに歴史について語る資格は無い。朝日新聞には猛省を促したい。